進化論講話 丘淺次郎 第十二章 分布學上の事實(3) 二 マダガスカル島とニュージーランド島
二 マダガスカル島とニュージーランド島
[擬猴類の一種]
[やぶちゃん注:以上は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像を補正して示した。]
地圖を開いて見るに、深い海によつて大陸から隔てられた大きな島はたゞ二つよりない。一は卽ちアフリカの東に當るマダガスカル島で、他は卽ち太平洋の南部にあるニュージーランド島であるが、この島の動物を調べて見ると、いづれも他に類のない珍らしいものばかりである。先づマダガスカルの方に就いていへば、この島から一番近い大陸は無論アフリカであるが、アフリカ産の鳥獸で、こゝにも居るものは殆ど一種もない。如何なる獸が住んで居るかと見れば、總べて擬猴類[やぶちゃん注:「ぎこうるい」。]といふ目に屬する者で、その著しい例を擧げれば、狐猿といふて狐に猫の皮を被せ、これに猿の手足を附けたやうな獸、指猿というて手足の指の細長い、目の大きな大鼠のやうな獸などであるが、この目に屬する獸類は他には何處に産するかといふに、對岸のアフリカではなくて却つて遙か遠く隔たつた東印度の諸島である。尤も東印度の方では他の獸類が澤山に居るゆから、この島に於ける如くに盛に蔓延つて[やぶちゃん注:「はびこつて(ばびこって)」。]は居ない。元來この擬猴類と稱する目はあまり種類が多くない上に、その分布の區域もマダガスカルと東印度とに限られ、その中でも東印度の方にはあまり澤山にない位ゆえ、今日この奇態な獸類の全盛を極めて居る處は全くこの島ばかりである。
[やぶちゃん注:「擬猴類」哺乳綱曲鼻猿亜目キツネザル下目 Lemuriformes のコビトキツネザル上科コビトキツネザル科 Cheirogaleidae、及びキツネザル上科キツネザル科 Lemuridae(ワオキツネザル属ワオキツネザル Lemur catta が著名)・イタチキツネザル科 Lepilemuridae・インドリ科 Indridae(タイプ種:インドリ属インドリ Indri indri)、さらにアイアイ下目アイアイ科 Daubentoniidae(タイプ種:アイアイ属アイアイ Daubentonia madagascariensis)であるが、以上の種群は孰れもマダガスカル島及びその周辺の島々にのみ棲息する固有種であるから、丘先生の叙述にはどうしても、同じ曲鼻猿亜目 Strepsirhini で、上記の連中と共通の祖先から進化したと考えられるロリス下目 Loriformes に属するロリス科 Loridae(スローロリス属のタイプ種 Nycticebus coucang がよく知られる)を是が非でも加えないといけない。彼らは、マダガスカルにはいないが、バングラデシュ・アッサムからベトナム・マレー半島・ジャワ島・ボルネオ島などの「東印度の諸島」、東南アジアに分布するからである。同下目のガラゴ科 Galagonidae を入れてもよいが、これはアフリカ大陸にのみ分布するので、正直、援護射撃には全くならないのである。]
[大鳥の卵三種 (小いのは普通の鷄卵)]
[やぶちゃん注:これは講談社学術文庫のものを用いた。]
尚その他この島には近い頃まで非常な大鳥が生活して居つた。千六百年代に西洋人が貿易のためにこの島に來た頃に、土人が時々周圍が三尺もあつて、六升も入る位な大きな卵の殼を持つて、酒を買いに來るので、驚いて歸國の後話したが、誰も信ずるものが無かつた所、今より六十年程前、完全な卵の殼を一つヨーロッパに持つて歸つた人があつたので、愈々確となり、骨骼の方は十分完全な標本はないが、卵の方はその後幾つも採れてパリーの博物館だけにも五つ陳列してある。
