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2018/03/28

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 物言ふ魚 七 / 物言ふ魚~了

 

     七

 

 宮古郡伊良部島の下地には、現在は既に又村が出來て居る。さうしてこの仲宗根氏の宮古島舊史 の存在を、まつたく知らぬ人が多いのである。彼等の耳で傳へて居る大昔のシガリナミは、之を如何なる原因に基づくものと傳へて居るだらうか。必ずしも此一部落で無くても、小さな島々にはどこにも此話は遺つて居るやうである。それを何と無く聽き集めて見ることが、恐らくはこの一節の説話の、巧まざる註釋を供與することゝ思ふ。

 一つの觀點は物をいふ魚の名を、この島ではヨナタマと謂つて居たことである。ヨナはイナともウナともなつて、今も國内の各地に存する海を意味する古語、多分はウミといふ語の子音轉換であらうといふことは、前に風位考資料のイナサの條に於て説いたことがある。それがもし誤りで無いならばヨナタマは海靈、卽ち國魂郡魂[やぶちゃん注:「くにたまこほりたま」。本来の土着の原初的な土地神。]と同樣に海の神といふことになるのである。知らずして海の神を燒いて食はうとしたものが、村を擧げて海嘯の罰を受けたといふ語り事だとすれば、單なる昔話といふ以上に、もとは神聖なる神話であつたらう。それが信仰の零落に伴うて、豐後では「背の甲をあぶりに行く」といふ話にまでなつて居たのであつた。もし其中間の過程を示す伊良部の記錄が傳はらなかつたならば、是はたゞ農民空想の奇異なる一例としか考へられなかつたであらう。

 次に幼兒の無意識の擧動によつて、母と子の只二人が命を全うしたといふことも、何か又信仰上の意味が含まれて居たのかも知れぬ。といふわけは我邦の海の神は、夙に少童[やぶちゃん注:「せうどう」。文字としての意味は「少年」「子供」であるが、「日本書紀」では「少童命」で「わたつみのみこと」(海神)と呼んでいる。]の文字を以て示されて居た如く、しばしば人間の世に向つて叡智なる君子を送つて居たからである。しかし此點を深く説かうとするのには、今はまだ材料が足りない。單に後年さういふ發見をする學者の出づべきことを、爰では試みに豫言して置くまでゝある。

 それから最後に日本以外の民族の傳承が、將來どういふ風な光をこの問題の上に投げるであらうかを考へて見ると、我々がまだ多くを知つて居らぬといふのみで、魚が物言つた話は追々に出て來るらしいのである。近頃讀んでみたジエデオン・ユエの民間説話論にグリム童話集の第五十五篇A、「ハンスの馬鹿」といふ話の各國の類型を比較して、その最も古い形といふものを復原して居るが、この愚か者が海に行つて異魚を釣り、其魚が物を言つてわが命を宥してもらふ代りに、願ひごとの常に叶ふ力を此男に授けたことになつて居る。出處は示して無いが何れかの國に、さういふ話し方をする實例があつたのである。私の想像では我邦の説話に於けるヨナタマも、一方に燒いて食はうとする侵犯者を嚴罰したと同時に、他方彼に對して敬虔であり從順であつた者に、巨大なる福德を附與するといつた明るい方面があつた爲に、斯様に弘く東北の山の中まで、「物言ふ魚」の破片を散布することになつたのでは無かつたか。もしさうであつたならば、今に何處からかその證跡は出て來る。さういつ迄も私の假定説を、空しく遊ばせて置くやうなことはあるまいかと思ふ。

        (昭和七年一月。方言と國文學)

[やぶちゃん注:「ジエデオン・ユエの民間説話論」フランスの文献学者で民俗学者でもあったジェデオン・バスケン・ユエ(Gédéon Busken Huet 一八六〇年~一九二一年)の作品らしいが、原題を探し得なかった。石川登志夫訳・関敬吾監修「民間説話論」として同朋舎出版から一九八一年に翻訳が出ているのが、最も新訳のもののようではある。

『グリム童話集の第五十五篇A、「ハンスの馬鹿」』個人ブログ「ふろむ京都山麓」の物言う魚 第3回<馬鹿のハンスの霊魚>によれば(一部に句点を打った)、

   《引用開始》

 柳田國男は「物言ふ魚」で、ジェデオン・ユエ著『民間説話論』を取りあげている。グリム童話「ハンスのばか」は構造に欠陥がある不完全な童話であるという。その原型は、ユエが紹介している完成形の昔話であるとしている。

