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« 進化論講話 丘淺次郎 第十一章 分類學上の事實(1) 序 | トップページ | 進化論講話 丘淺次郎 第十一章 分類學上の事實(3) 二 幾段にも分類を要すること »

2018/02/21

進化論講話 丘淺次郎 第十一章 分類學上の事實(2) 一 種の境の判然せぬこと

 

     一 種の境の判然せぬこと

 

 以上述べただけから見ると、動植物を分類するのは何でもないことで、誰にでも直に出來そうであるが、實際澤山に標本を集めてして見ると、非常に困難で、決して滿足に出來るものではない。種類を知ることの少い間、標本の多く集まらぬ内は、蹄の一つあるものは馬である、角に枝のあるものは鹿であると、簡單にいうて居られるが、今日の如くに種類の多く知られて居る時代に、十分に標本を集めて調べ始めると、分類の單位とする種の境を定めることが、既になかなか容易でない。

 既に第五章でも説いた如く、動植物には變異性と名づける性質があつて、溫帶のものを熱帶に移したり、海濱のものを山奧に持つて行つたりすると、著しく變化するもので、風土が異なれば、假令同種のものでも多少相異なるを免れぬ。靑森の林檎を紀州に移し、紀州の蜜柑を靑森に植ゑ換へれば、種は一つでも全く異なつたものとなつてしまふ。土地每に名物とする固有の天然物のあるのは、つまり他に移しては、そこの通りに出來ぬからである。されば博く標本を集めると、一種の中でも種々形狀の異なつたものがあり、往々別種かと思はれる程に違つたものもあるが、斯かる場合には分類上之を如何に取扱ふかといふに、中開に立つて相繫ぎ合せるものが存する限りは、兩端にあるものが如何に相異なつても、その間に判然と境が附けられぬから、總べてを合せて一種となし、形狀の相違するものを各々その中の變種と見倣すのが、殆ど學者間の規約になつて居る。それ故今日二種と思ふて居るものも、その中間に立つものが發見せられたために、明目は一種中の二變種と見倣されるに至ることも甚だ屢々で、その例は分類學の雜誌を見れば、每號飽くほどある。また實際中間に立つものが無く、境が判然解つて居ても、その間の相違が他の種類の變種の相違位に過ぎぬときは、之を一種中に收めて單に二變種と見倣すことも常であるが、この場合には二種と見倣すか一種中の二變種と見倣すかは、分類する人の鑑定次第で、孰れともなるもの故、人が違へば説も違つて、爭の絶えることがない。

 斯くの如き有樣故、種とは決して一般に世間の人の考へる如き境の判然と解つたものではない。この事は諸國の動物志・植物志などを開いて見さへすれば、直に氣の附くことで、同一の實物を研究しながら、甲の學者は之を十種に分け、乙は之を二十種に分け、丙は之を五十種に分けるとか、また丁は之を總べて合して一種と見倣すとかいふことは幾らもある。ヨーロッパで醫用に供する蛭の如きも、當時は先づ一種二變種位に分ける人が多いが、一時は之を六十七種にも分けた學者がある。樫類の例、海綿類の例は前にも擧げたが、特に海綿の類などは、種の範圍を定めることが非常にむずかしく、之を研究した學者の中には、海綿にはたゞ形狀の變化があるだけで、種の境はないと斷言した人もある位で、現に相州三崎邊には、俗に「ぐみ」及び「たうなす」と呼ぶ二種類の海綿があつて、一は小い卵形で、恰も「ぐみ」の果實の如く、他は球を扁平にした形で、全く「たうなす」の名に背かぬが、一年餘もこの研究ばかりに從事した人の話によると、如何に調べても區別が附かぬとの事である。種とは何ぞやといふ問題は、昔から幾度となく繰り返して議論せられたが、ここに述べた如き次第故、何度論じても決着するに至らず、今日と雖も例外を許さぬやうな種の定義を下すことは到底出來ぬ。

[やぶちゃん注:「醫用に供する蛭」現行では環形動物門 Annelida ヒル綱 Hirudinoidea ヒル亜綱 Hirudinea無吻蛭(顎ヒル)目 Arhynchobdellidaヒルド科 Hirudidae ヒルド属 Hirudo ヒルド・メディシナリス Hirudo medicinalis をタイプ種としており、ほかに同属のHirudo orientalisHirudo troctinaHirudo verbena の三種、また別属らしい Hirudinaria manillensisMacrobdella decora という二種の名を英文ウィキのHirudo medicinalisに見出せる。後者二種が前の三種のシノニムでないとするならば、現在の医療用ヒルは六種を数えることが出来ることになる。

「樫類の例」直前の「第十一章 分類學上の事實 序」を参照。

「海綿類の例」「第五章 野生の動植物の變異」の「三 他の動物の變異」の冒頭であるが、『下等動物には變異の甚だしいものが頗る多い。中にも海綿の類などは餘り變異が烈しいので、種屬を分類することが殆ど出來ぬ程のものもある。現に海綿の或る部類は種屬識別の標準の立て方次第で、一屬三種とも十一屬百三十五種とも見ることが出來るといふが、これらの動物ではたゞ變異があるばかりで、種屬の區別はないといつて宜しい』とあるだけで、ちょっとしか述べられていない。