[やぶちゃん注:絶滅した鳥綱エピオルニス目エピオルニス科エピオルニス属 Aepyornis。ウィキの「エピオルニス」によれば、『マダガスカル島に』十七『世紀頃まで生息していたと考えられている地上性の鳥類。非常に巨大であり、史上最も体重の重い鳥であったと言われ』る。『マダガスカル島の固有種で』、『かつては無人島であったマダガスカル島で独自の進化を遂げ繁栄していたが』、二千年ほど『前からマダガスカル島に人間が移住・生活するようになると、狩猟や森林の伐採など環境の変化によって生息数が急速に減少し、最終的に絶滅してしまった。ヨーロッパ人がマダガスカル島に本格的に訪れるようになった』十七『世紀には既に絶滅していたと言われるが』一八四〇『年頃まで生存していたとする説もある』。『翼が退化しており、空を飛ぶことは全くできなかった』『頭頂までの高さは』三~三・四メートル、体重は推定四百から五百キログラムもあり、ダチョウを遙かに大きく上回っていた(ダチョウは大きい個体でも身長は約二・五メートルで体重は百三十五キログラム程)。『また、卵も巨大であり、現在知られている最大の卵の化石は長さ約』三十三センチメートル、直径約二十四センチメートルで、ダチョウの卵(長さ約十七~十八センチメートル)の『倍近くもある。また卵の殻の厚さは』三~四ミリメートル、重さは約九~十キログラム(ダチョウの卵で約七個相当、鶏卵換算で約百八十個分)『と推定されている』とある。なお、次段に出るジャイアントモア(Giant Moa)も参照。そちらの方が、身長ではより高く、最も背の高い鳥はそちらとなる(頭頂部までの高さは約三・六メートルあったと推定されている)。]
ニュージーランド島の方は大陸から隔たることが更に遠いが、こゝには獸類は一種も産せず、鳥類・蜥蜴類も餘程奇態なものばかりで、孰れも他國のものとは全く違ふ。「鴫駝鳥」のことは前にも述べたが、鷄位の鳥で翼は殆ど全く無く、羽毛も普通の鳥の毛よりも寧ろ鼠などの毛に似て居る。この外に今は絶えてしまつたが、近い頃まで尚幾種か翼のない大きな鳥が居たが、その立つて居るときの高さが二間[やぶちゃん注:三・六四メートル弱。]以上もある。初めてその骨を發見したのは八九十年前であるが、その後完全な骨骼が幾つも掘り出され、今では二三の博物館に陳列してある。土人間には先祖がこの大鳥と苦戰をした口碑が殘つて居るが、骨や卵殼の具合から見ると、極めて近い頃まで生存して居たものらしい。また蜥蜴の類には「昔蜥蜴」と名づける者があるが長さは二尺以上もあり、形は蜥蜴の通りであるが、解剖して見ると、鰐に似た處も、蛇に似た處も、また龜に似た處もあり、實にこれら四種の動物の性質を兼ね具へた如くに見える。尚奇妙なる點は、左右兩眼の外に頭の頂上の中央に一つ眼がある。尤も之は小いもの故、實際の役には立たぬやうであるが、構造からいへば確に目に違ひない。ニュージーランド産のものは、皆かやうな奇態なものばかりで、他の國々に居るやうな類は、一種も見出すことが出來ぬ。
[やぶちゃん注:『「鴫駝鳥」のことは前にも述べた』直前の段にも出たが、「鴫駝鳥」(しぎだちやう(しぎだちょう))はニュージーランド固有種(国鳥)で「飛べない鳥」と知られる、鳥綱 Aves 古顎上目Palaeognathae キーウィ目 Apterygiformes キーウィ科Apterygidae キーウィ属 Apteryx のキーウィ(Kiwi)類の旧和名。「第九章 解剖學上の事實 一 不用の器官」で既出既注。
「近い頃まで尚幾種か翼のない大きな鳥が居た」絶滅した鳥綱ダチョウ目モア科オオモア属ジャイアントモア(和名:オオゼキオオモア/英名:Giant Moa)Dinornis
maximus。参照したウィキの「ジャイアントモア」にはDinornis
maximus・Dinornis
robustus・Dinornis
