進化論講話 丘淺次郎 第十三章 古生物學上の事實(1) 序
第十三章 古生物學上の事實
[やぶちゃん注:以上の章標題(但し、これは目次で確認出来る)及び冒頭第一段落(『【※→】』から『【←※】』まで)は底本とした国立国会図書館デジタルコレクションの画像では、原資料自体のページが欠損しているので、同じ国立国会図書館デジタルコレクションの中の、一番底本に直近の前の版である、開成館(底本の東京開成館の旧社名と思われる)大正(一九一四)年十一月発行の修正十一版の当該部を参考にし、講談社学術文庫版とも校合して推定復元した。]
【※→】以上第九章より第十二章までに述べた如く、解剖學上・發生學上・分類學上・分布學上の事實を調べて見ると、生物種屬の進化し來つたことは疑ふべからざることであるが、以上の事實は唯進化論を認めなければ如何しても説明することが出來ぬといふ性質のもので、所謂事情の上の證據である。それ故、此等の事實ばかりを以て生物の進化を論ずるのは、卽ち現在の有樣を基として、過去の變遷を推察するといふに止まるが、本章に説く所は大いに之と違ひ、古代に生存して居た動物の遺體に就いて、生物進化の事蹟を述べるのであるから、議論でなくて單に記載である。今までに略述しただけでも進化の證據は十分であるが、今から説くことは進化の事實其の物で、例に掲げる標本は、皆、アメリカ・ヨーロッパ諸國の博物館に陳列して、誰にも見せて居るのであるから、如何しても疑ふことの出來ぬ性質のものである。【←※】
古生物學上の事實を述べるに當つて、特に初から注意して置かなければならぬのは、時の長さに關して正確な觀念を持つことである。この觀念が間違つて居ては、生物進化の事蹟を正當に理解することは出來ぬ。古生物學で研究するものは所謂化石であつて、化石はいふまでもなく、古代に生活して居た動植物の遺體であるが、この化石といふものは、一體いつ頃如何なる事情の下に出來たかと詳しく論ずるには、先づ一通り地殼の變遷のことから考へてかゝらねばならぬ。
今日地球の表面を見るに、山が海になり、海が山に變ずるやうな劇烈な大變化は極めて稀で、それも極めて狹い區域に限られてあるから、全體から論ずれば、急劇な變化は先づないといはねばならぬが、細かに注意すれば、徐々の變化は日夜絶えず行はれて居ることが解る。例へば雨が降れば直に河の水が濁るが、水の濁るのは何處かの山や野から泥砂が澤山に流れ込んだ結果で、水の流れて居る間は浮んで居るが、海へ出れば重いものは總べて沈んでしまふから、大きな河の出口には、かやうな泥砂が漸々堆積して三角形の洲が出來る。支那の黃河や揚子江が絶えず濁つて居るのも皆かやうな泥のためであるから、年々これらの河が陸から海へ持ち出す土の分量は隨分夥しいことであらう。世界中どこへ行つても理窟はこの通りで、大きな河でも、小な河でも、絶えず陸から幾らかの土を海へ流し出すが、その中、粗い砂粒は河口に近い處で沈み、細かい泥は遠い沖まで漂うて行き、終にはやはり沈む故、海の底には絶えず泥が積つて、新しい層が出來る。斯かる層は最初は無論柔いが、厚く積れば下の方の部分は上からの壓力によつて段々凝(かた)まり、終には堅牢な岩石となつてしまふ。またかやうな層は初め水平に出來るが、地殼の昇降により、一方が上り、一方が下つて斜に傾き、一部分は海面より現れて陸となり、他の部分は海の底に隱れたまゝで留まる。水上に現れた處はまた漸々雨風に壞され、泥砂となつて、海へ出て、更に沈んで海底に新しい層を造り、絶えずこの順序によつて地殼に變化が起るが、斯かる泥砂の凝(かた)まつて出來た岩は、水の底に出來たもの故、之を水成岩と名づける。水成岩は皆層をなして居るは、勿論であるが、生物の死體が化石となつて保存せられたのは、總べて水の底に泥の溜まるとき、その中へ落ちて理もれたものばかりに限るから、化石を含んで居るのは水成岩のみである。
[鮫石]
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像を補正して用いた。]
水成岩はかやうに漸々出來たもの故、一層每にその出來た時が違ひ、下に敷かれて居る方は古く出來た層で、上に重なつて居る方は新しく出來た層である。また孰れの層にも多少の化石が含まれてあるが、每層含む所の化石が違ひ、殆ど一層每に固有の化石の種類が一つや二つは必ずある故、離れた處にある水成岩でも、同じ化石を含むものは同じ時代に出來たものと見倣し、之を標準として他の層の新古の順序を定めることが出來る。この方法により、今日知れてあるだけの水成岩を研究し、その全體の厚さを測つて見ると、日本の里程に計算して十里以上になるが、海の底に泥砂が漸々に積り、それが凝まつて厚さ十里以上の堅牢な岩石が出來るには、凡そ如何程の時を要するであらうか、百年か二世紀と名づけて、時の最も長い單位として用ゐて居る我々では、到底想像して見ることも出來ぬ。
[やぶちゃん注:「同じ化石を含むものは同じ時代に出來たものと見倣し、之を標準として他の層の新古の順序を定めることが出來る」所謂、「示準化石」(index fossil)である。放射年代測定が登場するまでは唯一の離れた地域間での地層対比同定法であったが、乱泥流などによって、堆積後、有意に時間が経過した後、堆積物ごと大きく移動してしまったケースや、生物擾乱(バイオターベーション:bioturbation)によって擾乱された場合には役にたたない。これは微化石の場合に於いて特に顕著に起こる(以上はウィキの「示準化石」に拠った)。]
