進化論講話 丘淺次郎 第十二章 分布學上の事實(5) 四 洞穴内の動物
四 洞穴内の動物
[盲魚]
[洞蠑螈]
[やぶちゃん注:孰れも講談社学術文庫版の絵を用いた。前者は「めくらうを(めくらうお)」、後者は「ほらゐもり」と読む。前者は一般的に知られるそれは、
脊索動物門脊椎動物亜門魚上綱硬骨魚綱カラシン目 Characiformesカラシン科 Astyanax
属ブラインドケーブ・カラシン Astyanax jordani
であるが、後に示すウィキの「マンモス・ケーブ国立公園」によれば、このアメリカの洞窟に棲息する盲目洞窟魚類は、
条鰭綱新鰭亜綱側棘鰭上目サケスズキ目ドウクツギョ科Typhlichthys
属サザンケイブフィッシュ Typhlichthys subterraneus
及び同じドウクツギョ科Amblyopsis 属ノーザンケイブフィッシュ Amblyopsis spelaeaAmblyopsis
であるとある。なお、差別和名であるとして「メクラウオ」は現在使用しない傾向にある。しかし私は声を大にして言いたいが、日本語の「盲魚」の代わりに「ブラインドケーブ」などと冠する和名が差別でないなどとは私は毛頭、思わない人間である。言葉狩りでリベラルになったと思う科学者は救いようのない差別主義者だとさえ思っている。なお、ウィキの「ブラインドケーブ・カラシン」によれば、『原産国はメキシコ』で、一九三六年に『中部メキシコの洞窟内で発見された。メキシカンテトラ』(Astyanax mexicanus)『が洞窟内で生息するうちに、視覚を失うなどして洞窟内での生活に適応したもの』で、体長は約八センチメートル。『洞窟で生活している』ことから、『目が退化しており、本来なら目のある部分は鱗で覆われている』。『さらに、前述と同じ理由で、体からメラニン色素が失われており、皮膚は白っぽい肌色で鰓の部分は赤くなっているのが特徴』。『視覚が無い代わりに、側線などが発達して視覚を補っており、岩などの障害物にぶつかることはなく普通に泳』ぎ、『鋭敏な嗅覚を持つので、餌を見つけるのは得意である』。なお、『明るい地上でも問題なく生活できる』とある。後者は、
両生綱有尾目ホライモリ(洞井守)科ホライモリ属ホライモリ Proteus anguinus
である。これは既に「第九章 解剖學上の事實(4) 四 血管並に心臟の比較」に登場し、注してあるので参照されたい。]
ヨーロッパ・北アメリカなどには、處々に天然の大きな洞穴が發見せられてあるが、その中の最も有名なのがアメリカ合衆國ケンタッキー州のマンモス洞で、奧までは何里あるやら解らず、中には廣い河があつて、魚・蝦などが住んで居る。またオーストリヤ領のクライン地方の山には大きな洞があつて、その中に住する一種の蠑螈[やぶちゃん注:「ゐもり(いもり)」。]は血球が非常に大きく、蟲眼鏡でも見える程故、動物中でも有名なものである。その外にも稍々小い洞穴は幾つもあるが、かやうな所は無論全く闇黑であるから、常にその中ばかりに住んで居る動物は、普通の明い處に住するものとは違つて、總べて盲目で、目は形だけがあつても、全く役に立たぬやうに退化して居る。世界の方々からこのやうな洞穴の中に産する動物を集めて調べて見ると、眼の退化する具合に注意しても面白いことを見出すが、その分布を考へても、進化論によらなければ説明の出來ぬやうな面白い現象を發見する。元來この種の洞穴はアメリカのもヨーロッパのも、石灰岩の中に出來たもので、その中の溫度・氣候などは全く同一で、凡この位に互に相似た場所は、他には稀であると思はれる程であるが、實際その中に産する動物を檢すると、相離れた處の洞穴には、一種として同じ種類はない。卽ちアメリカの洞穴にもヨーロッパの洞穴にも産するといふやうな種類は一つも無く、アメリカの洞穴に居る盲目動物は何に最も似て居るかと調ベると、却つてその地の普通動物中の或るものに似て居る。之は進化論を基として考へれば、素より斯くなければならぬことで、各地の洞穴の間には直接の連絡は少しもなく、またその中に住む動物が自分で明い處に出ることは決してないから、各洞穴に産する盲目の動物は皆別別にその洞穴のある地方の普通の動物から進化して出來たものと見倣せば一通りは理窟も解るが、若しこれらの動物は各々最初から今日居る通りの暗い處に出來て、そのまゝ少しも變化せずに現今まで代々生存して居るものと考へたならば、この位、わけの解らぬことはない。始終闇黑な處に住んで居るに拘らず、皆目を有して居て、然もその目の構造を調べて見ると、肝心な部分がなくて、單に形を具へて居るといふに過ぎず、その上全く同樣な狀態の洞穴の中に、あの地とこの地とでは全く相異なつた種類が住んで居て、然もその種類は相互に似るよりは寧ろ各々その地の普通の目の明いた動物の方に近いといふに至つては、誰が考へても不思議といはざるを得ぬであらう。