novaezealandiae・Dinornis
struthioides の四つ(四種かどうかは怪しい。というよりもシノニムが私には疑われる)を挙げてはある。『鳥類ダチョウ目モア科に属し、頭頂までの高さは』大きな♀で『最大で約』三・六メートル、体重は二百五キログラム『ほどであったと推定されている。現存する最も大きな鳥であるダチョウよりもはるかに巨体であり、絶滅種を含め』ても、『世界で最も背の高い鳥であったとされる』(最も重いのは前に出した。『一度の産卵数は』二~四『個といわれ、また』、『長いくちばしの先が下に曲がっていた。明確な性的二型性を持ち、オスよりもメスのほうが大型で、高さで』一・五『倍、重さで』二・八『倍程度の差があったとされる』。『自然環境の温暖化や繁殖力の低さ、移住したマオリ族による乱獲(砂嚢に小石を溜める習性を利用し、焼け石を呑ませて殺す)によって』、一五〇〇『年代よりも前には絶滅していたと推測される』。『「モア」の呼称の由来については、ヨーロッパ人が原住民(モア・ハンターと呼称されるマオリ人以前の原住民)にモアの骨を集めさせた折に「もっと骨をよこせ」(More bones!)と言ったのを、原住民が鳥の名前と勘違いしたのだと言う説を始め、幾つかの巷説が存在する。ちなみにマオリ人はこの鳥の仲間を「タレポ」と呼んでいた』という。
「昔蜥蜴」爬虫綱喙頭(かいとう)(ムカシトカゲ)目ムカシトカゲ科ムカシトカゲ属 Sphenodon で、現在、Sphenodon punctatus・Sphenodon guntheri の二種が生存しているが、今一種の Sphenodon diversum は一九七〇年代に絶滅してしまった。小学館の「日本大百科全書」によれば、本種は三畳紀・ジュラ紀に栄えた喙頭類の唯一の遺存種で、「生きている化石」と言われる。かつてはニュージーランド全島に分布していたが、人間が持ち込んだネズミ・ネコなどの野生化によって圧迫され、現在はクック海峡のステフェンス島など、北島周辺の小島にのみ棲息している。全長六十~七十センチメートルで、頭部は大きく胴はずんぐりとしており、尾は後半部で側扁する。皮膚は敷石状の細鱗で覆われており、背中線上には飾り鱗が並んでいる。頭骨は普通に蜥蜴(とかげ)型であるが、頭頂部には退化しているように見えるレンズと網膜を備えた頭頂眼(三目の眼)が存在する。この頭頂眼は感光器官と考えられるが、他のトカゲ類では全く痕跡的である点で彼らの原始性が窺われる。肋骨中央部には鳥類や絶滅爬虫類と同様の鉤状を成した突起があり、また、腹部にはワニと同様の軟骨性の腹肋骨を有する。尾は自切し、再生するが、切断箇所は尾椎骨(びついこつ)の中央部である。雄は外部交接器を欠き、総排出腔による接触で体内受精する。産卵数は五から十五個で、二十年ほどかけて成熟し、寿命は百年を超すとも言われている。ミズナギドリなどの巣穴に同居し、夜間に行動してカタツムリ・昆虫などを捕食摂餌する。行動は鈍いが、低温でも活動する。現在はニュージーランド政府機関の厳重な保護下にある、とある。ウィキの「ムカシトカゲ」の記載も非常に細かく、そこに『幼体の吻端には、ワニ目・カメ目と同様の卵角(有鱗目のような卵歯ではない)があり』、『これで卵殻を突き破る』とある。]
