芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む) 「十九」
十九
高い海ばたの崖から崖を伝って走って行った汽車が幾つかの隧道(とんねる[やぶちゃん注:ひらがなはママ。])を潜り抜け、最后の黒闇(くらやみ)の中から脱け出たとき、夕ぐれの日の光に染って屋根や壁やが一斉にはなやぎ輝いている波根の漁村が海を背景(バック)にして眼のまえに現れた。
新築の小(ささ)やかな停車場に下車して改札口の駅夫に、「水月亭(すいげつてい)という宿はどこですか?」と新聞の広告で知った旅館の所在(ありか)をたずねると、「そんな家は知りません」と突慳貪(つっけんどん)に答え返した。困ったなと二人顔を見合わせていると、今の汽車から下りて来たらしい村の人が親切に教えて呉れたので安心して歩み出した。宿は停車場から二丁ばかり行ったところに在って宿の名を記(か)いた小旗が高い竿のうえに翻っていた。
門を入って、こちらから入るのかと訊くと、そこで洗濯をしていた此家のおかみさんが「そげでございますがな」とこたえた。新築して間も無いと見えて中庭では庭師が仕事をしていた。ぼんやりとそこに立っていると、「こちらの部屋へ上んなさい」とおかみさんが無雑作に半ば命令的な口調で指図するのにいさゝか二人とも恐縮して言い付けられた儘一番東側の藤原朝臣なにがしの不二の歌の額のかゝつている部屋にあがった。
あがって見ると眺望(ながめ)はすてきに佳い。二人は海にのぞんだ様にこしかけたまゝ、
「佳いね!ほんとうにいゝね!今夜こゝへ来てよかった」とお互いにいそがしく言い続けた。
眼の前の海は一湾(いちわん)の暮潮(ぼちょう)を張りみなぎらせ、高らかな浪の音は静かな夕べの底に泌みてゆるやかに響いていた。浜が右の方に尽きるところには断層の条文(すじめ)鮮かな立神(たてがみ)の巌が巨人のように肩を聳やかしてすっくと立って居り、左り手は弓形につづく白砂の浜のはてに赤瓦の屋根がいろうつくしく重なり合っている。
二人はいそいで衣服(きもの)をぬいで椽の前の高い石垣に架けてある板の桟(はし)を下りて海に跳びこんだ。
浪は冷たい掌(てのひら)をあげて肩を衝ち胸をうつ。すっきりとした寒冷の感覚が緊張した全身の筋肉に錐の尖(さき)のように細くとがった刺戟を伝える刹那に、身を挑らせて浪のうえに手足を浮かせると、水は弾力性に富んだ快い圧迫を体躯(からだ)の周囲(まわり)に加えながら自分の思うまゝに揺(ゆさ)ぶり弄ぼうとこゝろみる。
恰度その折太陽は、燦爛(さんらん)たる栄光の王冠を火炎の中に抛(なげう)つように爛々と燃えながら海の涯に沈んで行った。
「あっ、うつくしい!」
「うつくしいね!」と浪のあいだから二人がうれしくて耐(たま)らないような声を叫んで、そのゆうべの「日の終焉(おわり)」の栄(さけ)を讃めたゝえた。
裸かな二人のからだのまわりには金色や、くれないや、藍綠(らんりょく)や、紺青やの浪の文(あや)、浪の模様が肌にとおる冷めたさと共に縺(もつ)れ絡(しが)らみはるかな海の端(はて)には日の、まったく没したあとの空に呪文の象(かたち)をした雲が焔(ほのお)のかたまりのように燃えかがやいていた。
[やぶちゃん注:「水月亭(すいげつてい)」底本後注に『現在の「金子旅館」あたりにあったと推定されるが、不詳』とある。「金子旅館」はここ(グーグル・ストリートビュー)。その手前に現在、「水明館」という宿もあるのだが(ここ。グーグル・ストリートビュー)、井川は「停車場から二丁」(二百十八メートル)「ばかり行ったところに」あったとあり、後者は波根駅の現在の中央部から計測しても八十メートルしかなく、近過ぎ、確かに「金子旅館」のある位置の方が相応しい。
「藤原朝臣なにがしの不二の歌」不詳。井川が「なにがし」とするところを見ると、藤原敏行や実方ではあるまい。しかもここで、よりによって、冨士かいな!
の額のかゝつている部屋にあがった。
「立神(たてがみ)の巌」底本後注に『波根湾東側突端の切り立った岸壁』とある。この景色(グーグル・マップ・データの写真)。Tombee氏のブログ「清治の花便り」のこちらの写真群も素敵だ! これらの写真を見ると、井川の「巨人のように肩を聳やかしてすっくと立って居」るのは横方向のシミュラクラの意だということが判る。!巨神兵!]
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