進化論講話 丘淺次郎 第十一章 分類學上の事實(5) 四 所謂自然分類 / 第十一章 分類學上の事實~了
四 所謂自然分類
動植物の種屬を分類するには、如何なる標準によつても出來ることで、恰も書物を分類するに、出版の年月によつても、版の大きさによつても、國語分けにも、著者の姓名のいろは分けにも出來る如く、雄蘂の數・雌蘂の數・葉の形または外形・住處、運動法等の孰れを取つても出來ぬことはないが、斯くして造つた分類表は、所謂人爲分類で、檢索に多少の使があるだけで、單に目錄としての外には何の意味もない。之に反して、當今、分類學を研究する人の理想とする所は、所謂自然分類で、完成した曉には各種屬の系圖を一目瞭然たらしめる積りの分類法である。今日の所では生物學者であつて生物進化の事實を認めぬ人は一人もないから、分類に從事する人も單に種類の數を多く列擧するばかりでは滿足せず、その進化し來つた路筋に就いて自分の推察する所を述べ、之によつて種屬を組に分ち、同じ枝より起つたものは同じ組に入れ、別の枝より生じたものは別の組に離して、恰も樹の枝を起源によつて分類するのと同樣な心持ちで分類して居るが、之が卽ち所謂自然分類である。素より孰れの方面でもまだ研究の最中故、詳網の所まで少しも動かぬやうな自然分類は到底出來ぬが、大體の形だけは略々定まつたものと見て宜しい。當今の動物學書・植物學書の中に用ゐてある分類は、各々その著者の想像した自然分類で、彼此相比[やぶちゃん注:「かれこれあひくら(かれこれあいくら)」。]べて見ると尚隨分著しく相違した處もあるが、生物全體を一大樹木の形に見倣して分類してあることは、皆一樣である。之だけは最早動かぬ所であらう。また脊椎動物・節足動物・軟體動物等を各々太い枝と見倣すことも皆一致して居るが、之も先づ動くことはない。今より後の研究によつて確定すべきは、之より以下の點のみである。
この自然分類といふものは生物進化の事實を認めて後に、初めて意味を有するもの故、之を以て直に生物進化の證據とすることは出來ぬが、今日までの分類法の進步を調べると、進化論を認めると認めないとに拘らず、一步づゝ理想的自然分類に近づき來つたことが明である。初は單に外形によつて分類して居たが、解剖學上の知識が進んで來ると、内部の構造を度外視するのは無理であるといふ考が起り、之に基づいて分類法を改め、次に發生學上の知識が進めば、また發生學上の事實を無視した分類は眞の分類でないといふ考が生じ、更に之に隨つて分類法を改め、漸々進んでいつとなく今日の自然分類になつたので、生物進化論が出てから、急に分類法を一變して組み改めた譯ではない。今日では分類を試みるに當つて、初めから進化の考を持つてかゝるが、所謂自然分類の大體は進化論の出る前から既に出來て居て、單に最も適當な分類法として用ゐられて居た、その所へ進化論が出て、それに深遠な意味のあることが初めて解つたといふだけである。
自然分類その物だけでは、生物進化の證據といへぬかも知れぬが、進化論に關係なく、たゞ一般の生物學知識の進步の結果として出來た分類が、進化論を基礎とした理想上の分類と丁度一致したことは、やはり進化論の正しい證據と見倣さなければならぬ。
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