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« 復活のアリス―― | トップページ | 進化論講話 丘淺次郎 第十章 發生學上の事實(4) 四 發生の進むに隨ひて相分れること »

2018/02/20

進化論講話 丘淺次郎 第十章 發生學上の事實(3) 三 發生の初期に動物の相似ること

 

     三 發生の初期に動物の相似ること

 

 凡そ甲殼類は、蝦・蟹の如く生涯活潑に運動する類でも、「ふぢつぼ」の如く岩石の表面に固著して生活する類でも、また他の動物に寄生して何か解らぬやうな形に退化したものでも、その發生の初期には孰れも三對の足を有し、形狀の極めて相似た時代のあることは前に述べたが、之は甲殼類に限ることではない。總べて他の動物の部類でも全く之と同樣である。

 當今の動物分類法では、先づ動物總體を大別して若干の門とし、各門を更に綱・目に分つが、同門・同綱に屬する動物は、皆その發生の初期には形狀が頗る相似て、容易に識別の出來ぬ位なものである。門の數は分類者の意見によつて多少違ふが、通常八つか九つと見倣して置いて差支へはない。その中には形が小くて見えぬために、普通人の知らぬものもあれば、また人間の生活に直接の利害の關係の少いために、人の注意せぬものもあるが、その主なるものを擧げれば、第一には人間を始め鳥・獸・蛇・蛙・魚類等の如く、身體の中軸に脊骨を有する動物を總括する脊椎動物門、第二には蝦・蟹類・昆蟲類・蜘蛛・百足等の如き身體の表面が堅くて澤山の節があり、足にも各々若干の關節を具へた動物を總括する節足動物門、第三には蜆・蛤・榮螺・田螺または章魚(たこ)・烏賊(いか)の如く、身體は柔くして全く骨骼なく、單に表面に介殼を被るだけの動物を總括する軟體動物門、第四には、「うに」・「ひとで」・「なまこ」等の如く、皮膚の中に夥多の石灰質の骨片を具うる動物を含む棘皮動物門、第五には蚯蚓・「ごかい」等の如き、骨がなくてたゞ身體に節ある動物等を含める蠕形動物門などである。これらの中から同門・同綱に屬する動物を幾つか取出して、その發生を調べて見ると、多少の例外はないこともないが、大部分は全く前に述べた通りで、その初期に當つては極めて相類似して居る。

[やぶちゃん注:「動物分類法」現代の分類学は分子生物学の急速な発展によって、アイソザイム(Isozyme:酵素活性がほぼ同じでありながら、タンパク質分子としては別種(アミノ酸配列が異なる)酵素)分析(アイソザイムは遺伝子型を反映していることから、間接的な「遺伝子マーカー」として利用出来る)や直接のDNA解析が進み、その新知見に基づく最新の科学的系統学の知見を反映させた新体系に組み替える動きが盛んであるが、基本的には丘先生の時代の旧来のリンネ式の生物分類は、概ね、一般的には有効に維持されてはいる。以下、丘先生は分類階層を動物の「門」(英語:phylum, division/ラテン語:phylum, divisio)から始めておられる。我々の日常の生物分類では、この「門」の上の階層は植物と動物と何となく細菌みたようないい加減な認識であって、あまり問題とされないが、現代の生物分類学に於いては最上階に「ドメイン」(英語:domain/ラテン語:regio(レギオー))があり、そこでは基礎的なゲノムの進化の違いを反映して、現行で一般的なものとしては、三つのタクソン(taxon:生物分類に於いて「ある分類階級に位置づけられる生物の集合」を指す。分類群)に分け、「真核生物ドメイン」・「真正細菌ドメイン」・「古細菌ドメイン」とする(嘗ては「域」と訳されたが、現行では「ドメイン」が一般化した)。次に「門」の上の「界」(英語:kingdom/ラテン語:regnum)となる。伝統的にはここで「動物界」と「植物界」の二つのみが長く認められてきた(二界説)が、これはある意味で最早、科学的とは言えなくなりつつあり、その後、動物界・植物界・原生生物界の三界説を経て、一九六九年以降の五界説が登場する。これは「モネラ界 Kingdom Monera」(原核生物の細菌類及び藍藻類。後の一九七七年以降にリボソームRNAの研究で原核生物が「真正細菌界」と「古細菌界」に分けられ、それがさらに最上階層の「ドメイン」に上層変更された)・「原生生物界 Kingdom Protista」・「植物界 Kingdom Plantae」・「菌界 Kingdom Fungi」・「動物界 Kingdom Animalia」に分けられる。少なくとも、現行の論文等でもこの五界説に拠る記載を見ることが多いので、我々一般人はこの説の分類認識で特に困ることはないと私は考えている。なお、私は私の好きな海産生物の正式な分類や種同定では、「国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)」の「BISMaL」(Biological Information System for Marine Life:海洋の生物多様性情報、特に生物地理情報を扱うデータシステム)を使用することにしているが、その分類では二〇〇五年の「国際原生動物学会」で示された真核生物の新しい見た目六つのスーパーグループ(supergroup:旧来の「界」ではなく、一九八〇年代頃より提唱され始めた真核生物の高次分類群)にほぼ基づいたツリーで分けられている。

