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2018/02/18

子規居士(「評伝 正岡子規」原題) 柴田宵曲 明治二十六年 「春色秋光」

 

    「春色秋光」

 

 「はてしらずの記」を草した後、少しの間居士は『日本』紙上に沈黙を守っていたが、十月九日から地風升の名を以て「春色秋光」を連載、二十八日十回を以て了った。春と秋との比較を種々の点から論じたもので、漢詩、和歌、俳句をほじめ、西洋文学の一端にも及んでいる。春といえば直(ただち)に愉快、活潑(かっぱつ)、隆盛、生成、綺麗、繁華などを聯感(れんかん)し、秋といえば直に悲哀、沈衰、零落、殺伐、雅潔(がけつ)、寂寞(せきばく)などを聯感するようになっているけれども、こういう感情は太古より一般に有し来ったものでなく、後世に至って次第に発達したもので、「支那にては唐朝以後に盛んに、我邦にては『古今集』以後に盛んなるが如し」といい、「試みに唐以前の詩歌、『古今』以前の國詩を繙(ひもとき)て見よ。春光の熙々(きき)たるを喜ぶ者多かれど、秋色の凋落を悲む者は少し。秋色の凋落を悲まざるのみならず、秋光を喜ぶこと春色に等しきもの亦少からず。唐以後『古今』以後は春色を愛するも其熙々雍々(ようよう)の處を愛するに非ずして濃艷華麗の處を愛するなり、秋光を悲むも一陰漸く現れて濃艷褪(たい)し華麗休むを悲むに非ずして金氣(きんき)肅殺(しゆくさつ)木摧(くだ)け消ゆるの極處を悲むなり」といったのは傾聴すべき言である。殊に『古今集』の「世の中に絶えて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし」を以て愉快の極を反言したるもの、「月見れば千々にものこそかなしけれわが身一つの秋にはあらねど」を以て悲哀の極を直叙したるものとし、

[やぶちゃん注:以上の引用文は、原典に当たることが出来ないため、「子規居士」原本(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの当該頁画像)によって正字化した。但し、鍵括弧はあった方が読み易いので、底本のママとした。また「艷」は「艶」かどうかを拡大しても判らなかったので、正字で表記した。読みも原本にはないが、底本に従って歴史的仮名遣で一部を挿入しておいた。

「雅潔(がけつ)」目にしない熟語であるが、現代中国語では存在し、「質素で奥ゆかしいこと」の意である。それでよかろう。

「熙々」広がっていて如何にも和らいでいて楽しめる感じ。

「雍々」落ち着いていて和らぐさま。

「金氣」秋の気配。五行説では「金」が秋に当たる。

「肅殺」秋の気が草木を枯らすことを謂う。

「極處」底本はルビを振らぬから、「きよくしよ(きょくしょ)」と読むのであろう。

「世の中に絶えて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし」「古今和歌集」の「巻第一 春歌上」(五三番歌)の在原業平の著名な一首。『渚(なぎさ)の院にて櫻を見てよめる』の前書を持つ。

「月見れば千々にものこそかなしけれわが身一つの秋にはあらねど」「百人一首」の二十三番に採られている、「古今和歌集」の「巻第四 秋歌上」(一九三番歌)の大江千里の著名な一首、「古今集」では『是貞のみこの家の歌合(うたあはせ)によめる』の前書を持つ。

 以下は、底本では全体が二字下げである。前後を一行空けた。同前の仕儀で訂した。]

 

これを『万葉集』中の春を喜び秋を悲むの歌に比すれば甚だその差あるを見ん。『万葉』の歌に

 いはばしる垂水の上の早蕨(さわらび)のもえいづる春になりにけるかも

 けさのあさけかりがね聞きつ春日山もみぢにけらし我心いたし

春光は和氣洋々、秋色は西風寂寞、敢て『古今集』の一は雀躍し一は悲泣するが如く甚しからざるなり。

 

と道破したのは、簡単ながら詩歌の妙諦に触れている。この時代における居士の歌に対する意見は、後年の如く確立していなかったかも知れぬが、この春色秋光に対する『万葉』『古今』の比較を見れば、後の歌論の萌芽と認むべきものは已に存在しているように思う。

[やぶちゃん注:「いはばしる垂水の上の早蕨(さわらび)のもえいづる春になりにけるかも」「万葉集」の「巻第八」巻頭(「春の雜歌(ざうか)」)を飾る、志貴皇子(しきのみこ)の一首(一四一八番)。『志貴皇子の懽(よろこび)の御歌(みうた)一首』の前書を持つ。

「けさのあさけかりがね聞きつ春日山もみぢにけらし我心いたし」同じく「万葉集」の「巻第八」の、「秋の雜歌」に載る、『穂積皇子(ほづみのみこ)の御歌二首』の前書を持つ第一首目(一五一三番)。詠み易く整序すると、

 今朝(けさ)の朝明(あさけ)雁(かり)が音(ね)聞きつ春日山(かすがやま)黃葉(もみぢ)にけらしわが情痛(こころいた)し

である。]

 

 「春色秋光」における春秋の比較は、かなり多方面にわたっているにかかわらず、俳句の引例が甚だ少く、むしろ他の足らざるところを補う程度に止っているのは、俳句が季節を生命とする詩である関係上、殊更にこれを避けたものであろう。ただ「近者(きんしや)古俳句を取(とり)てこれを四季に分類し見たる結果は、春季の句最も多く秋季之に次ぎ夏季之に次ぎ冬季之に次ぐ事を發見したり。其比例は概略春八、秋六、夏五半、冬五位なるべし」といったのは、俳句分類の経験より得来った実際の言として注目に値する。居士はまた西洋人を評して「人事の刺激を受くる事多きが爲に天然界の觀察精細ならず」といい、彼らの大多数が艶麗なる春色を愛して冷淡なる秋光を愛せざる理由をそこに帰し、一転して「秋光を愛すとは秋光を悲む事につきて愉快を感ずるなり。卽ち秋光のあはれを愛するなり。快を快とするは則ち普通なり。哀を快とするに至りては則ち普通ならず」と論じ、「快を快とするの快と哀を快とするの快と快の種類を異にす。故に敢て秋光を以て春色に勝れりとは言はず。然れども春を愛するを知(しり)て秋を愛するを知らざるは其趣味に於て未だ發達せざる所ありと明言するを憚らざるなり。而して此の一事に於ては西洋よりも東洋の早く發達したるを見る」と断言している。書物や他人の訳によって意見を立てず、どこまでも自己の見解を以て進む居士の態度は已にこの頃から顕著になっているように思う。「春色秋光」の看過すべからざる所以は、主としてこの点にある。

 

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