進化論講話 丘淺次郎 第九章 解剖學上の事實(4) 四 血管並に心臟の比較
四 血管並に心臟の比較
以上は僅に二三の例を擧げたに過ぎぬが、比較解剖學上の事實は殆ど一として生物進化の證據とならぬものはなく、比較解剖學の書物を開いて見ると、殆ど每頁にかやうな事實が載せてある。倂しその中、内部諸臟腑に關することは頗る複雜で、突然説いても解りにくいことが多いから總べて略して、こゝにはたゞ一つ脊椎動物の血管系統のことを述べることとする。
[人類の心臟及び動脈基部]
[以上は図内部に文字が記されているので、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング・補正して示した。]
人間を始として、總べて哺乳類の心臟は左右の心耳、左右の心室より成り、左心室からは一本の大動脈が出て、頭・腕等へ血を送るべき枝を出しながら、左へ後へ向つて曲り、脊骨の前を沿うて下へ進み、内臟・脚等へ血液を送り、また右心室からは一本の肺動脈が出て、直に左右の二枝に分れて左右の肺に達する。全身を巡つた血は右心耳へ歸り、肺で淸潔になつた血は左心耳へ歸り、斯くして體内の血液循環が行はれる。之だけはどのやうな生理書にも必ず書いてあること故誰も知つて居るが、次に魚類では、血液循環の模樣は如何と見るに、之は人間等のとは全く違つて、心耳も心室も各々一個づゝよりなく、心室から前へ向つて出た一本の大動脈は、直に左右各々四五本づゝの枝に分かれて、悉く鰓の中に入つてしまひ、鰓の中で非常に細い管に分かれ、再び集まつて各々一本となるが、血液がこゝを通過するときに呼吸の働きが行はれるのである。而して各々一本づゝとなつて鰓を出た血管は、皆集まつて一本となり、脊骨の下に沿うて後へ進む。途中から種々の枝は出すが、動脈の幹部だけは先づこの通りである。斯くの如く、獸類の血管系と魚類の血管系とは、一寸見ると全く相異なり、少しも似た點がないやうである。然るに龜の血管、蛙の血管、蠑螈[やぶちゃん注:「ゐもり(いもり)」。]の血管、また外國には蠑螈に似て生涯鰓を以て呼吸する類があるが、かやうな動物の血管等を調べ、順を追うて比較すると、人間の血管の何の部は魚の血管の何の部に相當するといふことが判然と知れ、兩方とも元同一の模型によつて造られてあることが明瞭に解る。
[やぶちゃん注:「心耳」「しんじ」。解剖学上は、かく言うと、心臓の心房の一部が前方に向かって耳朶(みみたぶ)のように突出し、肺動脈の基部を前から蔽っている、心房のごく一部分を指す(当該箇所は薄い先の細い嚢状を呈していて内部には櫛状の高まりが並んでいる)。しかし、丘先生の解説を読む限り、これは「心房」と同義で用いていることが判る。
「蠑螈に似て生涯鰓を以て呼吸する類」これはまず、代表種として両生綱有尾目ホライモリ(洞井守)科ホライモリ属ホライモリ Proteus anguinus を挙げるべきであろう。一属一種で、ディナル・アルプス山脈(バルカン半島のアドリア海沿岸に北西から南東へ伸びる山脈)のカルスト洞穴(鍾乳洞)にのみ棲息する洞穴性の固有種で、スロベニアからイタリアのトリエステに流れるソカ川流域から、クロアチア南西部とボスニア・ヘルツェゴビナにのみ分布している。全個体が幼形成熟(neoteny:ネオテニー。動物に於いて、性的に完全に成熟した個体でありながら、非生殖器官に、未成熟な、則ち、幼生や幼体の性質が残る現象)することが特徴で、生涯に渡って外鰓を持ち、水から出ることは、ない。ウィキの「ホライモリ」によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、『体はヘビのような形で、通常二〇~三〇センチメートル、最大個体は四〇センチメートル程度になる。体は一様な太さの円筒形で、筋節の境界に一定間隔で溝がある。尾は比較的短く側扁し、薄い鰭がある。四肢は小さくて細い。他の両生類と比べ指の数が少なく、前肢には三本(通常の両生類は四)、後肢には二本(通常は五)の指しかない。体は薄い皮膚に覆われ』、『黄白色からピンク色』を呈する。