進化論講話 丘淺次郎 第十二章 分布學上の事實(1) 序
第十二章 分布學上の事實
[果實と種子との散布]
[やぶちゃん注:この図は講談社学術文庫版ではカットされている。キャプションは右上から左下へ、
「もみぢ」・「ぬすびとはぎ」・「ほんせんくわ」
「なんてん」・「きんみづひき」・「こくさぎ」
「かたばみ」・「やぶじらみ」・「すみれ」
「あれちのぎく」・「やし」
である。以下、総て学名を示す。丸括弧内は漢字表記の一例を示す。
「もみぢ」(楓・紅葉)植物界被子植物門双子葉植物綱ムクロジ(無患子)目ムクロジ科カエデ属 Acer に属する種群の総称。多くはアジアに自生し、約百二十八種が記載されている。
「ぬすびとはぎ」(盜人萩)マメ目マメ科マメ亜科ヌスビトハギ連ヌスビトハギ亜連ヌスビトハギ属亜種ヌスビトハギ変種ヌスビトハギ Desmodium podocarpum subsp. oxyphyllum。
「ほんせんくわ」(鳳仙花)フウロソウ目ツリフネソウ科ツリフネソウ属ホウセンカ Impatiens balsamina。
「なんてん」(南天)キンポウゲ(金鳳花)目メギ(目木)科ナンテン亜科ナンテン属ナンテン Nandina domestica。
「きんみづひき」(金水引)バラ目バラ科バラ亜科キンミズヒキ属シベリアキンミズヒキ変種キンミズヒキAgrimonia
pilosa var. japonica。
「こくさぎ」(小臭木)ムクロジ目ミカン科コクサギ属コクサギ Orixa japonica。
「かたばみ」(方喰・酢漿草)カタバミ目カタバミ科カタバミ属Oxalis亜属 Corniculatae 節カタバミ Oxalis
corniculata。
「やぶじらみ」(藪虱)バラ亜綱セリ目セリ科ヤブジラミ属ヤブジラミ Torilis japonica。
「すみれ」(菫)
「あれちのぎく」(荒地野菊)キク目キク科キク亜科 Astereae 連イズハハコ(伊豆母子)属アレチノギク Conyza bonariensis。
・「やし」(椰子)被子植物門単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科 Arecaceae に属する種群の総称。熱帯地方を中心に二百五十三属約三千三百三十三種がある。本邦でもシュロ(シュロ属 Trachycarpus)など六属六種が自生する.]
動植物各種の地理的分布を調べて見ると、生物進化の證據といふべき事實を發見することが頗る多い。先づ動植物の移動する方法を考へるに、之には自ら進んで移るのと、他物のために移されるのとの二通りがある。植物は通常固著して動かぬもの故、その移動は總べて他物によるが、種子などは種々の方法によつて隨分遠方までも達することが出來る。「たんぽぽ」の種子の風に飛ばされることは人の知る通りであるが、種子にはかやうな毛が生じたり、翅狀の附屬物が附いてあつたりして、特に風に吹き散らされるに都合の好い仕掛けの出來たものが多い。また或る種類では果實の色が美しく、味が甘いので鳥が之を食ひ、種子だけが諸方へ散るやうになつて居る。その他椰子の果實などは、海に落ちたものが潮流に隨つて非常に遠い島まで流れて行くこともある。種子の時代には活動もせぬ代りに何年も何十年も死にもせず、全く浪や風次第で何處へでも生きながら移される故、植物は自身に運動の力が無くてもその傳播することは却つて動物よりは容易で、迅速である。動物の方には通常かやうな時代がないから、運動の力はあつても種々の事情で制限せられ、何處までも行くことの出來ぬものが多い。小い蟲類は隨分遠方までも風に吹かれるもので、陸地から何百里も隔てた大洋の中央にある汽船に、蝶が澤山に飛び込んだこともあるが、稍々大きな動物になると、風に吹き飛ばされて遠方へ行く望のあるのは、鳥と蝙蝠だけに過ぎぬ。