芥川龍之介 手帳8 (7) 《8-7》
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《8-7》
○大工 屍體カイボウ(背高き爲) 洋服や何かこしらへ解剖代の金を使つてしまふ 靴出來る時金なし 靴屋曰「この靴持つて行き所なし 實費にひきとつてくれ」實費もなし
[やぶちゃん注:これは明らかに旧全集冒頭パートにあった、
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○大工六百圓に體をうる その金にて洋服靴をつくる 靴出來し時金なし(のんでしまふ)靴は十二文甲高故外にはきてなし 靴屋原料代にてよしと云ふ それもなし 靴屋へきえきし去る
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と同じ内容の記事である。しかし、表記通り、別メモ見えるから、芥川はこれを「溫泉だより」(リンク先参照)に採用するに際して、再度、草稿メモとして記したものかも知れない。]
○松山――京都へ出て(17 or 8歳) 日本畫の肖像がきのもとへ弟子入りす 東京へ出る前東京に木なしと思ひむやみに木をスケツチす 東京へ來る 汽車 水兵辨當を買つてくれる 東京へ來る 木あり
○鷄 惡しき卵をうむものは頑健 善き卵をうむのは餌と氣候とにも死すの變にも死す
○母 私生子あり 母の兄弟肺病にて全部死に一人殘る その一人東京にあり(父は隣村にあり 美男 否認す)母傭れ仕事にて生く 娘小學校にあり 「父なし」とからかはる 學校(村はづれの)からかへる時隣村へかへる男あり それを「アレガ父ナリと云ふ(母娘に説明して云ふ アレハ聟ナリシモ働キナキ故オヒ出シタト 日頃コレヲキキシ故云フナリ)男フリカヘツテ娘ヲミル(15)ソノ母子ノ家正月元日の夜夜番にあたる(夜番トハ四戸ヅツ拍子木マハリ來ル)(女ハ雪袴)「オラヤンノ所ハ元日ノ夜ダ」安代(二人前ハタラク ヌヒ物ウマシ)sexual ノ發達早シ 村人and 教員藤村詩集ノヌキ書キヲ教フ
[やぶちゃん注:「藤村詩集」は島崎藤村の詩集で明治三七(一九〇四)年刊。「若菜集」
(明治三〇(一八九七)年刊。以下同じ)・「一葉舟」(明治三十一年)・「夏草」(同前)・「落梅集」明治三十四年)の合本。巻頭に『遂に新しき詩歌の時は來りぬ』に始まる序文を付してあり、明治浪漫主義の最初の開花を鮮かに誇示したとされる詩集。伝統の詩語や韻律を生かしながらも、近代的自我を基底とした官能解放・恋愛賛歌・唯美的芸術賛美の感情を詠い、生活的現実的な詩風へと変っていく過程も合本化によって観察出来る。本詩集刊行以後、藤村は詩から散文へと移ることとなる(ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。]