老媼茶話拾遺 耶蘇征罸記曰 / 老媼茶話~全篇電子化注完遂
耶蘇征罸記曰(いはく)
杉浦氏正友の同心のやしき、油屋作右衞門、借地して住せる。或とき、作左衞門女房、夫に申樣、
「あきもあかれもせぬ中なれども、わらわには、いとま玉はり候へ。御身、このたび、きびしく御改めの切支丹にて候へば、本宗に歸り給へと、いくたび申候へども、合點し給はず。夫(おつと)なればとて、天下の御法度(ごはつと)を背きては、現世未來、父子親類への不孝也。」
とて、強(しい)ていとまをとり、家を出(いで)にけるが、窓の障子に古歌を書(かく)。
いてゝいなは心かろしと云やせん世の有樣を人のしらねは
作左衞門、耶蘇宗、改めざるにより、火罪におこなわれける。女房は法華宗たり。此故に、御ゆるしを蒙(こうむり)けり。
或(ある)記にいわく、
南蠻國の人、五月五日の曉(あかつき)、山へ入り、七ツの惡蟲(あくむし)をとり、壺に入レ、山に埋置(うづめおく)事、一七(ひとなぬか)夜晝(よるひる)を經て、掘出(ほりいだ)し、是を見るに、壹ツむし、六ツの惡蟲を喰殺(くひころ)して、其身(そのみ)、堅固(けんご)に、のこりあり。此壹ツの惡むしをも殺し、七惡のむしの、にくを、ほり、其(その)油をとり、鏡にぬり、その後(のち)、かゞみをとぎ、本朝の人に見せしむる。鬼形(きぎやう)・畜類、變體(へんたい)し、見ゆるといへり。
老媼茶話拾遺終
[やぶちゃん注:「或記にいわく」の二字下げはママ。本章を以って「老媼茶話」は終わっている。
「耶蘇征罸記」村田彰氏の資料『国立公文書館内閣文庫蔵『耶蘇宗門制禁大全』解題・翻刻⑴』(PDF)によれば(コンマを読点に代え、注記記号を省略した)、『姉崎正治『切支丹伝道の興廃』によれば、『耶蘇征伐記』は、「正保』(一六四四年~一六四八年)『頃、島原乱後、江戸で出来たものらしい)」とされ、「議論や叙景文なしに史料集録として出来たもので,頗る史実を捕ふべきものがある」、と肯定的に評価されている。また、訛伝としてあげられている点についても、「筆者の態度は頗る冷静に客観的であるから、此等の訛伝も、何か基くところはあつたのであらう」、と推測されている。そして,『耶蘇征伐記』に「少しづゝ増補したもの」が『耶蘇制禁大全』および『耶蘇征罰記』などであるとされる。いずれにせよ、『耶蘇宗門制禁大全』が世に出たのは『耶蘇征伐記』が出た後である、ということは明らかである』(下線やぶちゃん)とある。この「耶蘇制禁大全」というのは幕府側の手になる切支丹制禁に関わる記録集である。
「杉浦氏正友」「杉浦氏正」不詳。或いは「「杉浦氏」の「正友」(親友)の意かも知れぬ。原典を見ることが出来ないので判らぬ。
「やしき」「屋敷」。
「油屋作右衞門」不詳。
借地して住せる。或とき、作左衞門女房、夫に申樣、
「あきもあかれもせぬ中」「飽き飽かれせぬ仲」。
「わらわ」ママ。「妾(わらは)」。
「いてゝいなは心かろしと云やせん世の有樣を人のしらねは」整序して示す。
出でて去(い)なば心輕しと云ひやせん世の有樣(ありさま)を人の知らねば
「或(ある)記」不詳。但し、以下に書かれているのは、所謂、「蠱毒(こどく)」或いは「巫蠱(ふこ)」と呼ばれる、古代中国から伝わり、道教や陰陽道等に受け継がれていった呪術であることは判る。ウィキの「蠱毒」によれば、『動物を使うもので、中国華南の少数民族の間で受け継がれている』。『犬を使用した呪術である犬神、猫を使用した呪術である猫鬼などと並ぶ、動物を使った呪術の一種である。代表的な術式として『医学綱目』巻』二十五『の記載では「ヘビ、ムカデ、ゲジ、カエルなどの百虫を同じ容器で飼育し、互いに共食いさせ、勝ち残ったものが神霊となるため』、『これを祀る。この毒を採取して飲食物に混ぜ、人に害を加えたり、思い通りに福を得たり、富貴を図ったりする。人がこの毒に当たると、症状はさまざまであるが、「一定期間のうちにその人は大抵死ぬ。」と記載されている』。『古代中国において、広く用いられていたとされる。どのくらい昔から用いられていたかは定かではないが、白川静など、古代における呪術の重要性を主張する漢字学者は、殷・周時代の甲骨文字から蠱毒の痕跡を読み取っている』。『「畜蠱」(蠱の作り方)についての最も早い記録は、『隋書』地理志にある「五月五日に百種の虫を集め、大きなものは蛇、小さなものは虱と、併せて器の中に置き、互いに喰らわせ、最後の一種に残ったものを留める。蛇であれば蛇蠱、虱であれば虱蠱である。これを行って人を殺す。」といったものである』。『中国の法令では、蠱毒を作って人を殺した場合』、『あるいは殺そうとした場合、これらを教唆した場合には死刑にある旨の規定があり』、「唐律疏議」では絞首刑、「大明律」「大清律例」『では斬首刑となっている』。『日本では、厭魅(えんみ)』『と並んで「蠱毒厭魅」として恐れられ、養老律令の中の「賊盗律」に記載があるように、厳しく禁止されていた。実際に処罰された例としては』、(神護景雲二(七六九)『年に県犬養姉女らが不破内親王の命で蠱毒を行った罪によって流罪となったこと』が、また宝亀三(七七二)年には『井上内親王が蠱毒の罪によって廃されたこと』などが「続日本紀」に記されており、『平安時代以降も、たびたび詔を出して禁止されている』とある。しかしながら、ここでは「南蠻國」とあるから、以下は中国の話ではないことになる。が、これはどう見ても中国の「巫蠱」でげすよ!なお、渡来した紅毛人が長崎でいろいろな妖術を見せたという記録はある。例えば実際の鏡ではないが、水盤を鏡のように用いたケースが「耳囊 卷之四 蠻國人奇術の事」にある。私の好きな話である。是非、お読みあれ。
「七惡のむしの、にくを、ほり」判ったようなことを平然と言っているが、生き残った一匹の悪虫から油を搾り出すことは出来ますが、消化されてしまった他の六種の虫の「肉」をそこから「掘り出す」ことは出来ないと思います! はい!
「かゞみ」底本『かゝみ』。「鏡」。
「とぎ」底本『とき』。「研ぎ」「磨ぎ」。
「本朝の人」日本人。]