『体側面に入る皺(肋条)は左右に二十五~二十七本ずつ。灰色や黄色、ピンクがかる個体もいる。光の下では腹部の内臓器官が透けて見える。体色が白人の皮膚に似ていることから、いくつかの言語では「人の魚」を意味する名で呼ばれる。だがメラニン』(melanin)『の生産能は残っており、明所で飼育された個体は色素ができるため、体色が青灰色になる。幼生も着色していることがある。頭部は洋梨形で、短く縦扁した吻を持つ。口の開口部は小さく、歯は微小で篩状となり、水中の大きな粒子を濾し取る。鼻孔は判別できないほど小さく、吻端の側方に位置する。眼は退縮しており、皮膚の層に覆われる。呼吸は頭部後方にある、二つの分岐した房からなる外鰓で行われる。外鰓は酸素に富む血液が皮膚越しに見えるため、赤色である。簡易な肺も持つが、その呼吸機能は補助的なものに過ぎない。雌雄は似ているが、雄の総排泄孔は雌より膨らんでいる』。『洞穴性動物は無光環境に生息するため、他の適応と共に、視覚によらない感覚系を発達させることが求められる。本種も地下水に生息するため、他の両生類よりも視覚以外の感覚を発達させている。本種は成体でも幼生の形態を維持しているために頭部が大きく、多数の感覚受容器を持つことが可能となっている』。『眼は退化しているが、光への感受性は残っている。皮下に深く埋め込まれており、若い個体を除いては体外からは確認できない。幼体は通常の眼を持つが、すぐに成長が停止して退縮し始め、四ヶ月後には最終的に萎縮する。松果体にも、退縮してはいるが光を感じる細胞があり、眼と同様に視覚色素を保持している。松果体は生理学的プロセスの制御にもある程度』、『関わっている。行動学的実験によって、皮膚自体にも光を感じる能力があることが示されている。外皮の光感受性は特殊化した細胞(メラノフォア』(melanophore:黒色素胞。動物の色素細胞の一種で細胞質内にメラニン顆粒を多数含んでいるもの。魚類・両生類・爬虫類などの真皮にあり、体色変化に関係する)『)にある光受容体(メラノプシン』(melanopsin)『)によるもので』、『予備的な免疫細胞化学的解析によってもこの結果は裏付けられている』。『頭部前方には鋭敏な化学・機械・電気受容器が存在』し、『水中の非常に低濃度の有機化合物を検出でき、質・量の両面において、他の両生類より獲物の匂いを検出する能力が高い。鼻孔の内面とヤコブソン器官』(Jacobson's organ(vomeronasal organ):鋤鼻器(じょびき)。四肢動物が嗅上皮とは別に持つ嗅覚器官)『を裏打ちする嗅上皮は、他の両生類より厚くなっている。口内の粘膜上皮には味蕾があり、ほとんどは舌の上面と鰓室の入り口に集まっている。舌上面の味蕾は餌を味わい、鰓室の味蕾は水中の化学物質を感じ取る役割があると考えられる』。『内耳の感覚上皮は非常に特殊化しており、水中の音波を地面の振動と同様に聴き取ることができる。感覚細胞の複雑な機能・形態的配置によって、音源の方向を特定することもできる。幼形成熟するため、本種が空気中の音を聴く機会は少ないと考えられる』。『本種の頭部からは光と電場に反応する新しいタイプの感覚器官が発見されており、“ampullary organ”』(電気受容器官)『と呼ばれている』。『他の基底的な脊椎動物でも見られることがあるが、本種は弱い電場を検出できる。また、いくつかの行動学的研究からは、地磁気や人工的な磁場に体を沿わせる行動を取ることも示された』。夏季の水温が摂氏九~十度、冬季水温でも五~六度はある『鍾乳洞内の水中や地下にある水たまりなどに生息する』。『卵の孵化には百四十日、性成熟にはその後十四年かかる。幼生はおよそ四ヶ月でほぼ成体と同じ外見となるが、成長は水温の影響を強く受ける。歴史的には、本種は胎生だと考えられていたこともあったが、雌の体内には魚類や卵生の両生類と同様の、卵嚢を分泌する腺が存在する。また、水温が低い時には幼体を産むとされていたこともあるが、厳格な観察から、本種は完全な卵生であると結論づけられている』。