また常に陸上に生活する動物は長く水中に居れば溺死を免れぬから、到底潮流に隨つて遠方まで流されて行くことも出來ぬ。それ故、植物の傳播に最も有力な風と潮流とは稍々大きな動物に對しては全く無功である。倂し之はたゞ一般から論じただけのことで、尚詳細に調べて見ると隨分思い掛けぬやうな方法により、動物が一地方から他の地方に移ることがある。陸上の獸類が廣い海を越えて隣の島に移ることは先づ出來ぬことであるが、絶對にないとは斷言が出來ぬ。また現に熊の如き身體の重い獸類でさへ、北海道の岸から五里ほども隔つたリシリ島へ游いで渉つた所を獵師に補へられたことがある。熱帶地方の大河では、洪水の際に上流の岸が壞れ、そこに生えて居た樹木が筏の如くなつて流れ下ることが常にあるが、或る時南アメリカのモンテヴィデオ市の眞中にかやうな筏に乘つて黑虎が四疋も漂着し、市中大騷ぎをしたこともあるから、獸類が之に乘つたまゝで海へ流れ出し、隣の島に著したとすれば、隨分移住の出來ぬこととも限らぬ。その他木片が海岸に流れ著くことは常のことで、千島邊では之を拾ひ集めて一年中の薪とし、尚餘る位であるが、若し斯かる木片に昆蟲の卵などが附いて居て、萬に一も尚生活力を保つて居たならば、之も打ち上げられた處で繁殖せぬとも限らぬ。特に今日では人間の交通が盛になり、荷物の運輸が夥しいから、之に紛れ込んで知らぬ間に或る地方に入り込んだ動植物も既に澤山にある。
[やぶちゃん注:「熊の如き身體の重い獸類でさへ、北海道の岸から五里ほども隔つたリシリ島へ游いで渉つた所を獵師に補へられたことがある」二〇〇九年八月、礼文島と利尻島に行った際、「利尻島郷土資料館」で、そのヒグマの剥製を見た。こちらでその「解説シート」(PDF)が読める。それによれば、渡って来たのを発見されて撲殺されたのは(リンク先にその際の写真が載る)、明治四五(一九一二)年五月二十四日のことで、♂の成獣で体長は二・四メートル、体重三百キログラムであったという(当時の新聞記事によれば、同年五月二十二日頃には既に渡島していたらしく、推定では利尻島の対岸天塩から島に泳ぎ渡って一度上陸、その後に再び海に入り、再び上陸しようと海岸に向かって泳いでいたところを漁師たちに発見されたものらしい)。最終捕獲地である北海道利尻郡利尻富士町鬼脇旭浜(ここ(グーグル・マップ・データ))から利尻隧道を最短で北海道内地と計測しても十九キロメートル強ある。私は剥製になった彼を見ながら、彼がどんな思いとどんな目的でこの海を渡ったのかを考え、その悲惨な最期に思いを致した時、何か、しみじみとした思いに沈まざるを得なかったのを思い出す。
「モンテヴィデオ市」モンテビデオ(スペイン語: Montevideo)は南アメリカ南東部に位置するウルグアイ東方共和国(República Oriental del Uruguay)の首都。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「黑虎」発見された場所から見て、人の飼っていたものが逃げ出したものでないとするなら、哺乳綱食肉目ネコ型亜目ネコ科ヒョウ亜科 Pantherini 族ヒョウ属ジャガー Panthera oncaのに黒変種個体(比較的しばしば見られる)群(家族群)か。]
[鴨の足に挾み著いた烏貝]
[やぶちゃん注:脚が挟みこまれたしまったもので、事実として他者から聴かれたものではあろうが、この絵を挿入する際の丘先生には、当然、かの「戦国策」の「燕策」に載る故事「漁夫の利」が念頭にあられたことは想像に難くない。これは講談社学術文庫の絵を採った。
「鴫」チドリ目チドリ亜目シギ科 Scolopacidae。
「烏貝」「からすがい」であるが、これは斧足綱古異歯亜綱イシガイ目イシガイ科イケチョウ亜科カラスガイCristaria
plicata 及び同属の琵琶湖固有種メンカラスガイCristaria
