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2018/02/03

芥川龍之介 手帳12 《12-4》

《12-4》

○内外經驗の差

○紺蛇目傘をもれる光とおしろいをつけた顏

〇二枚爪のはへた如く不安

○耳に水のはいつたやうなもどかしさ

○磨く物もない石白をひく

○陶器のやうな白眼

○心は鼠花火の如く𢌞轉した

○卷莨の灰がいつ迄長くたまつたやうな不安

○キスしてさうして敷物のすみをなほす

○菊のやうな白さ

○雨と机の上のカルタ

[やぶちゃん注:通常人が見れば、これは芥川龍之介の試験的な表現集のように見えるであろうし、私もまずそれを考えはする。しかし、私のように自由律俳句の句作経験を経て来た者には、最初の「内外經驗の差」以外総てが、恰も芥川龍之介が作った自由律俳句のように受け取れるのである。自由律俳句とした時の句の間の空け方を試み示すなら、

 

紺蛇目傘(こんじやのめがさ)を/もれる光と//おしろいをつけた顏

二枚/爪のはへた如く//不安

耳に/水のはいつたやうな//もどかしさ

磨く物もない//石白をひく 〈★〉

卷莨(まきたばこ)の灰が/長くたまつたやうな//不安

キスして/さうして/敷物のすみを/なほす 〈★〉

菊のやうな白さ

雨と//机の上の/カルタ 〈★〉

 

前にも述べたが、芥川龍之介に兄事した作家滝井孝作は『層雲』の俳人でもあったし、芥川龍之介も多少、新傾向俳句に色気があり、有意な破調は勿論、明らかなや新傾向(書簡中に一時期、頻繁に出ており、それは破調ではなく、明確に新傾向俳句として創作していることを周囲の友人や自分が確信犯として認識しているケースもある)とはっきりと断じ得る句も実際にある。但し、少なくとも、俳句として公にしたものや、書簡で自信を以って複数の親しい知人に示している句の中には自由律のものは見当たらない。しかし、層雲系に限らず、自由律俳句は大正期と昭和初期(特に顕著なのはプロレタリア俳句運動の一グループの中で)には、定型俳句を圧倒するほどに流行ったから、芥川龍之介が全く無関心であったことは、寧ろ、不自然であり、自身のメモ帳の中で、『俺なら例えばこう作ってみるかも知れない』として記した可能性は十分に考えられるのである。されば、私は既に「やぶちゃん版芥川龍之介句集 五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」の中で、疑義としつつも、以上を芥川龍之介の自由律俳句である可能性が高いとして電子化している。特に、前の私の書き改めたものの内で、最後に〈★〉を示したものは、私はまごうことなき、確信犯の自由律俳句と考えているものである。何故なら、同時期の自由律俳句の知られた句の中に酷似した構成のものを幾らも見出せるからである。]

 

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