『雌は十二~七十個の卵を産む。卵の直径は約十二ミリメートルで、卵は岩の間に置かれ、雌に守られる。孵化した幼生は二センチメートル程度で、一ヶ月ほどは消化管細胞に蓄えた卵黄によって成長する』。『本種などの真洞穴性両生類は、その異時性によって特徴付けられる。本種は体細胞の成熟を遅らせ、生殖細胞の成熟を早めることで変態を行わず、幼生の特徴を残した幼形成熟と呼ばれる状態にある。他の両生類では、変態は甲状腺から分泌されるチロキシン』(Thyroxine:甲状腺の濾胞から分泌される甲状腺ホルモンの一種で成長(変態)を掌る)『によって制御される。本種の甲状腺は正常に発達して機能しており、変態が行われないのは組織がチロキシンに応答しないことによる』。『頭部は長く、外鰓を持つ』。『遊泳は体をくねらせることによって行い、四肢は補助的に用いられるのみである。肉食性で、小さなカニや巻貝、稀に昆虫を食べる。餌を噛むことはできないため』、『丸呑みする。地下環境への適応として、長期間の飢餓に耐えることができる。また、一度に大量の餌を食べることもでき、余剰の栄養は肝臓に脂質やグリコーゲンの形で沈着する。餌が少ない時には代謝と活動レベルを落とし、深刻な場合には自身の組織を再吸収することもできる。実験的には、餌なしで十年間生存した例がある』。『群居性であり、石の下や割れ目などに集合する』が、『繁殖可能な雄は例外で、縄張りを持つ。地下環境では餌が少ないため』、『直接の闘いはコストが高く、通常、雄同士の争いはディスプレイのみで行われる』。『繁殖行動は飼育下でのみ観察されている。繁殖可能な雄は総排泄孔が膨らみ、体色が明るくなり、尾の側面に線が出現し、尾の鰭が屈曲する。雌にはこのような変化は見られない。雄は雌が存在しない場合でも繁殖行動を始め、他の雄を縄張りから追い払い、雌を引き寄せるフェロモンを分泌する。雌が近づくと雄はその周りを回り、尾で水を送る。その後、雄は吻を雌の体に触れ、雌は吻を雄の総排泄孔に触れる。その後、雄は体を震わせながら前方に進み、雌はそれに続く。雄は精包を放出し、雌は総排泄孔に精包を付着させて前進を止める。精子は総排泄孔から雌の体内に入り、受精する。この行動は数時間にわたって数回繰り返される』。『寿命は五十八年程度と推定されていたが、二〇一〇年の研究では、平均で六十八・五年、最大で百年と推定されている。寿命が非常に長いため、寿命と体サイズの比において、本種は他の両生類から外れた高い値を示す』とある。また、本種は非常に古くから存在が知られており、『本種をドラゴンの幼体であるとする民間伝承もあり、ドラゴンズベビーとの呼び名もある。クロアチアの天然記念物であ』る。さて、次に挙げるべきは(但し、丘先生はイモリ(有尾目イモリ亜目イモリ科イモリ属 Cynops)に似たと言っているから、狭義に考えるなら、ホライモリだけでも本当はよいと私は考えている)――概ね、私より少し若い世代より上の人ならよく記憶しているはずの、「ウーパールーパ」、両生綱有尾目トラフサンショウウオ科トラフサンショウウオ属メキシコサンショウウオ Ambystoma mexicanum――を始めとした幼形成熟したトラフサンショウウオ科 Ambystomatidaeの幼体成熟個体であろう。幼体成熟が正規のライフ・サイクルである本種メキシコサンショウウオ Ambystoma mexicanum(英名:Mexican salamander)を代表格としたたトラフサンショウウオ科の幼体成熟個体は英語で“Axolotl”(片仮名音写で「アホロートル」とするが、発音は「アショロォル」が近い)と呼ばれる。「ウーパールーパー」に至っては日清食品の焼きそば「UFO」の商品PR用のメキシコサンショウウオ(の幼体成熟個体)のキャラクター名に過ぎず、本邦でしか通用しない流通名である。但し、同科の種は幼体成熟する種よりも、普通に水陸に両生出来る成体個体に成長する種の方が圧倒的に多いはずである。メキシコサンショウウオ Ambystoma mexicanum は(ウィキの「メキシコサンショウウオ」より引く。アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、現在はメキシコのソチミルコ湖(Xochimilco:はメキシコの首都メキシコシティ連邦区内にある十六の行政区(delegaciones)の一つであるが、メキシコシティ中心部からは南へ二十八キロメートル離れている。ここにはかつて広大な湖があったが、現在は極めて縮小・分散化している。運河が多い)の周辺に棲息する固有種である。『全長十 ~二十五センチメートル。メスよりもオスの方が大型になり、メスは最大でも全長二十一センチメートル。通常は幼生の形態を残したまま性成熟する。胴体は分厚い。小さい孔状の感覚器官は発達しないが、頭部に感覚器官がある個体もいる。左右に三本ずつ』、『外鰓がある。背面の体色は灰色で、黒褐色の斑点が入る』。『上顎中央部に並ぶ歯の列(鋤口蓋骨歯列)はアルファベットの逆「U」字状。四肢は短く、指趾は扁平で先端が尖る。水かきはあまり発達せず、中手骨や中足骨の基部にしかない』。『自然下では水温が低くヨウ素が少ない環境に生息し』、チロキシン『を生成することができないため』、『変態しない』。『繁殖様式は卵生。十一月から翌一月(四~五月に繁殖する個体もいる)に、水草などに一回に二百~千個の卵を産む』。『開発による生息地の破壊、水質汚染などにより生息数は激減して』おり、『以前はメキシコ盆地内のスムパンゴ湖やチャルコ湖・テスココ湖にも生息していたが、埋め立てにより』、『生息地が消滅した』。『一九七五年のワシントン条約発効時からワシントン条約附属書Ⅱに掲載されている』。『ペットや実験動物として飼育されることもある。国際的な商取引が規制されているため、日本ではほぼ日本国内での飼育下繁殖個体のみが流通する』。『飼育下では白化個体などの様々な色彩変異が品種として』作り『出されている』。『飼育下ではサイロキシンの投与や水位を下げて飼育することで変態した例もある』とあるが本種が幼体成熟種であることが判ったのは、確か、ある海外の飼育園で、ある日、本種が陸に上がって、緑色の立派な成体に変態したのが発見されたことに由来するはずである。確かにそう書かれた書をかつて読んだ。そこにはそのような処置は書かれていなかったから、私は本種は自然界でも成体に成熟すると考えている(現地では成熟した成体を別種として認識していたのではあるまいか、とさえ私は考えている)。発見し次第、追記したい。]
[肺魚類の心臟及び動脈基部]
[やぶちゃん注:同前の理由から国立国会図書館デジタルコレクションの画像を使用した。]
[肺魚類の一種]
[やぶちゃん注:これは底本画像が暗いため、講談社学術文庫版を使用したが、図版は全く異なるものである(種は同一で、以下の注で示す、オーストラリアハイギョ(ネオケラトドゥス・フォルステリ)Neoceratodus
forsteri と思われる)。]
尤もこれらのことは、以上諸動物の比較發生を調べれば、尚一層確に解るが、之は次の章に讓り、こゝにはたゞ解剖上の事實だけを述べて見るが、魚類では呼吸の器械は全く鰓ばかりで、心室から出た大動脈は悉く鰓を通過するから、その先は總べて呼吸の濟んだ血ばかりが身體を循環し、總べてが靜脈血となつて心耳に歸つて來る。それ故、魚類では心臟を通るのは靜脈血ばかりである。所が、魚類の中には肺魚類といふて、熱帶地方の大河に住む奇妙な類がある。この類は既に名で解る通り、鰓の有る外に肺を有し、呼吸の器官が水に適するものと、空氣に適するものと二通りになつて居るが、一體熱帶地方では我々の温帶地方と違ひ、一年が春夏秋冬の四季に分かれず、半年は雨降りが續き、半年は旱魁が續いて、一年が殆ど乾濕の二期に分かれてあるから、かやうな處に住するには最も調法な仕掛けである。卽ち水の多い時には普通の魚と同じく水中を泳いで水を呼吸し、次に旱魃が續いて水が無くなれば泥の中へ潛り込み、僅に空氣を呼吸して命を繫ぎ、また雨の降る時の來るのを待つことが出來る。