plicata clessini (カラスガイに比して殻が薄く、殻幅が膨らむ)と、イシガイ科ドブガイ属 Sinanodonta に属する大型のヌマガイ Sinanodonta lauta(ドブガイA型)と、小型のタガイ Sinanodonta japonica(ドブガイB型)の二種を広義に指す。カラスガイとドブガイとは、その貝の蝶番(縫合部)で識別が出来る。カラスガイは左側の擬主歯がなく、右の後側歯はある(擬主歯及び後側歯は貝の縫合(蝶番)部分に見られる突起)が、ドブガイには左側の擬主歯も右の後側歯もない。私の電子テクスト寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」 の「蚌(どぶがい)」及び「馬刀(からすがい)」の項の注で詳細に分析しているので参照されたい。]
特に意外の傳播法の具はつたものは、淡水産の動物で、微細な下等動物のことは略し、稍々大きなものだけに就いていつても、その例は隨分多い。貝類の子は何にでも介殼を以て挾み著く癖のあるもので、水鳥の足・羽毛等に附著して、なかなか遠方まで行くことが常であるが、嘗て鴫の足に大きな鳥貝の挾み著いて居るのが、獵で取れたこともあるから、生長し終つたものでも往々この方法で移轉するものと見える。また魚類の卵も同じく鴨や雁の足に泥と共に附著して遠方へ行くもので、これらの水鳥の足を水で洗ひ、その水を器に入れて置くと、實に種々の動物がその中で生ずるが、之は孰れも卵・幼蟲等の形で泥の中に混じてあつたものである。また颱風の際に貝や魚が水と共に卷き上げられ、他の場所に降つて落ちることがある。著者の友人は現に斯くして降つた泥鰌を拾ひ取つた。斯くの如く種々の傳播法があつて、常に諸地方のものが相交るから、淡水産の動物はどの國のも大同小異で、同一の種類がヨーロッパにも日本にも居ることが決して珍しくない。鯉・鮒などはその例である。ダーウィンも世界週航の際、南アメリカで淡水産の微細な動物を採集して、そのイギリス産のものに餘り善く似て居るのに驚いたというて居るが、かやうな微細な種類になると、恰も植物の種子に相當する如きものが生じ、この物が風に吹かれて何處へでも達する故、世界中到る處に同種同屬のものが産する。
斯くの如く、動物の傳播のためには種々の手段があるが、淡水産の動物を除き、陸上の鳥類・獸類だけに就いて考へて見るに、獸類が狹い海峽を游いで渡ることは往々あるが、廣い海を越えて先の島まで行くことは偶然の好機會が無ければ出來ぬこと故、實際に於ては先づないといふて宜しい。また鳥の方は獸類に比べると移轉は遙に容易であるが、同じ鳥類の中にも飛ぶ力の強いものもあり、弱いものもあり、翼の力には各種にそれぞれ制限がある故、遠く隔たつた處に移るには、風の力によらなければ、到底出來ぬものが多い。かやうに鳥獸の類では、海を越えて移ることは餘程困難で、一地方の産と他の地方の産とが混じ合ふことも隨つて甚だ少いわけ故、動物分布の有樣を調べるに當つては、先づこれらの動物から始めるのが便利である。次に述べる所も、主として鳥類・獸類の分布に關することである。
動物の分布を論ずるに當つて豫めいうて置くべきは、土地の昇降、海陸形狀の變遷のことである。今日陸である處は決して昔から始終陸であつたとは限らず、また今日海である處も決して昔から始終海であつたとは限らぬ。桑田の變じて海となることは古人も既に注意した所で、我が國でも東海岸の方には年々新しい田地が出來るが、西海岸の方は少しづ⁹降つて海となり、有名な安宅(あたか)の關も今では海から遠い沖の中程になつてしまつた。それ故、今日は相離れて居るが、昔陸續(りくつゞき)であつた處もあれば、もと相離れて居た處が後に連絡する處もある。今日の地質學者一般の説によれば、地殼の昇降は遲いながら曾て絶えぬが、大洋の底が現れて大陸となつたり、大陸がそのまゝ急に降つて大洋の底となる程の大變化は無かつたらしい。