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2018/02/08

進化論講話 丘淺次郎 第九章 解剖學上の事實(5) 五 鯨の身體構造

 

     五 鯨の身體構造

 

Kujirakokkaku

[鯨の骨骼]

[やぶちゃん注:講談社学術文庫版の挿絵は後肢の痕跡の骨の一部が消えてしまっているので、国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング・補正して示した。]

 

 以上の數例は孰れも身體構造中の一部だけを數種の動物に就いて比較したであるが、

一種の動物の身體全部を丁寧に檢査すれば、今とは形の異なつた先祖から進化して現在の有樣に達したといふ形跡の見えることが甚だ多い。特に鯨などの類はその最も著しいもので、身體孰れの部分を見ても、或る陸上の四足類より進化し來つたことが確に見える。

 先づ身體の軸となる骨骼から述べて見るに、全身の外形は魚の通りであるが、その内の骨骼は犬・猫等の如き獸類の骨骼を基とし、一々の骨片を延ばしたり縮めたりして、魚の形に適するやうに造り直したものの如くに見える。頸の骨のことは既に前に述べたが、煎餅の如く薄い骨が七枚も重なり合つて、頭と胴との中間に挾まつてある具合は、如何に見ても、元來初めから斯くの如くに出來たものとは考へられぬ。また鰭の骨が犬・猫の前足、人間・猿の手などと少しも違はぬことも前に述べたが、上膊・前膊等の骨が極めて短くなりながら、尚その形を存し、位置を變ぜぬ所は、如何に考へても陸上獸類の前足が縮まつて出來たものとよりは思はれぬ。假に飴で犬の骨骼の模型を造り、逼(は)み出る處を壓し縮めて、無理に之を魚の形の中に詰め込んだとしたならば、頸の骨も前足の骨も、鯨類の實際の有樣と少しも違はぬやうなものが出來る。

 また頭骨に就いて考へても、昔し風來山人が天狗の髑髏にして置いた骨は、鯨類の一種なる海豚(いるか)の頭骨であるが、門人等は之を見て或は大魚の頭骨であらうとかいうた位で、嘴が長く尖つて、一見した所では決して獸類の頭骨とは見えぬ。倂し、丁寧に之を調べて見ると、犬・猫・人間等の頭骨と全く同一の骨片が同じ數だけ同じ順序に集まつて出來たもので、決して足らぬ骨もなければ、餘る骨もない。たゞ一々の骨片の大小長短の相違で、斯く全形が違ふばかりである。それ故、假に飴で犬の頭骨の模型を造り、上下の顎骨を前へ長く引き延ばし、鼻骨を頭の頂上まで押し上げなどすれば、その結果は全く海豚と同じものが出來る。同じく海中に住む魚類の頭骨などは總べて仕組が違ふ。また鯨には胸に鰭が一對あるだけで、他の獸類の後足に相當するものが全く見えぬ。倂し解剖して内部を調べると、腰の邊に肉に埋もれて後足の基部の骨だけが存してあるが、生活上には何の役にも立たぬ。全く不用の器官である。之も大蛇の後足の痕跡と同じく、後足を完全に具へた先祖から遺傳によつて傳はり來つたものと考へなければ、外には全く説明の仕樣がない。

[やぶちゃん注:「風來山人」(ふうらいさんじん)は江戸中期の物産・博物学者で戯作者・浄瑠璃作家でもあった平賀源内(安永八(一七八〇)年~享保一三(一七二八)年)の号。源内は通称で、本名は国倫(くにとも)で、風来山人人は主に戯作作者としてのペン・ネーム。]

 

 鯨類は總べて溫血・胎生で、生れた子には乳を飮ませてこれを養ふが、これらは皆陸上に住む獸類の特徴である。更に内臟を詳しく檢すれば、消化器・循環器・呼吸器・排泄器など、いづれも大體は牛・馬・犬・猫のと大差なしと言つて宜しいが、その中特に考ふべきは呼吸の器官である。海中で生れ海中で死んで、決して一度も陸上に上ることのないこの動物が、肺を以て空氣を呼吸することは、若し鯨が初めから鯨として造られたものとしたならば、實に解すべからざることといはねばならぬ。鯨が肺を以て空氣を呼吸することは、決して鯨の生活上に最も適したことではない。若し鰓で水を呼吸することが出來たならば、水中に住む鯨に取つてはその方が遙に都合が好い。鯨は空氣を呼吸せなければならぬから、一度水中に沈んでも幾分かの後には必ず水面に浮び出るが、このときを待つて鯨漁師が攻めるから、大きな鯨も比較的容易(たたす)く捕へられる。若し鯨のやうな大きなものが沈んだまゝで水面に浮んで來なかつたらば、なかなか人間の手では捕獲することは困難である。これらの點から見ても、鯨の先祖は陸上に住んで居た獸類であると考へなければ、總べて不思議なことばかりで、到底理會することが出來ぬ。

 尚その他詳しく鯨の種々の器官を一々調べると、進化の證據とも見倣すべき點が澤山にあるが、ここにはたゞ一つ耳の構造に關することを書き添へるだけに止める。哺乳類の耳の構造は人間の耳と略々同樣で、人間の耳の構造は生理書には必ず書いてあるから、改めて詳しく説くには及ばぬが、その大體をいへば先づ内耳・中耳・外耳の三部より成り、中耳と外耳との間に鼓膜がある。耳殼及び耳孔から鼓膜に達するまでが外耳で、鼓膜の内側にあつて空氣を含む鼓室が中耳、またそれより内にあつて液體に滿たされ、眞に聽神經の末端の分布して居る處が内耳である。外耳の務は外界から來た空氣の振動を鼓膜に達せしめるだけで、鼓膜が之に感じて振へば、その振動は中耳内の小骨の媒介によつて内耳に傳はり、そ處で初めて神經の末端を刺戟して響の感覺を引き起すことになるから、外耳・中耳はともに空氣の振動を内耳に感ぜしめるための傳達の道具に過ぎぬ。それ故、水中に潜つて居る間は外耳と中耳とは何の働も出來ぬ。水中では響は皮膚・骨等に傳はつて直に内耳に達するから、魚類などを解剖して見ると、耳はたゞ内耳だけで、中耳も外耳もない。鮒でも鯉でも耳はあるが、外に開く孔がない故、外からは見えぬのである。さて鯨では如何であるかといふに、鯨は魚の如くに常に水中に住みながら、耳の構造は全く陸上の獸類と同樣で、中耳もあれば鼓膜もある。倂し、その形狀を調べて見ると、何處も多少退化して、外耳道の如きも甚だ細いから、水中に於ては無論のこと、何分每にか一囘づゝ暫く水面へ頭を出すときにも、空氣の振動を内耳へ傳へる働は到底出來さうにない。鯨の中耳・外耳は先づ不用の器官と謂つて宜しい。斯く常に水中に住んで中耳・外耳が役に立たぬに拘らず、やはり陸上の牛・馬・犬・猫等と同樣な構造の耳を有することも、確に鯨が陸上の四足獸から進化して出來たものであるといふ證據の一と見倣すべきものであらう。

 

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