而してその肺は如何なるものかと調べると、別にこの類だけにある特殊の器械ではなく、鯉・鮒等の如き普通の魚類にも常に見る所の鰓である。通常の魚類では鰾[やぶちゃん注:「うきぶくろ」。]は何の役に立つかといふに、中に彈力性に富んだ瓦斯を含んで居ること故、周圍の筋肉が收縮すれば、鰾は小くなり、體の重量は減ぜずに容積の方だけが減じて體の比重が增すから、魚の體は自然に深い方へ沈む。また筋肉が弛めば瓦斯の彈力性により鰾は舊の大きさに復し、體の比重が減ずるから、魚の體は再び表面の方へ浮び上る。金魚などを飼つて置いて見て居ると、鰭も尾も少しも動かさずにたゞ靜に浮いたり、沈んだりすることがあるが、之は全く鰾ばかりの働である。斯かる魚は死んでしまへば總べて筋肉が弛むから、鰾は中にある瓦斯の自然の彈力で脹(ふく)れ、體の比重が減ずるから、恰も木の片の如くに水面に橫に浮ぶ。斯くの如く鰾は普通の魚では水中浮沈の器官であるが、肺魚類ではこの器官が不完全ながら肺の働きを務める。そのためには管によつて食道と連絡して居る。鯉・鮒等でも全くこの連絡がないのではない。やはり鰾と食道とは明に細い管で續いて居るが、幾ら鰾を壓しても食道の方へ瓦斯の洩れぬ所から考へると、單に管があるといふだけで、實際瓦斯の通行することはないらしい。卽ち鯉・鮒等に於ては、この管は一種の不用器官に過ぎぬ。然るに肺魚類ではこの管が實際に役に立ち、空氣は口より食道に入り、この管を過ぎて鰾の中へ流通するから、鰾は肺として働くことが出來る。普通の蛙の蝌蚪[やぶちゃん注:「おたまじやくし」。]、竝にヨーロッパ・アメリカ等に産する一生涯水中に住んで鰓を以て水を呼吸する蠑螈の類の呼吸の有樣は、略々之と同樣である。
[やぶちゃん注:「肺魚」脊椎動物亜門肉鰭綱肺魚亜綱 Dipnoi に属し、ケラトドゥス目 Ceratodontiformes・レピドシレン目 Lepidosireniformes に分かれる。肺や内鼻孔などの両生類的な特徴を持ち、「生きている化石」と呼ばれる。約四億年前のデボン紀に出現し、化石では淡水産・海産を合わせて約六十四属二百八十種が知られるが、現生種は全て淡水産で
ケラトドゥス目ケラトドゥス科ネオケラトドゥス属オーストラリアハイギョ(ネオケラトドゥス・フォルステリ)Neoceratodus
forsteri
(オーストラリア北東部にのみ分布。全長約一・五メートル。「ネオケラトダス」「ネオセラトダス」「ネオセラトドゥス」という表記もある)
レピドシレン目ミナミアメリカハイギョ科ミナミアメリカハイギョ属ミナミアメリカハイギョ(レピドシレン・パラドクサ)Lepidosiren
paradoxa
(南アメリカのアマゾン川流域やラプラタ川流域に分布。全長六〇~九〇センチメートル前後。紐状の対鰭を持つ)
レピドシレン目プロトプテルス科アフリカハイギョ四種
プロトプテルス・アネクテンス Protopterus annectens
(サブサハラ・アフリカ(Sub-Saharan Africa:アフリカ大陸及び周辺島嶼の内、サハラ砂漠以南、北アフリカ以外を指す)の広域に分布。アフリカ西部と南東部で、それぞれ、亜種アネクテンス Protopterus annectens annectens・亜種ブリエニー Protopterus annectens brieni とに分けられている。全長約八〇センチメートル。紐状の対鰭を持つ)
プロトプテルス・エチオピクスProtopterus
aethiopicus
(アフリカ熱帯・亜熱帯値域に分布。ナイル川流域に基亜種エチオピクス Protopterus aethiopicus aethiopicus・コンゴ川流域に二亜種コンギクス Protopterus aethiopicus congicus・メスメケルシー Protopterus
aethiopicus mesmaekersi が報告されている)
プロトプテルス・アンフィビウス Protopterus amphibious
(東アフリカに分布。全長約六〇センチメートルの最小のハイギョ。胴が短い。他のアフリカハイギョと同様に対鰭は紐状であるが、胸鰭後方の放射が発達している。外鰓は成体でも痕跡が残る)
