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2018/02/06

宮澤賢治の「文語詩稿 一百篇」の巻頭にある詩篇「母」の草稿から定稿までの推敲順推定電子化

 

[やぶちゃん注:「校本 宮澤賢治全集 第五巻」(昭和四九(一九七四)年筑摩書房刊)の本文と校異を参考に作成した。
漢字は恣意的に概ね正字化した。

 本詩篇は宮澤賢治が生前に多田保子編集発行になる雑誌『女性岩手』第四号(昭和七(一九三二)年十一月発行)に同じ「文語詩稿 一百篇」に載る「祭日」「保線工手」とともに掲載された。

 現存する草稿及び清書稿と称するもの自体は全部で三種あり、底本では本文と校異での提示を含めて、詩篇としては四種が載るが、ここでは以下のような仕儀を以って、全七篇を推定復元した

 ところが、この内、「清書稿」と呼称しているものは、底本では原稿原物から起したものではなく、川原仁左ヱ衛門編著「宮沢賢治とその周辺」(私家版・昭和四七(一九七二)年刊)の口絵写真に載るものから起されたものであり(恐らくは底本編集時(昭和四十九年)に原稿提供がなされず、現存は不明なのかも知れぬ)、しかもそれは発表されたものとは微妙な違いがある(概ね、誤植と考えられはする)のである。

 しかも、ややこしいことに、底本で「定稿」と呼んでいるものは、雑誌『女性岩手』に載ったものではないことに注意しなければならない。これは「文語詩稿 一百篇」全篇を賢治が清書したのが、『女性岩手』に発表した後のことと推定されることから、その発表後の清書時に書き換えたものを以って「定稿」と呼んでいる原稿を指すのである。

 そうしてそれに追い打ちをかけるように、最後の書き直された定稿原稿は焼失したらしく、現存しない。則ち、底本で「定稿」と呼んでいるそれは、賢治の第二全集(賢治の没した昭和八(一九三三)年の翌年に文圃堂から出版された第一全集の紙型を買い取った十字屋書店がそれを増補する形で昭和一四(一九三九)年から翌年にかけて出版したもの)に掲載されているものを校訂したもので、存在しないのである。

 本電子化では、底本の校異に示された原稿の推敲痕を、解説を参考に、可能な限り、順序を推定し、種+定稿の篇を示した。但し、抹消を戻したりした箇所は再現していないし、細部の書き換えは、前後の同様の書き換えと共時的に行われたものかどうかまでは不明であるから、仮定されるヴァリェションは厳密にはもっと遙かに増える。特に底本の「下書稿(二)」の後の推敲過程(前の矢印の下に※を附した)の中の第二連部分は錯雑が異様に激しく、纏まった再現そのものが困難であった。底本の校異によれば、同じ鉛筆・別の鉛筆・藍色のインクの三種類の筆記用具による手入れが現認出来る、とある。則ち、「下書稿(二)」の原形態を含めても、そこでは最低でも四段階か、それ以上の推敲形が賢治の頭の中には存在したと考えてよい。ところが、その三種の異なった筆記用具の推敲を一つの詩句として、いくら、ジョイントしてみても(実際に五篇ほど作製してみたのだが)、上手く韻律や意味が繋がらない。されば、「※」の第二連部分については、仮定稿推敲推定表示を最終形と推定されるものの表示のみに留め、完全に諦めた

 なお、最初の下書き稿には標題がない。また、「定稿」と称するものの四行書きの一行中の中間部字空けで下部の詩句上部インデント、及び、二連構成の中間三行(程)空けという特異な表記もママである。

 「雪袴」(ゆきばかま)とは、主に雪国で用いる裾を締めた、相撲の行司が穿(は)くような括(くくり)り袴(ばかま)風の下衣のことで、「裁っ着け袴(たっつけばかま)」とも呼ぶが、「もんぺ」の地方名ととっても、強ち、誤りではない。されば、その後の「うがつ」は「穿(うが)つ」であって、その「黑」い「雪袴」を「穿(は)く」の意である。

 「喰ましめ」は後の改稿で判る通り、「はましめ」と読んでいる。「食わせる」に同じい。

 「うなゐ」は「髫」「髫髪」で、髪を項(うなじ)の辺りで切り揃えて垂らしておく、昔の小児の髪形を指し、そこから転じて「うなゐのこ」或いは単に「うなゐ」が「小児・小さい子」の意となったものである。【2018年2月6日 藪野直史】

 

 

幾重なる松の林を

鳥の群はやく渡りて

風澄める四方の山はに

うづまくや秋の白雲

 

雪袴黑くしがちし

その子には瓜を喰ましめ

みづからは紅きすゝきの

穗をあつめ野をよぎる母

 

   ↓(底本「下書稿(二)」のプレ稿推定)

 

      母

 

雪袴黑くうがちし

うなゐの兒瓜食(は)みくれば

風澄める四方の山はに

うづまくや秋の白雲

 

その身こそ瓜も欲(ほ)りせん

齡弱(としわか)きうなゐごの母は

ひたすらに紅きすすきの

穗をあつめ野をよぎりくる

 

   ↓(底本「下書稿(二)」)

 

      母

 

雪袴黑くうがちし

うなゐのこ瓜食(は)み來れば

風澄める四方の山はに

うづまくや秋のしらくも

 

その身こそ瓜も欲(ほ)りせん

齡弱(としわか)きその兒の母は

ひたすらに紅きすすきの

穗をあつめ野をよぎりくる

 

   ↓(※)

 

      母

 

雪袴黑くうがちし

うなゐの兒瓜食(は)みくれば

風澄める四方の山はに

うづまくや秋のしらくも

 

その身こそ瓜も欲(ほ)りせん

齡弱(としわか)きそのこの母にしあれば

手すさびに紅き萱穗を

折りとりて野をよぎるなれ

 

   ↓(以下が底本の「清書稿」)

 

      母

 

ゆきばかま黑くうがちし

うなゐのこ瓜(うり)食(は)みくれば

風澄めるよもの山はに

うづまくや秋のしらくも

 

その身こそ瓜も欲(ほ)りせん

齡弱(としわか)き母にしあれば

手すさびに紅(あか)き萓穗(かやぼ)を

つみ集(つど)へ野を過(よ)ぎるなれ

 

   ↓(以下が『女性岩手』掲載のもの)

 

      母

 

ゆきばかま黑くうがちし

うなゐのこ瓜(うり)食(は)みくれば

風澄めるよもの山はに

うづまくや秋のしらくく

 

その身こそ瓜も欲(ほ)りせん

齡弱としわかき母にしあれば

手すさびに紅き萱穗(かやほ)を

つみ集(つど)へ野をよぎるなれ

 

   ↓

 

   母

 

雪袴黑くうがちし     うなゐの子瓜食(は)みくれば

 

風澄めるよもの山はに   うづまくや秋のしらくも

 

 

 

その身こそ瓜も欲りせん  齡弱(としわか)き母にしあれば

 

手すさびに紅き萱穗を   つみつどへ野をよぎるなれ

 

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