芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む) 「七」
七
3・Fの手紙
暑くなったね。今が土用の最盛りだ。君には別にお変りも無いそうで結構々々、僕も例の通りぶらぶら暮して居る。実はもう君から何か便を云って寄越すだろうと待って居た。その待ちあぐんで居た処へ八月一日附けのお手紙が舞込んで来た。久しく君と話をしなかった様に思われるのでとゞろく胸を抑えながらそこにある一文字たりとも逃がすまじと息もつがずに読み耽った。繰り返してまた読んで見た。面と向って話して居る時少しも気付かなかった君のパアソナリチーの或る部分が特別に明るい色彩と輪郭とを以って僕の心に攻め寄せて来る様に思われた。そして僕が堪えがたい苦みとなって涌いて来る、日独学館に居た頃僕の君に対する態度のあまりに余所々々しく親しみに薄かった事を許して呉れ玉え。僕は充分君を尊敬もし愛しもして居た。それだのに僕の頑固なそして遊戯的皮肉な心が知らず知らず僕を駆(か)って、ともすれば君に楯突こうとする様なおそろしい振舞に出さしめるのであった。君よ併しながらかゝる振舞は要するに僕の欠点には相違ないけれど決して僕の真意では無かったのだ。僕自身はも少し物やさしい親みのある人なつこい人間であると心に思って居る。ただそれを巧く―否巧妙でなくとも好い、率直にありのまゝ表現するをなし得ない人間なのである。単に君に対する時のみではない。僕が総ての人に対する態度が斯うである。是は甚だ宜くない。是非改め度いと思っている。
…………………略…………………
併しながら僕が巳に大盤石の上に悠然として静座して居るものであるかの様に君が考えるならば、それは大なる誤りである。「否誤りでは無い、どうしてもそう思われる」と主張するならば君は僕の様子のシャインのみを見たものである。僕には君と類を異にした(異ってないかも知れないが)不安があり煩悶がある。その込み入り方を比較するには及ぶまい。人は到底他人を完全に理解する事は出来ないものであるから(他人のみでは無い、自分自身の理解すら覚束ないが)僕は敢て自ら落付きのない心の浪立ち騒げるものであるぞと述べるのではない。これは「事実」の爲め「相互了解」の爲一言したまでである。
…………………略…………………
休暇になってから早や長い日日(ひにち)が経過した。故郷も今や僕に取っては淋しい場所である。竹馬の友と云うのは名のみ、嫁をもらい人の子の親となって炎天の下に汗を流して働いて居る彼等を見る時、古い記憶を呼び起して僅かに感ずる懐しみの情も殊更丁重な挨拶をされ或は見てみぬ振をされると忽ち物悲しい淋しさに変る。道で人に出会う毎に「お早う」とか「今日は」とか挨拶をせねばならぬ、そこに田舎の――故郷の面白味もあるけれども、時とすると嫌で堪らなくなり「あゝ一そのこと誰も知る人の居ない所に住んでみたい」と思うこともある。
毎朝起きると僕は川へ出掛けて行く。川は僕の家から一町許りある。碧玉を溶いた様な水が緩かに流れてところどころ浅瀬にかゝると岩の間と球ずれの音のようにさゞめき流れている。僕は衣物をぬいで飛び込む。一分間許りもじっと浸って居ると、気持ちの好い寒さが毛穴の一つ一つから内臓にまで伝って心のネジがキリリキリリと引しめられる様に覚える。水から上ると透明な気分が透明な空気と空と野との間に限りなく広って心は白から勇み立ってくる。
[やぶちゃん注:「F」、石田幹之助の手紙の三つ目。
「日独学館」富坂にあった大正二(一九一三)年に作られた日独学館学生寮か。しかし、同年に彼らは第一高等学校第一部文科を卒業しているから、寮ではなく、ドイツ語塾と考えるべきか。
「シャイン」shine。「人格上の明るい側面」の意。
「故郷」石田の故郷は現在の千葉県千葉市内。]
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