卽ち今日の大陸の大體の形だけは、既に餘程古い頃から定まつて、その後はたゞ地殼の昇降により、海岸線の模樣が常に變化し來つただけのやうに思はれる。之によつて考へて見ると大陸と島との間、または島と島との聞の海の深さを測つて見て、餘り深くない處は元は地續であつたものと見倣して差支なく、また、間の海が非常に深ければ之は元來全く離れて居て一度も互に連絡しなかつたものと見倣すのが至當である。たゞ表面から見ると、どこの海も單に深いと思はれるだけであるが、その深さを數字で表せば、處により實に非常な相違で、日本・支那などの間はどこでも大抵百尋[やぶちゃん注:長さの単位である「尋」(ひろ)は五尺(約一・五一五メートル、乃至、六尺(一・八一六メートル)であるが、水深に用いる場合は六尺とされるので、ここは百八十一・六メートルとなる。]位に過ぎぬが、奧州の海岸を少し東へ距つた處では、海の表面から底までの距離が二里[やぶちゃん注:七千八百五十四・五二メートル。]以上もある。尤も二里以上といふ深さの處は餘り多くはないが、凡そ大洋と名の附く處ならば、大概一里[やぶちゃん注:三千九百二十七・二六メートル。]以上の深さは確にある。二里と百尋とではその間の割合は四十倍以上に當るから、殆ど四尺と一寸程の相違であるが、大洋に比べると大陸沿岸の海の深さは實に斯くの如くで、殆ど比較にもならぬ。それ故、假に海水が二百尋も低く下つたと想像すると、日本の列島は勿論、ジャヴァ・スマトラ・ボルネオ等の東印度諸島は皆アジアと陸續になつてしまひ、島として殘るのは遠く陸地を離れた、グァム・サイパン・マーシャル群島の如き所謂南洋の孤島ばかりである。大陸の岸に沿うた島は、かやうに考へて見ると、大陸と頗る關係の密なもので、實際種々の點から見ても、もと大陸の一部であつたものが後に離れたといふのが確なやうである。
[やぶちゃん注:「安宅(あたか)の關も今では海から遠い沖の中程になつてしまつた」現在、かの安宅の関所跡は石川県小松市安宅町のこちら(グーグル・マップ・データ)に史跡としてあるが、丘先生の言われるように、海岸線の変動などによって、ここよりも二、三里沖の海中であったとも言われている。]
以上はその道の專門學者の研究した結論で、今日皆人の信ずる所であるが、現在の動物分布の有樣を調べ、それをこの考に照し合せて見ると、生物進化の證據といふべき事實を、到る處に發見することが出來る。例へば生物各種は皆共同の先祖より樹枝狀に進化して分かれ降つたものとすれば、獸類も蛙類も各々その一枝をなすこと故、世界中の獸類・蛙類は各々その共同の先祖から降つたものでなければならず、而してその子孫たるものは生活の出來る處ならば、何處までも移り廣がるべきであるが、兩方とも飛ぶことも、長く泳ぐことも出來ぬもの故、海濱に達すれば、そこで移住力が止まり、最早進むことは出來ぬ。それ故、大洋の眞中にある如き、初めから大陸と全く離れて居た孤島には、到底移ることが出來ぬ理窟である。所で、實際分布の有樣は如何と調べて見ると、全くその通りで、大洋中の離れ島には、發見の當時、獸類・蛙類の居た例がない。海鳥は隨分多く居るが、その他は風で飛んで來る昆蟲の類か、然らざれば蟹・寄居蟹[やぶちゃん注:「やどかり」。]の如き海から陸上に移つたものばかりである。之は決して斯かる島は獸類・蛙類の生活に適せぬからといふ譯ではない。後に牛・山羊等を輸入した處では、孰れも盛に繁殖したのを見ると、寧ろ或る獸類の生活には最も適當な場所といはねばならぬ。斯く適當であるに拘らず、實際全く獸類を産せぬといふことは、進化論から見れば必然のことであるが、天地開闢の際に適當の場所に各々適當の動物が造られたといふ説とは全然矛盾する事實である。
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