「門の數は分類者の意見によつて多少違ふが、通常八つか九つと見倣して置いて差支へはない」というのは、文脈から動物に限っての謂いであるが、現行の「門」のタクソンは生物全体では百門近くに分けられている。詳しくはウィキの「門」を参照されたいが、そこを見ても三十五門を数える。例えば、高等学校の生物学の参考書と冒頭から筆者が謳う岡村周諦著「生物學精義」(大正一四(一九二五)年瞭文堂刊)の(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)の動物の分類」(リンク先はその冒頭頁)を見ても、「原生動物」(多様な原始的な微細な単細胞生物で動物的なものの投げ入れ場所。現在では分類群名としては使われず、大まかな総称として生き残っているだけである)・「海綿動物」・「腔腸動物」・「扁蟲動物」(現在の扁形動物門)・「圓蟲動物」(現在の線形動物門)・「環蟲動物」(現在の環形動物門)・擬似軟体動物(シャミセンガイ等の腕足動物門やコケムシ(外肛動物門)等をゴチャ混ぜにしたトンデモ玩具箱のような門)・棘皮動物・環蟲動物(現在の環形動物門)・節足動物・軟體動物・脊索動物門の十二にしか分類していないしかも、この内の原生動物と特に擬似軟体動物はご覧の通りの生物学者自身が口にしたくないブラック・ボックス的存在であり、そうポピュラーな生物たちではなかった。また、原生動物や環蟲動物は一般的には微細であって虫眼鏡や顕微鏡によらないと細かな観察出来ないから、それら三つを外すと「九つ」となり、丘先生の謂いがしっくりくる。実際、小学生の頃の私も、その程度の認識だった。本書「進化論講話」の初版は明治三七(一九〇四)年、底本は、その同じ大正一四(一九二五)年九月刊の『新補改版』(正確には第十三版)で、そもそもが、これは御大層な教科書ではなく、一般大衆向けの進化論の解説書なのである。

「章魚(たこ)・烏賊(いか)の如く、身體は柔くして全く骨骼なく、單に表面に介殼を被るだけの動物を總括する軟體動物門」やや問題がある。ウミウシのような後鰓類やイカ類の場合は表面ではなく、体内に殻(の痕跡)を有するからである。

「夥多」「くわた」。おびただしく多いこと。或いは「あまた」と当て訓している可能性もある。

「蠕形動物門」現在の環形動物門。]

 

Sekituidoubutunotaiji

[脊椎動物の胎兒の比較

(上段左より)魚 蠑螈[やぶちゃん注:「ゐもり(いもり)」。] 龜

(下段左より)豚 牛 兎 人間]