 霊魚を助けた人間は、願い事、望むことが何でもかなうという不思議な力を与えられる。この伝説昔話は西欧、南欧さらにはロシアに広がっている。またシベリアや蒙古にも痕跡がある。そのようにジェデオン・ユエはいう。以下、グリムが採集した話をユエが補正し、完成させた物語である。

   [やぶちゃん注:ブログ主の現代語訳梗概開始。]

 昔、貧しくまた醜く、大馬鹿の若者がいた。彼は釣りに出かけ、不思議な魚をとった。この魚は話ができ、「もしわたしを水にかえしてくれれば、あらゆる願い事がかなう才能を授けてあげましょう」。若者は魚を水に投げかえした。

 帰路、王城の前を行く若者の醜さと間抜けた様子に、王女が窓から馬鹿にして哄笑した。腹をたてた若者は、口のなかで「お前は妊娠すればよい!」。すると魚との約束にしたがって、彼の願いはかない、姫は身ごもってしまった。

 父の王は訳がわからず怒り、娘を牢に入れてしまった。そして赤ん坊の王子が少し大きくなるのを待って、赤子の父親探しの計画を立てたのである。乳母に抱かれた子を宮殿の広場に置き、町のすべての青年を行列させて進ませるというテストである。子どもは惨めな様子をした醜い若者、この馬鹿な男をだけ指差した。そう、父はこの若者である。

 父親はまたも怒り、王女と青年と幼児を、樽に詰めて海に投げ捨てさせた。狭い樽のなかで王女はハンスに聞いた。「どうして知りあいでもないあなたが、わたしの子どもの父親なのですか」。若者は魚の話を語り、かつて窓辺の姫に怒り、はらめと口にしたばかりにこの子が産まれたと言った。

 「では、あなたの願いは何でもかなうの?」。「樽が近くの海岸に早く着くようにお願いしてよ」。岸に辿りつくと今度は「樽が開くように頼んでちょうだい」。

 「立派な宮殿がここに建つようにお願いしてよ」。そして「あなたが美しくなるように、あなたが利口になるようにお願いして」。すべて実現するのであった。

 国王も王女の智恵で、自らの過ちに気づき和解がもたらされた。そして美しく才気あるようになった若者は、国王の婿となり、その後王位の継承者となった。

   [やぶちゃん注:ブログ主の現代語訳梗概終了。]

 グリムの「ハンスのばか」はこの話にそっくりだ。ところが大切なポイントである霊魚が出て来ない。なぜ青年が特殊な能力を得たのか、その説明が欠落している。

 また不思議なことに「ハンスのばか」はほとんどのグリム童話集から除外されている。ドイツ文学者の吉原素子、吉原高志両氏によると、この話はグリム童話集の初版にのみ掲載されている。1812年にグリムがカッセルで、ハッセンプフルーク家の姉妹から聞き取った。しかしグリムは「ハンスのばか」を、フランスの話でありドイツの昔話ではないと推測し、第2版以降は省いたと吉原はいう。

 ハンスはなぜ不思議な能力を手にすることができたのか? グリムには謎だったのではなかろうか。グリムは、霊魚がハンスに力を与えたことを知らず、この話の決定的な弱点、完成度の低さから第2版以降は削除したのではないか。そのようにわたしは思っている。

   《引用終了》

とある。

 

 最後に一言、言っておこう。戦後まで生きた柳田國男は、日本が南方の島々の伝承の採集どころか、方言札を渡して沖繩方言を駆逐しようとし、皇民化教育を押し進めてニライカナイを撲滅しようとし、遂には大日本帝国の最後の防波堤として沖繩の民を見殺しにした事実を、どう思っていたのか聴きたいもんだ! そうして、限られた「ヨナタマ」ジュゴンの棲息地さえもアメリカ軍の基地建設で破壊しようとするのに加担している日本という国家が、戦中と何ら変わらぬという事実を、柳田國男よ、さても、どう思うかね? あなたの最後の一文はインキ臭い御用学者の空しい夢物語としてしか私には響いてこないが? どうかね?

 

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