「ぐみ」動物界Animalia海綿動物門 Porifera 普通海綿綱 Demospongiae四放海綿亜綱 Tetrectinomorpha螺旋海綿目Spirophoridaマルガタカイメン科Tetillidae Tetilla 属グミカイメンTetilla japonica。形状の類似からの「茱萸海綿」である。所持する保育社平成四(一九九二)年刊西村三郎編著「原色検索日本海岸動物図鑑[]」の記載に基づいたものを示す。高さ一~三・五センチメートル、径〇・五~二センチメートル。煉瓦色から橙黄色の卵形の単体を成し、頂端に一個の大きな孔が開く。下端には根毛様の束があり、これによって海底の砂上に起立している。内部は大孔から胃腔へ向かって溝が放射状に分かれており、鞭毛室に続いている。骨格を形成する主な大骨片は、桿状体・前向きの三叉体・後ろ向きの三叉体が束になって、体中央のやや上部の一点を中心にして放射状に配列する。根毛束には長さ二センチメートルに達する長い後ろ向きの三叉体がある。本州沿岸の浅海に普通に見られ、卵は体外に放出されて体外受精して、直接、発生する。グーグル画像検索「グミカイメン」をリンクさせておくが、原物写真は初めの五枚ぐらいしかない。

「たうなす」同じTetilla 属のトウナスカイメンTetilla serica。「トウナス」はやはり形状類似からの「唐茄子海綿」(南瓜(かぼちゃ))である。同じく西村三郎編著「原色検索日本海岸動物図鑑[]」により記載する。高さ五~六センチメートル、径八~九センチメートルに達する単体の海綿で、色彩も形も本邦のカボチャに似ている。生時は赤褐色から黄褐色を呈し、上端中央の窪んだ部分に大きな孔が開いており、そこから放射状に溝がある。下端には房状の根毛束があり、これによって砂泥上に定座している。骨格を形成している主な大骨片は桿状体と前向きの三叉体で、放射状に束になって配列している。根毛束には長さ六センチメートルに達する後ろ向きの三叉体がある。本州沿岸の浅海の砂泥底に普通に棲息し、前種と同じく卵生で、直接、発生する。同じくグーグル画像検索「トウナスカイメンをリンクさせておくが、やはりそれらしいのは数枚しか見当たらない。解剖学的所見は酷似するが、見た目の形状と色は全くの別種としか思われないところが、非常に興味深いではないか

「一年餘もこの研究ばかりに從事した人」これは恐らく、研究場所は現在の東京大学三崎臨海実験所で、研究者は確定は出来ないものの、海綿研究の嚆矢として知られる生物学者飯島魁(いいじまいさお 文久元(一八六一)年~大正一〇(一九二一)年)ではなかろうか? 彼は近代日本の生物学黎明期の学者で、鳥類や寄生虫に関する研究も多く、日本動物学の前進に大きな役割を果たした(海洋生物フリークの私にとっては)著名な人物である。]

 さて斯くの如く分類の單位なる種の範圍・境界が判然せぬ場合の多くあるのは何故であるかと考へるに、動植物各種が初めから別々に出來たものとすれば、少しも譯の解らぬことである。元來博物學者が種の境の判然せぬことを論じ始めたのは、割合に近い頃で、殆どダーウィンが自然淘汰の説を確めるために、野生動植物の變異性を研究したのが發端である。その以前の博物家は、動植物各種の模範的の形狀を腦中に畫き定め、採集に出掛けても、之に丁度當て嵌まるやうな標本のみを搜し求め、之と少しでも異なつたものは出來損じの不具者として捨てて顧みぬといふ有樣であつたから、目の前に幾ら變異性の證據があつても、之に注意せず、隨つて種の範圍の判然せぬことにも氣が附かなかつた。生物種屬の不變であるといふ考は、地球が動かぬといふ考と同じく、知識の狹い間は誰も免れぬことで、いつ始まつたといふ起源もなく、誰が主張し始めたといふ元祖もなく、たゞ當然のことと信じて濟ませて居たもの故、無論種の境の判然せぬことに氣の附かぬ前からのものであるが、今日から見ると極めて不都合で、最早到底維持することは出來ぬ。天地開闢のときに境の判然せぬ種類が澤山造られ、そのまゝ降つて今日に至つても尚境の判然せぬ種類があるといへば、それまでであるが、初の考は素よりさやうでは無く、たゞ若干の明に區別の出來る種類が造られて、そのまゝ今日まで存して居るといふ簡單な考であつたので、實際種の境の解らぬものが澤山に見出された以上は、決してそのままに主張し續けられるものではない。之に反して生物各種は共同の先祖から進化し來つたものとすれば、今より將に二三種に分かれようとする動植物は、恰も樹の枝の股の處に當るもの故、總體を一種と見ればその中の相違が甚だし過ぎるから、若干の變種を認めなければならず、また形の異なつたものを各々獨立の一種と見倣せば、その間に中間の形質のものが存在して、判然と境を定めることが出來ぬといふ有樣になるのは、當然のことである。この考を以て見れば、所謂變種といふものは、皆種の出來かゝりで、現在の變種は未來は各々獨立の一種となるべきものである。樹の枝の股の處は一本から二本または三本に分かれかゝる處で、一本とも二本或は三本とも明には數へられぬ如く、二三の著しい變種を含める動植物の種は一種から二三種に分かれかゝりの途中故、一種とも二種或は三種ともいへず、その間の曖昧な時代である。それ故斯かるものまでも込めて種の定義を下そうとするのは、到底無理なことで、今日まで議論の一定せぬのも素より當然のことといはねばならぬ。

 

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