柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 物言ふ魚 五
五
さうして同時に又魚が人語したといふ傳説の、日本では相應弘い區域に亙り、又是よりもずつと複雜な形を以て、曾て行はれて居た時代のあつたことを、窺ひ得るやうな氣もする。實際この話は只の一つの傳説として、或地に根を生やし永く殘る爲にも、少しばかり簡單に失して居る。ましてや是が次から次へと、屢〻何人かによつて持ち運ばれたものにしては、餘りにも荷造りが不完全である。もとは恐らくは今一段と纏まつた説話であつたのが、世の流行におくれて廢れてしまひ、最も印象の深かつた此部分だけが、ちやうど又傳説のやうに消え殘つたものであらう。さうでなかつたならば單に是だけの話が、斯樣に數多く分布して居る筈は無いのである。
この私の想像が當つて居るか否かは、今後の採集が追々に之を決してくれると思ふから、今はたゞ心づいて居る事實だけを列擧するにとゞめて置くが、寶曆二年(西曆一七五二)の序文のある裏見寒話の末の卷にも、既に又一つの同じ例を載錄して居る。甲州は奧逸見(おくへんみ)の山間の古池で、ある夏の日の午後に土地の者が釣をすると、其日に限つて夕方まで一尾も竿にかゝらず、もう歸らうとして居る頃になつて、色の白い眼のきらきらと光つた見なれぬ魚を釣り上げた。それをびくに入れて早々還つて來ると、一町半も離れて後の池の方から、頻りに其名を喚ぶ者があつたというのは、釣人の名を呼んだといふのであらう。何と無く物凄く覺えて家に來て其魚を大盥[やぶちゃん注:「おほだらひ(おおだらい)」。]に入れ、上からよく蓋をして寢に就いたが、其夜夢の中に人來たつて憤怒の相を現はし、我は池の神なり、汝何が故に我眷屬を捕へ苦しむるぞと謂つて怒つた。さうして翌朝起きて盥を見ると、あれ程嚴重に蓋をして大石を載せて置いたのに、どうして出たものか其魚の姿は見えなかつたと誌して居る。是なども説話としては首尾の照應も無く、何か或一つの話の忘れ殘りの如き感あることは同じだが、それでも「一ぴき魚」と云ひ神の使はしめと云ふ所に、多少の結構の痕を存して居る。斯ういふ言ひ傳へが次々今幾つか出て來れば、以前どういふ形を以て是が流布して居たかの、見當だけは付くことゝ思ふ。
[やぶちゃん注:「裏見寒話」「うらみのかんわ」と読む。甲府勤番士野田市左衛門成方(しげかた)が記した甲斐国(山梨県)の地誌・伝承集。宝暦二(一七五二)年序。享保九(一七二四)年に幕府から甲府城勤務を命ぜられて赴任し、以来三十年近くかけて同地で見聞したものを書き残しておいたが、これを三男吉川正芳の助けにより、宝暦二年に一冊の書に纏めたもの。国立国会図書館デジタルコレクションの「甲斐志料集成 三」の画像のここで視認出来る。
「奧逸見(おくへんみ)」これでは不詳であるが、「裏見寒話」原典では『逸見比志村』となっており、これなら、現在の山梨県北杜市須玉町比志である。ここ(グーグル・マップ・データ)。]
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