プロトプテルス・ドロイ Protopterus dolloi
(コンゴ川・オゴウェ川流域に分布。全長は一メートル以上で、プロトプテルス属中、最も胴が細長い。紐状の対鰭を持つ)
計六種(+三亜種)のみが知られる。以下、参照したウィキの「ハイギョ」より引く(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。『ハイギョは他の魚類と同様に鰓(内鰓)を持ち、さらに幼体は両生類と同様に外鰓を持つものの、成長に伴って肺が発達し、酸素の取り込みの大半を鰓ではなく肺に依存するようになる。数時間ごとに息継ぎのため水面に上がる必要があり、その際に天敵のハシビロコウやサンショクウミワシなどの魚食性鳥類に狙われやすい。その一方で、呼吸を水に依存しないため、乾期に水が干れても次の雨期まで地中で「夏眠」と呼ばれる休眠状態で過ごすことができる。この夏眠の能力により、雨期にのみ水没する氾濫平原にも分布している。アフリカハイギョが夏眠する際は、地中で粘液と泥からなる被膜に包まった繭の状態となる。「雨の日に、日干しレンガの家の壁からハイギョが出た」という逸話はこの習性に基づく』。『オーストラリアハイギョが水草にばらばらに卵を産み付けるのに対し、その他のハイギョでは雄が巣穴の中で卵が孵化するまで保護する。ミナミアメリカハイギョの雄は繁殖期の間だけ腹鰭に細かい突起が密生し、酸素を放出して胚に供給する』。『ハイギョは陸上脊椎動物と同様に外鼻孔と内鼻孔を備えている。正面からは吻端に開口する1対の外鼻孔が観察でき、口腔内に開口している内鼻孔は見えない。肺魚類と四足類は内鼻孔を持つという共通項から内鼻孔類とも呼ばれた』。『ハイギョの歯は板状で「歯板」と呼ばれる。これは複数の歯と顎の骨の結合したもので貝殻も砕く頑丈なものである。獲物をいったん咀嚼を繰り返しながら口から出し唾液とともに吸い込むという習性を持つ。現生種はカエル、タニシ、小魚、エビなどの動物質を中心に捕食するが、植物質も摂食する。頑丈な歯板は化石に残りやすいため、歯板のみで記載されている絶滅種も多い。ハイギョの食道には多少の膨大部はあるものの、発達した胃はない。このためにじっくりと咀嚼を繰り返す。ポリプテルス類、チョウザメ類、軟骨魚類と同様に、腸管内面に表面積拡大のための螺旋弁を持つ。総排出腔は正中に開口せず、必ず左右の一方に開口する。糞はある程度溜めた後に、大きな葉巻型の塊として排泄する』とある。さらに、小学館の「日本大百科全書」から本叙述に関わる、「呼吸と血液循環」の項によれば、現生肺魚の鰾(うきぶくろ)は、『左右の二室に分かれている(プロトプテルスとレピドシレン)か、あるいは対をなさずに左右にくびれており(ネオケラトドゥス)、内面には胞状構造がよく発達して血管が密に分布し、肺の形状を備えている。肺魚はこの肺を用いて空気呼吸を行うが、同時に種々の程度のえら呼吸も行っている。肺呼吸への依存度はプロトプテルスとレピドシレンで高く、これらの種類は肺呼吸のみでの生存は可能であるが、えら呼吸のみでは不可能である。ネオケラトドゥスではえら呼吸の比率が高く、えら呼吸のみでの生存は可能であるが、肺呼吸のみでは不可能である。また、前二者は幼期に両生類と同様の外鰓(がいさい)がある。肺魚類は血液循環系でも条鰭類とは異なっている。条鰭類の循環系は心臓→えら→全身→心臓と一巡する単純回路であるが、肺魚ではこの回路のほかに心臓→えら→肺→心臓という回路があり、また心房と心室を左右に分ける不完全な中隔があって、肺からの血液と静脈血の混合がある程度防がれている。肺魚の循環系は、体循環と肺循環に分かれた四足動物の循環系への移行型といえよう。形態と同様に心臓の構造と肺呼吸の面でもネオケラトドゥスがもっとも原始的である』とある。]