右は單に陸地から海に泥砂が流れ入るだけで、水成岩が出來る如くに書いたが、實際はかやうなものが流れ込まずとも、海の底に新な層の積り生ずる原因は他にも種々ある。例へば海の表面・水中ともに微細な蟲類・藻類などが、幾億とも數へられぬ程に浮いて居て、常に水中より石灰・珪酸等を吸ひ取つて殼を造り、死んでしまへば殼だけが底に沈むから、深い海の底では常に上から斯かる蟲や藻の殼が雨の如くに降つて、之ばかりでもなかなか大きな地層が出來る。大西洋の中央には餘程廣く、全くかやうな殼ばかりで底の出來て居る處があるが、後には之が凝まつて、固い岩石となる。岐阜縣赤坂から出る有名な鮫石などは、かやうにして生じた岩石の一例であるが、エジプトのピラミッドは、殆どこの類の岩石ばかりを用いて造つてある。
[やぶちゃん注:「鮫石」特に岐阜県大垣市赤坂町(あかさかちょう)金生山(きんしょうざん)付近(ここ(グーグル・マップ・データ)。良質な石灰岩・大理石があることから江戸時代より採掘が行われてきた。航空写真に替えると、その無残に削られ引き剥かれてしまった山容がよく判る。ここからは多様な化石類が発掘されて、「日本の古生物学発祥の地」とも呼ばれる)から多く産する石灰岩の一種。暗灰色で中に多数のフズリナ(fusuline:紡錘虫。古生代石炭紀に始まり、二畳紀末に絶滅した原生動物の一群で、現在はリザリア界 Rhizaria レタリア門Retaria有孔虫亜門 Polythalamea 綱フズリナ目†Fusulinida に分類されている高等有孔虫類。名称は「紡錘」の意のラテン語「fusus」に由来当初はフィッシャー・ド・ワルトハイムが一八二九年にソヴィエトのモスクワ盆地の上部石炭系地層から産する米粒様化石(初めは極微小な頭足類と考えられた)に与えた属名Fusulinaであったが,しだいに近縁の属。種多く発見・認可さられ、群全体を指す語としても用いられるようになったもの。グーグル画像検索「fusuline」をリンクさせておく)を含有する。花瓶や灰皿などに加工する。]
以上述べた所は、今日地質學に於て確に解つてあることの中から、一部だけを極めて簡單に説いたに過ぎぬが、これらのことを詳細に論ずるのは、地質學の範圍内で、こゝに述べた如きことは如何なる地質學書にも尚明細に記載してあるから、本書には略する。こゝ ではたゞ化石を含む水成岩が出來たのは、我々の考へられぬ程の昔からであることが解りさへすれば、それで宜しい。地球が出來てから今年で何年になるとか、人類が初めて現れてから何年になるとかいふことが、往々雜誌などに出て居るが、總べて全く架空の考ばかりで、一として信ずべきものはない。今日我々の斷言の出來ることは、たゞ地球の歷史は非常に長いといふことだけで、數字を以てその長さを示すことなどは到底出來ぬ。倂し長い短いといふのは比較的の言葉で、たゞ長いといふたばかりでは、何の位長いのか解らぬから、之を人間の歷史に比べて見るに、エジプトのピラミッドなどは六千年以上の昔に造つたもので、先づ最も古い人間の遺物であるといふが、地球の歷史から見れば、六千年位の短い年月は到底勘定にも入らぬ程である。總べて大きな物を測るには、大きな單位を用ゐなければならぬもので、書物や机の寸法は尺と寸とでいひ表せるが、國と國との距離は里を單位に取らなければならず、また星と星との距離を測るには里では到底間に合わぬ故、三千七百萬里もある地球と太陽との間の距離[やぶちゃん注:一億四千九百六十万キロメートル。]を單位としていひ表し、尚遠い星の距離を測るには更に地球・太陽間の距離の百六萬九千倍もあるシリウス星までの距離[やぶちゃん注:八・六一一光年。おおいぬ座にあるシリウスを基準にしたのは、太陽・月及び近い惑星を除いて全天で一番明るい星だからである。但し、それよりも、太陽に距離が最も近い恒星ケンタウルス座α星(アルファ・ケンタウリ)約四・三光年を基準にした方が私はいいように思う。因みに、一光年は単純換算すると約九兆五千億キロメートルであるが、一光年の距離に馴染み深い星がないもんだろうかとも思う。]を取つて單位とせなければならぬのと同じ理窟で、時の長さを測るに當つても、所謂萬國史位には年を單位に取るのが相應であるが、眞に地球の歷史を論ずるに當つては、到底、年を單位にするやうなことでは間に合はぬ。地質學で地殼變遷の歷史を述べるには之を若干の代に分ち、各代を更に數多の紀に分つて論ずるが、この紀と名づけるものは、決して皆同一の長さのものではなく、一と十、又は一と百位の割合に長さの違ふものがあるかも知れぬ。倂し孰れにしても一萬年や十萬年位の短いもので無かつたことは確である。西洋の曆には尚往々天地開闢紀元六千何百何十年などと書き入れたものがあるが、今日の地質學上の知識を以て見れば、實に滑稽の極といはねばならぬ。地球の歷史はかやうに長く、隨つて生物の歷史も同じく長い時を經て來たものであるが、生物種屬の起源などを論ずるに當つては、この事は少時も忘るべからざることである。
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