[やぶちゃん注:「アメリカ合衆國ケンタッキー州のマンモス洞」現在のケンタッキー州中央部にあるマンモス・ケーブ国立公園(Mammoth Cave National Park)内の、世界で最も長い洞窟群であるマンモス・ケーブ。洞窟群の正式名称は一応、「マンモス・ケーブ・システム」(Mammoth Cave system)である。ウィキの「マンモス・ケーブ国立公園」によれば、『古生代ミシシッピ紀(前期石炭紀)の厚い石灰岩層中に形成されている。石灰岩層の上には砂岩層が水平にかぶさっている。このために全体が非常に堅固な岩層となって』おり、『洞窟の長さは』実に五百九十一『キロメートル』『以上知られているが、新たな通路や他洞窟との接続箇所が今も発見されつづけ、毎年』、『長さが延びている』。伝承では最初の発見は一七九七年とされる。
「オーストリヤ領のクライン地方」スロベニア中央部地方の地名カルニオラ(スロベニア語:Kranjska)のドイツ語表記(Krain)。位置はウィキの「カルニオラ」を参照されたいし、序でにウィキの「ホライモリ」と合わせて読まれれば(同種はクロアチア南西部及びボスニア・ヘルツェゴビナに分布するとある)、腑に落ちるものと思う。]
生物學者の中で、生物種屬不變の説を守つた最後の人はアメリカのルイ・アガシーといふ人であるが、他の學者が皆進化論の正しいことを認めた頃に、尚獨り動物各種は神が別々にその産地に適當な數に造つたものであると主張して居た。マンモス洞から盲目の魚が發見になつたのは、丁度その頃であつたから、アメリカの學術雜誌記者がアガシーに向ひ、この魚も斯かる姿に神によつて造られたものであるか、決して元來目の見える魚が闇黑な洞穴に入つて、盲目になつたものとは考へぬかと尋ねた所、アガシーは之に對して、やはりこの魚は今日の通りの姿に、今日居る場所に今日居る場處に、今日居る位に神が造つたものであると答へた。尤もこのアガシーも死ぬる時分には、遂に進化論の正しいことを承認したとの噂であるが、この人以後には生物學者で生物の進化を否定した人は一人もない。斯かる問答が雜誌に出た故、洞穴の動物を尚一層注意して調べるやうになり、その結果、こゝに述べたやうなことが解つて來たのである。今日知れてあるだけの事實から論ずれば、到底以上の如き考の起らぬことはいふに及ばぬであらう。
[やぶちゃん注:「ルイ・アガシー」(Jean Louis Rodolphe Agassiz 一八〇七年~一八七三年)はスイス生まれのアメリカの海洋学者・地質学者・古生物学者。ハーバード大学教授。氷河期の発見者と知られている。ウィキの「ルイ・アガシー」によれば、当初は『地質学、氷河学に関する研究を行っていたが』、一八四六年に渡、翌年、『合衆国沿岸測量局の調査船で観測する機会を得て以後、海洋学の研究に没頭した。数度に渡る西インド、南米沿岸の調査でドレッジによる底生生物の採集を行い、その調査から大洋と大陸は太古と変わらぬ位置を占め』、『恒久的な存在であるという説を出した』。『水産学に対する貢献も大きく、またチャールズ・ダーウィンの進化論に対する有力な反対者であった』とある。彼の助手となって動物学を学び、後に進化論支持の講演で有名になったのが、かのエドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse 一八三八年~一九二五年)であった。私はカテゴリ『「日本その日その日」E.S.モース 石川欣一訳』を完遂している。]
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