小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(29) 禮拜と淨めの式(Ⅶ)
近代の家族の祓の形は極めて筒單である。各神道の教區の社は、その教區の者則ち氏子に『人型』といふ影繪のやうな男、女、子供の姿を現はす小さい紙の切れをくれる――この紙は白紙で、不思議な折り方をしたものてある。家々はその家の人數に應じて幾個かの人型を貰ふ――男と男の子には男の形をしたのを、女と娘とには女の形をしたのを。家の各人は、其人型を一つ取つて、自分の頭や、顏や、手足、身體にそれを觸はらす、其間神道の祈禱を唱へ、神々に向つて、知らずし爲したる犯行のために被る不幸や病氣の(神道の信仰に從ふと病氣と不幸とは、神罰てあるといふのであるから)神樣の慈悲に依つて除けられるやうにと祈るのである。人型の上には、それを受け取つた人の年齡と男女孰れかといふ事が書かれる(名は書かない)。そしてその上で人型はすべて教區の社にかへされる。すると其處で淸めの式と共にそれが燃やされるのである。こんな風にして社會は六箇月每に『不淨を拂はれる』のである。
[やぶちゃん注:「觸はらす」やや不審。原典は単に“touches”であるから「觸貼らす」では無理がある。「觸(ふ)れ這(は)はらす」ではあるまいか? 平井呈一氏は『をなでて』と訳しておられる。]
昔のギジシヤ、ラテンの都會にあっては淨めの式に伴なつて人名登簿といふ事があつた。式への各市民の出席は、極めて必要な事で、故意に出席しないものは、笞刑に處せられ、または奴隷として賣られた程であつた。これに缺席するのは市民權の喪失となるのである。古い日本に於ても、社會の各員は、式に出席する事を以て責任とされて居た。併し私はその折に人名登簿が爲されたかどうかまだ知らない。恐らくそれは不用な事であつたらう、日本の個人は官廰の方からは認められなかつたのであるから。家族の一團のみが責任を有したので、その家の各個の出席は、家の一團の責任に依つてきめられた事であらうと思はれる。人型を用ふる事――それに禮拜者の名を記さず、只だその男女孰れかと年齡とをのみ記す――は恐らく近代的の事で支那起原の事であらうと思ふ。官廳の登簿なるものは極古い時代にもあつた、併しそれは御祓ひとは何等特別な關係はなかったらしい。そしてその登簿なるものは、神道でもつて居たのではなく、佛教の教區の僧に依つて保存して居たらしい……。御祓ひについての、これ等の意見を終るにあたつて、私は偶然に宗教上の汚れを招いた場合、竝びに或る一人が公共の祭祀の規則に關して罪を犯したと判斷された場合には、特別な儀典がそのために爲されたのは言ふまでもない事てある事を一言する。
[やぶちゃん注:「各市民」は底本では「各 民」と植字が落ちている。原文は“The attendance of every citizen
at the ceremony”なので「市民」とした。平井氏も『市民』である。
「その登簿なるものは、神道でもつて居たのではなく、佛教の教區の僧に依つて保存して居た」檀信徒の名簿となる過去帳、及び、切支丹や日蓮宗の不受不施派を取り締るために江戸幕府が強制していた宗門改帳を指している。]
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