譚海 卷之二 河州源氏の瀧狂人を治する事
河州源氏の瀧狂人を治する事
○河内國かたのの南廿町ばかりにくらぢと云所に、源氏の瀧といふあり。山より五町ばかりに小松多くありて、駿河三保の松原に露たがはずとぞ。瀧の上に不動堂あり、その麓に瀧本坊とてふるき寺あり、常には門さして物靜かなり。その瀧長さ五丈程あり、扨(さて)此瀧に狂人をうたすれば平愈するとて、常にさわがしく、奇景の地却(かへつ)て殺風景となれり。
[やぶちゃん注:これは現在の大阪府交野(かたの)市倉治(ここ(グーグル・マップ・データ))にある「源氏の瀧」のこと。名は交野の里の悲話「源氏姫」に由る。同伝承は「交野市」公式サイトのこちらに詳しい。同瀧は古くは修験場でもあり、今も不動尊がある。
「廿町」二キロメートル強。
「山より」「山寄り」か。
「五町」約五百四十五メートル。
「瀧本坊」現存しないが、個人サイトと思しい「星のまち交野」のこちらのページ(ウォーキング報告で、地図と画像が有って非常に分かり易い。必見)には、「河内名所図会」にある同所の絵図を載せ、『小堂と庫裡があってそれを生垣で取り囲み、瀧本坊と記している』とあり、地図(グーグル・マップ・データ。先よりもクロース・アップ)で見ると、現在の「源氏の滝不動尊」(不動像は滝周辺にもある)の祀られている位置と一致することが判るから、かつてここにあった寺と読める。本文から見ると、既に本記事の頃(安永五(一七七七)年から寛政七(一七九六)年)には、既に住持も堂守もいなかったらしいことが判る。
「五丈」約十五メートル。但し、ネットで調べると、現行の落差は十八メートルとする。ヒロ兄(ひろにい)氏のブログ「気まぐれファミリー弾丸旅物語」の「源氏の滝【アクセス】~源氏滝の清涼~【心霊スポット】」が、アプローチ認識や画像的にもよいので必見。なお、同ブログ記事は妖しい心霊記事ではないので、ご安心あれ。
「此瀧に狂人をうたすれば平愈するとて、常にさわがしく、奇景の地却(かへつ)て殺風景となれり」この謂いには津村の批判的視点が見え、当時、既に修験道の道場としても流行らなくなり、こうした手法で人寄せをしていたことが強く疑われる。]
« 甲子夜話卷之四 28 星野久務が事 | トップページ | 子規居士(「評伝 正岡子規」原題) 柴田宵曲 明治二十九年 一題十句、十句集 / 明治二十九年~了 »