普通の魚類の鰾は素より一種の臟腑として、血液によつて養はるべきもの故、鰾を通過する動脈の中の一本から枝が分かれてこゝに來るやうになつて居るが、來るのは無論動脈血で、歸るのは靜脈血である。然るに鰾が呼吸の器官として働く種類では、血管の配置の模樣は少しも相違はないが、鰾に來た血は更に淸潔となつて心耳に歸るから、心耳の中には一方からは全身を巡つて來た靜脈血が入り來り、一方からは鰾卽ち肺から歸つた純粹の動脈血が入つて、二種の血が一所に出遇ふことになる。或る種類では既に心耳が多少左右の兩半に分かれ、右の方へは全身を巡つた血、左の方へは肺から歸つた血が入るやうになりかゝつて居る。
倂し水の中に居るときは鰓だけが働き、陸上へ出れば肺だけが働き、一方の働く間は他の方は必ず休んで居て、決して兩方同時に働くことは出來ず、つまり孰れも半分より働けぬから、一疋で鰾と肺とを兼ね備へて居ることは使利なやうでありながら、實はさやうでない。諺にも「二兎を追うものは一兎を獲ず」といふ通り、二種の働きを兼ねるものは到底一種だけを專門とするものの如くには發達せず、所謂「虻も取らず、蜂も取らず」といふ有樣で、水中の呼吸に於てはたゞ鰓ばかりを有する魚類に及ばず、空氣を呼吸するに當つてはまた肺だけを有する蛙にも及ばず、敦れの方面でも他に優ることが出來ず、僅に特別に之に適した事情のある場處だけに生存することが出來る。鰾と肺とを兼ね備へた動物が現在甚だ少數で、その住處も狹く限られてあり、また蝌蚪が蛙に變ずる際にも、水から出れば鰓は直に衰へ、肺が急に發達して二者の兩立して働く時間の甚だ短いのも、この理によることであらう。さて、一旦陸上に出て空氣ばかりを呼吸するやうになれば、血管系に大きな變化が起るが、蛙の血管系は實際かやうな變化の結果として生じたものである。
蠑螈の心臟及び動脈基部
蛙の心臟及び動脈基部
[やぶちゃん注:以前と同じ理由で国立国会図書館デジタルコレクションの画像を用いた。]
蛙も蝌蚪の時代には、心臟・血管系ともに魚類の通りで、殊にその中なる肺魚類とは少しも違はぬ位であるが、生長が進んで陸上に出るやうになると、鰓は働くことが出來ぬから忽ち萎れて無くなり、之と同時に今までは形がありながら實際呼吸の役には立たなかつた肺が急に忙しくなつて發達する。その有樣は恰も線路が壞れて汽車が不通になれば、それまで餘り人の乘らなかつた人力車が急に忙しく盛になるのと同じである。肺が發達すれば肺に血が澤山來る故、その通路なる血管も太くなるが、元來肺の方へは、大動脈から分かれて鰓を通り、背中の方へ進む數對の動脈の中の最後のものから細い枝が來て、血を送つて居た所この枝が太くなつて、却つて心臟から直接に肺に行く幹の如くになる。之が卽ち肺動脈である。之に反して鰓より背中の動脈に達する間の部は、元幹であつたのが却つて細い枝の如くになるが、この枝は後益々細くなり、終には單に索(つな)となり尚後には全く消えてしまふが、その結果として肺動脈は全く獨立し、他の動脈との連絡が絶える。
また鰓は元來動脈の途中に挾み込まれたもので、心臟から鰓へ來るまでの管も、鰓から先へ血の進み行く管も、中を通る血液にこそ動脈血・靜脈血の差別はあるが、孰れも心臟から全身へ血の行く往路の中の一部分で、解剖上は動脈であるから、鰓がなくなればたゞ前に毛細管に分かれた處が分かれなくなるだけで、元鰓を通過した血管は各々簡單な一本の弓形の動脈となり、心臟から前へ出た大動脈は左右數對に分かれるとそのまゝ、皆體の側面に沿うて背の方へ進み、終に合してただ一本の下行大動脈となつてしまふ。これらの變化は文句で長く述べるよりも、圖で示した方が早く且明瞭に解る。
斯くして蛙の心臟から出た大動脈は、一對の肺動脈と三四對の動脈弓とに分かれるやうになるが、動脈弓といふものは何本あつても、各側ともに忽ち一本に合して後へ向ふもの故、若しその中一對が少し太くなつたならば、他はなくても濟む譯で、實際蛙などではたゞ一對だけより殘らず、他は漸々細くなつた末、終に悉く消えてしまふ。殘つた一對が卽ち生長し終つた蛙に見る所の動脈弓である。また肺動脈と大動脈弓とは初めは根元が共同であるが、追々共同部の内面に隔壁が出來て、血の通路が二つに分かれ、終には心室を出る處から全く別の二本の血管となつてしまふ。
