芥川龍之介 手帳12 《12―17・12-18》
*
《12―17》
○Söderberg : (Anatole Fran)
{Strangers short
{Errors long
{Martin Birk's Youth.
{Dr. Glas
[やぶちゃん注:「Söderberg」ヤルマール・セーデルベリィ(Hjalmar Söderberg 一八六九年~一九四一年)はスウェーデンの翻訳家で、ストリンドベリと並ぶスウェーデンのモダニズムを代表する小説家でもある。フランスの作家で芥川龍之介が傾倒したアナトール・フランス(Anatole France 一八四四年~一九二四年)の主要な作品をスウェーデン語に訳しており、以上の丸括弧メモはその覚書きであろう。他にもモーパッサン・ミュッセ・ハイネといった作家の翻訳も手がけている。
「Strangers」セーデルベリィの一九〇三年刊の短篇小説(原題)“Främlingarne”の英訳。
「Errors」セーデルベリィの長篇小説らしいが、不詳。最初の文壇デビュー作は長篇小説で一八九五年刊の“Förvillelser”であるが、これは彼の英文ウィキでは“Delusions”と訳されている。この英語は「惑わし・欺き」「迷い・惑い・妄想・思い違い」「被害(誇大)妄想」「妄想」の意であるから、当たらずとも遠からずの感じがするから、これか?
「Martin Birk's Youth.」原題“Martin
Bircks ungdom”。一九〇一年刊。
「Dr. Glas」一九〇五年刊の小説。原題“Doktor
Glas”。「医師グラスの殺意」として邦訳が出ているらしいが、とあるブログ記事(こちら)によると、訳が話にならないほど酷いそうである。]
〇La Rôtisserie de la Reine Pédauque
[やぶちゃん注:アナトール・フランスの一八九二年作の“La Rôtisserie de la reine Pédauque”。「鳥料理レエヌ・ペドオク亭」という邦訳で出されたことがあるらしいが、訳の評判は良くない。ネット上の記載を読むと、錬金術やオカルティックな彼の初期の異色作らしい。]
○京
⑴川馬 女 弟――弟兄をたづぬ
祭弟 兄は何大納言にあり
馬をつれし男にきく
なしと
リレキ
⑵弟何大納言に行く 侮蔑 盜賊の噂
⑶祭
騷動 女をすくふ 著聞集
>
且女を救ふ兄を見かく 鬪諍
⑷女弟捕はる 牢内 婆來る 手紙
[やぶちゃん注:これも「偸盗」の構想メモであるが、寧ろ、これは彼の「偸盗」改作用のメモかも知れない。実は「偸盗」には執筆中から芥川龍之介自身、不満が相当に鬱積していた模様で、例えば、一回目の脱稿(大正六(一九一七)年三月十五日。現在の「一」から「六」までのパート)直後の三月二十九日附松岡譲宛書簡(旧全集書簡番号二七三)では、『「偸盜」なんぞヒドイもんだよ安い繪双紙みたいなもんだ中に臨月の女に堕胎藥をのませようとする所なんぞある人は莫迦げていゐると云うふだらうその外いろんなトンマな噓がある性格なんぞ支離滅裂だ熱のある時天井の木目が大理石のやうに見えたが今はやつぱり唯木目にしか見えない「偸盜」も書く前と書いた後とではその位差がある僕の書いたもんぢや一番惡いよ一體僕があまり碌な事の出來る人間ぢやないんだ』と告白しており、二回目の脱稿直後(同年四月二十日。但し、その掲載は何故か、二ヶ月後の七月一日(無論、同じ『中央公論』)の同じ松岡への書簡(四月二十六日クレジット(消印は前日)・旧全集書簡番号二八一・次の二八二と連送葉書で頭に『⑴』とある)では、冒頭から『偸盜の續篇はね もつと波瀾重疊だよ それだけ重疊恐縮してゐる次第だ』『何しろ支離滅裂』だ、『僕が羽目をはづすとかう云ふものを書くと云ふ參考位にはなるだらう とにかくふるはない事夥しいよ』そのナーバスな感じは、かなり深刻なものであることが判る。しかも、同年五月七日附松岡書簡(旧全集書簡番号二八七)では、「續偸盜」を脱稿したばかりであるにも拘わらず、『偸盜を大部分書き直しかけている。九月にどこかへ出してもらふつもりで』と記しているのである。しかも、それから十八日後の中根駒十郎宛書簡(旧全集書簡番号二九〇)では、『「偸盜」なるものは到底あのままで本にする勇氣はなしその上改作をこの九月に發表する雜誌まできまつてゐる』とさえ記している(しかし誠に残念なことに、この改稿草稿は現存しない)。ところが、同年七月二十六日附松岡譲宛書簡(三〇七)では急激にトーン・ダウンしてしまい、『偸盜はとても書き直せ切れないから今年一ぱい延期して九月には新しいものを二つ出さうと思つてゐる』と、諦めと新規巻き直しによる他の構想への興味の転換が起ってしまっていることが判る。それでも、彼の「偸盜」の大幅な改作意欲自体(それだけ、実は芥川龍之介にとって「偸盜」は実は捨て難い秘かな偏愛作であったのである。私も非常に好きな一作である)は内的には旺盛であり続け、書簡では三年も経った大正九(一九二〇)年四月二十六日附小島政二郎宛書簡(旧全集書簡番号七〇七)では、小島の近作(「睨み合ひ」)を褒め上げた(多少の瑕疵箇所への助言も添えている)上、最後の二伸で『僕も「睨み合」[やぶちゃん注:ママ。]に發奮して「偸盜」の改作にとりかゝりたいと思ひます』と言い添えている。しかし、またしても残念なことに、平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版刊「芥川龍之介作品事典」の「偸盗」の須田千里氏の解説によれば、この『言及を最後に、改作は結局実現を見なかった』のであった。なお、「偸盜」は芥川龍之介生前の単行本には未収録である。
「⑴」の内容はエンディングの「丹後守何某」のシークエンスに似ているが、「大納言」は決定稿には出て来ない。もしこれが、あの最後のシーンだとするならば、「⑵」「⑶」「⑷」は現行の展開とは異なる、改作による「續偸盜」(初出の第二回の題名)の「續々偸盜」の構想の可能性さえ考え得るのである。
「著聞集」現行の芥川龍之介の「偸盜」は「今昔物語集」からは、複数の話(凡そ七篇)が素材とされていることが判っているが、芥川龍之介は「今昔物語集」の「卷第二十九」に「或所女房、以盜爲業被見顕語第十六」(或る所の女房、盜みを以つて業(わざ)と爲し、見顕(みあらは)さるる語(こと)第十六)という題名しか残っていないものから、欠損した本文が類話であろうされる、後の「古今著聞集」の「検非違使別當隆房家の女房大納言殿、強盗の事露顯して禁獄の事」を素材として用いる用意をしていたのではないかと私は推理する。]
*
《12―18》
⑸破牢 兄弟對面
⑹兄の話 國守の書見(父) 沙金の母 婆は乳母
witch 爺はその夫
⑺
[やぶちゃん注:明らかに改作の「偸盜」案メモと私は読む。]
○「それでね」「それで何さ」「それでおしまひ」
○Mantle & other stories by
Gogol
[やぶちゃん注:ウクライナ生まれのロシア帝国の作家ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ(ウクライナ語:Микола Васильович Гоголь/ロシア語: Николай Васильевич Гоголь/ラテン文字転写:Nikolai Vasilievich Gogol 一八〇九年~一八五二年)の『「外套」他』という英訳の彼の短篇集(彼の名作「外套」(Шинель)は一八四二年刊)。]
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