[やぶちゃん注:底本はブラック・バックでおどろおどろしく見えてしまう(と私が判断し)、講談社学術文庫版の画像を用いた。]

 

 人間の一二箇月の胎兒と鷄卵を、二三日溫めた頃の雛の出來かゝりとが互に相似て居ることは、既に前にいうたが、人間と鷄とだけに限らず、他の鳥類・獸類は素より、蛇でも、龜でも、魚類でも、凡そ脊椎動物なればその發生の初期には大體に於て皆相似たものである。こゝに掲げた八つの圖は脊椎動物の中から八つの違つた種類を選み出して、その發生中、人間の一箇月位の胎兒に相當する頃の形狀を列べ寫したものであるが、上の段の左の端にあるのが魚、次が蠑螈[やぶちゃん注:「ゐもり(いもり)」。]、次が龜、右の端が鷄で、下の段では左の端が豚、次が牛、次が兎、終りが人間の胎兒である。孰れも實物から寫生したものであるから、略圖ではあるが決して間違ひはない。この通り萬物の靈と自稱する我々人間も、我々の常に打ち殺して食ふ牛・豚・鳥・魚なども、この時代にあつては殆ど區別は附かぬ位で、あれとこれとを取り換へて置いても容易には解らぬ位に好く似て居る。

 節足動物中の甲殼類のことは前に例に擧げたが、次なる軟體動物は如何と見るに、之も同樣で、蛤でも牡蠣でも榮螺でも鮑でも、發生の初期には皆極めて小い幼蟲で、體の前端にある纖毛の輪を振り動かして海面を泳いで居るが、その狀は孰れも同じやうで、なかなか識別は出來ぬ。寒冷紗[やぶちゃん注:「かんれいしや(かんれいしゃ)」荒く平織に織り込んだ布。織り糸には主に麻や綿などが用いられたが、現在ではナイロンにとって変わった。ここは所謂、プランクトン・ネットのことである。]で囊を造つて海の表面を引いて步くと、目に見えぬ程の小いものが澤山に入るが、之を顯微鏡で調べると、かやうな幼蟲が幾らでも見える。その中には蛤になるべきものも、牡蠣になるべきものも、榮螺になるべきものも、鮑になるべきものもあらうが、形が似て居るから實際生長させて見なければ何になるか前からは解らぬ。特に蜆・蛤の如き二枚の介殼を有する類と、榮螺・鮑の如きたゞ一個の卷いた介殼を有する類とに別けて論ずるときは、かやうに相似た時期が更に長くて、愈々二枚貝の幼蟲とか卷貝の幼蟲とかいふことが解るだけに生長してからも、尚餘程の間は二枚貝の中の何といふ種類の子であるか、卷貝の中の何といふ種類の子であるか解らぬ。海岸に打ち上げられて居る介殼だけを見ても、貝類には形狀の異なつたものの甚だ多いことが直に解るが、その發生の初め幼蟲として海面を泳ぐ時代に互に善く似て居る具合は、人間・牛・豚などが胎内發生の初めに暫時同じ形を呈するのと毫も違はぬ。

[やぶちゃん注:ここに出る貝類のそれは、軟体動物の殆んど(頭足類は除く。次の章で丘先生も例外として挙げられておられる)で見られるトロコフォア(Trochophore:担輪子(たんりんし)。軟体動物や環形動物の幼生に多く見られるライフ・ステージの一時期)及び、通常ではその次のステージであるベリジャー幼生(veliger larva:被面子幼生。概ね、鰭のように広がった部分に繊毛を生やして浮遊生活を行う)を指している。特にここでは後者を指示していると読むべきであろう。]

 

Kyokuhidoubutu

[棘皮動物の例

 一 ひとで  二 うに  三 なまこ]