動脈幹部の變化は以上述べた通りであるが、次に心臟を檢すると、ここにも著しい變化が起る。先づ肺が盛になれば肺より歸つて來る淸潔な血も多くなつて、全身を循環して歸る不潔な血と殆ど對等な分量となり、兩方から心耳に集まるが、斯く肺の發達する間に、心耳の方には内部に縱の隔壁が生じて左右の二部に分れ、心耳の内ではこの二種の血液が混合せぬやうになる。それ故、生長した蛙の心臟は二心耳・一心室より成り、一個の心室へ兩方の心耳から同時に血が入る故、淸潔な血と不潔な血とは心室内で混合し、更に大動脈と肺動脈とに分かれて流れ出るやうになつて居る。
龜などの心臟及び動脈幹部は蛙のと大同小異である。蛇のも略々同樣であるが、たゞ心室内にも多少縱の隔壁が出來掛つて、幾らか左右兩半に分かれ掛り、淸潔な血と不潔な血とが心室内で混ずることは免れぬが、淸潔な血は成るべく多く大動脈の方へ、不潔な血は成るべく肺動脈の方へ行くやうな仕組になつて居る。鰐類では尚一步進んで、左右の心室の間の壁が全く閉じ、肺靜脈によつて左の心耳へ歸つた血は、左の心室を通つて悉く大動脈の方へ出て行き、全身から右の心耳に歸つた血は、右の心室を過ぎて悉く肺動脈の方へ出て行き、心臟内でこの二種の血液が混合することの決してないやうになつて居る。次に鳥類の心臟・血管を調べると、大體に於ては之と同樣で、心臟は二心耳・二心室より成るが、左の大動脈弓が無くなつて、右一本だけよりない。また獸・人間等では之と反對で、右の方が無くなり、左の方ばかりが殘つて居るのである。
魚と人間とだけより知らぬときは、その心臟・血管ともに全く別の仕組に出來て居ると思はれるが、斯くの如くその中間に立つ動物を澤山に解剖して、順を追うて比較して行くと、魚類の如き有樣から一步ずつ進化して、終に人間で見る如きものまでに變じ來る順序が明に解り、人間の肺動脈は魚類の數對ある動脈弓の中の最後のものに相當し、また人間の大動脈は魚の動脈弓の中の或る一對の左半分だけに相當して、人間ではたゞ之だけが殘り、魚類の他の動脈弓に相當する部は消え去つたことも確に知れる。それから心臟の方も初めて一心耳・一心室のものが肺の發達に隨ひ、先づ心耳の中に隔壁が出來て左右に分れ、次に心室の方も次第に左右の二つに分れて、終に人囘に於ける如き二心耳・二心室の複雜なものまでになる具合が明に察せられるが、この考は決して空想ではない。現に人間の子供が母の胎内で發生する際には心臟・血管ともに全くここに述べたと同樣の往路を過ぎて出來る。この事に就いては尚次の章に於て説く積りであるが、心耳などには左右の間の隔壁の最後に閉じた部分は一生涯他の部より稍々薄く、兩面凹んで明に識別することが出來る。
心臟が二心耳・二心室より成るとか、左心室からは大動脈が出て右心室からは肺動脈が出るとかいふやうなことは、生理書で誰も學ぶが、之を學ぶものはたゞ斯くの如きものであると覺え込むばかりで、何故斯かる複雜な仕掛けが出來たかとの疑問が胸に浮ぶことも稀なやうである。倂し理窟を考へて見ると、一個の器官でありながら、心耳・心室ともに左右兩半が互に全く連絡なく、切り離しても働きの上には差支のないやうになつて居るのも不思議で、また血液が身體を循環するに當つて一度は肺だけに行き、一旦心臟に歸つて、再び出直し、全身を巡つて復心臟に歸り、完全に一循環するに二度も心臟を通過するやうになつて居るのも不思議である。若し人間の身體の構造は永久不變のもので、何處まで昔へ溯つても今日と同じであつたものとしたならば、この不思議はいつまでも解けぬが、こゝに述べた如く、元來水中に生活し、水を呼吸するに適するやうに出來て居た血管系を基とし、之を空氣呼吸に適するやうに順を追うて造り直し、一步づゝ進んで出來上つたものとしたならば、是非今日の有樣の通りにならざるを得ぬことが明になる。
« 子規居士(「評伝 正岡子規」原題) 柴田宵曲 明治二十五年 俳句方面の新機運 | トップページ | 柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 九 »