斯くの如く世界中で、最も奇妙な、他と變つた動物を産する處は何處かといへば、無論マダガスカルとニュージーランドとであるが、中にもニュージーランドの方には獸類が一種も居ないといふのは、更に奇妙である。然も獸類が住めぬ譯では無く、今では豚も、羊も、大も、猫も、澤山にあり、豚の如きは野生で無暗に繁殖し、農業の邪魔となる程になつた。所で地圖によると、この二つの島は地理上にも他に類のない位置を占めて居る。世界中で稍々大きな島といへば、悉く大陸と接近したものばかりで、大陸との間の海も淺いものであるが、この二島だけは大陸との間の海が甚だ深くて、たとい海水が千尋[やぶちゃん注:既注。水深に用いる場合は一尋(ひろ)は一・八一六メートルであるから、千八百十六メートルとなる。マダガスカルとアフリカ大陸を隔てるモザンビーク海峡は幅は最も狭い所でも四百キロメートルあり、最深部は実に凡そ三千メートルもある。]減じても、大陸と連絡することはない。倂し地質學上及びその他の點から考へると、一度は大陸と續いて居たものらしい形跡があるが、間の海が斯く深いのから推せば、その續いて居たのは餘程古いことで、日本がアジヤから離れて島となつた時代などに比べれば、何百倍も昔でなければならぬ。若し實際かやうであつた者と假定したならば、この二島に産する動物の奇妙なことは、生物進化の理によつて、略々了解することが出來る。
[やぶちゃん注:現在のインドとアフリカ大陸に挟まれていたゴンドワナ大陸の一部が、モザンビーク造山帯の造山運動の影響を受けて分離し、原マダガスカルが出現したのは約六千五百万年前と考えられている。それに対し、原ユーラシア大陸の東周縁部が海洋プレートの形成によって完全分離し、日本列島のベースになったのは、たかだか千五百万年以降(それ以前は本邦の地層の堆積物が淡水性であることが確認されており、大地溝帯である原日本海はまだ巨大な淡水湖だったと考えられている)である。]
動物の種屬が總べて共同の先祖から降つたものとすれば、獸類でも鳥類でも何時の中にか漸々出來た譯故、その以前にはまだ世に無かつたに違ひないが、獸類のまだ出來なかつた頃か、または獸類がそこまで移つて來ない前に、島が大陸から離れたならば、後に大陸の方で獸類が追々出來ても、その島には移ることが出來ず、遂にそのまゝ獸類なしに濟む筈である。ニュージーランドの如きは、恐らく斯かる歷史を經て來たのであらう。また擬猴類と稱する目は、獸類の中でもカンガルー族の次に最も古い類で、化石を調べて見ると、カンガルー族に次いで出て來るが、世界上にまだ他の高等な獸類が出來ず、僅に狐猿の族が蔓延つて居た頃に、島が大陸から離れたとすれば、その島には、後に至つても他の獸類が入り來ることなく、初めその島に居たものの子孫だけで、獨立に進化して行く筈である。マダガスカルは恐らくかやうにして出來たものであらう。その頃アフリカの方に續いて居たか、印度の方に續いて居たかといふやうな詳なことは素より解らず、今後地質調査や海底測量が進んでもたゞ多少推察の手掛りを得るに過ぎぬであらうが、孰れにしても不思議ならざる天然の方法によつて、今日の有樣に達したものと考へることが出來る。
[やぶちゃん注:「その頃アフリカの方に續いて居たか、印度の方に續いて居たかといふやうな詳なことは素より解らず」前段の注で私が示した通り、マダガスカルは両方に続いていたのである。だからこそ、マダガスカルにはいないが、共通の祖先から進化したと考えられるロリス下目 Loriformes に属するロリス科 Loridaeがバングラデシュ・アッサムからベトナム・マレー半島・ジャワ島・ボルネオ島などの「東印度の諸島」、東南アジアに分布するのであり、まただからこそ、アフリカ大陸のみに同下目のガラゴ科 Galagonidae が分布するのである。]
以上は無論單に想像で、到底直接に證據立て得べき性質のことではないが、地殼の變動と生物の進化とを認めさへすれば、現今見る所の不思議な動物の分布も、自然の經過によつて出來得るものといふだけが解り、詳細の點は知れぬながらも、大體の理窟は幾分か察することが出來る。若し之に反して生物は萬世不變のものとしたならば、こゝに述べた如き奇妙な分布の有樣は、いつまで過ぎてもたゞ不思議といふだけで、少しも譯の解るべき望もない。
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