[やぶちゃん注:キャプションの数字が画像の中に打たれており、講談社学術文庫とは指示数字が異なることによる。国立国会図書館デジタルコレクションの画像を補正(異様に暗いのでハレーションのように明度を上げた)して示した。ちょっと見づらいが、ヒトデは「一」の左下に一個体、その左後方の岩(或いは海綿か)の上に一個体が描かれている。但し、ナマコはいいとして、左のウニは口器を正面に向けており、生態画としてはあり得ない、おかしな絵である。]

 

 棘皮動物の中に含まれてゐる「うに」・「ひとで」・「なまこ」は生長の終つたものを互に比べて見ると、隨分甚だしく違つたものである。「うに」は稍々扁平な球形をなし、表面全體に棘が生えて恰も刺栗[やぶちゃん注:「いがぐり」。]の如く、「ひとで」は五本の腕を有し、圖に書いた星の通りであるから、西洋諸國では之を海の星と名づける。また「なまこ」は細長い圓筒形で、澤山の細かい突起が縱に五本の線をなして列んで居る故、頗る胡瓜に似て居る。斯く互に違ふものであるが、その發生を調べると、初めの間は實に甚だしく相似たもので、孰れも親とは全く形狀が違ひ、纖毛の列を振り動かして、海の表面に浮いて居る。貝類の幼蟲でもこの類の幼蟲でも、極めて小い透明なもの故、實際生きたものを顯微鏡で見なければ、なかなか想像することもむずかしい。

[やぶちゃん注:棘皮動物の発生初期の幼生は概ね、ウニとクモヒトデ類(棘皮動物門 クモヒトデ(蛇尾)綱 Ophiuroidea)ではプルテウス幼生(pluteus larva)と呼び、特にウニのそれはエキノプルテウス幼生(echinopluteus larva:当初は四本の腕を持ち、六腕期を経過後、八腕期で変態して稚ウニとなる)、クモヒトデではオフィオプルテウス幼生(Ophiopluteus larva:「く」の字型の中央に、短い六本の腕が付いた形状を成す)と呼ぶ。通常のヒトデ類ではビピンナリア幼生(bipinnaria larva:体表面に複雑な曲がりくねった形の繊毛帯を有し、その一部が三対の突起となって突き出した状態を指す。後にそれが有意に長い突起として伸び出したものを別にブラキオラリア幼生(brachiolaria larva)と呼ぶ)、ナマコ類ではアウリクラリア幼生(auricularia larva:五対の突起を有し、各突起の基部には球状体がある。さらに最後端の両側の突起の基部には星形の骨片を持つ。この幼生はさらに樽形のドリオラリア幼生(doliolaria larva)となり、さらに変態して触手をもったペンタクラ期(pentacularia)を経て成体となる)と呼んで区別する。

「うに」は英語で“sea urchin”(海の針鼠)が一般的だが、“sea chestnut”(海の栗)とも呼ぶ。

「ひとで」は英語通称で“sea star”“star fish”“starfish”(海の星)。

「なまこ」は英語通称で“sea cucumber”(海の胡瓜)。]

 以上は極めて簡單に、動物は發生の初めに當つて互に著しく相似るものであることを説いたに過ぎぬ。詳細なことに至つては素より白身で實物を研究しなければ到底明に知ることは出來ぬが、大體は先づこゝに述べた通りに考へて誤はない。そこで斯くの如く、生長してしまへば全く異なる動物が、發生の初めだけ揃つて相似るといふことは、決して偶然なこととは思はれぬ。一つか二つより例のないことならば、或は何か偶然の原因で生じたかとも思はれるが、孰れの門、孰れの綱の動物を取つても、その大部分が、かやうな性質を示すのを見れば、之には何か全部に通じた一大原因が無ければならぬ。若し同門・同綱に屬する動物は皆共同の先祖より降つたものとしたならば、この原因は直に解るが、生物各種を萬世不變のものと見倣すときは、斯かる現象の起る理由は到底何時までも解らぬであらう。

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