甲子夜話卷之四 28 星野久務が事
4-28 星野久務が事
星野久務と云し坊主衆あり。質朴にして、常におかしきこと言ふ男なりき。その家は、御入國前よりの者なりと聞ゆゑ、予、或時、久務に久しき家なり迚賞しければ、久務手をふりて、是は御沙汰なしと云ふ。何かにと言へば、御推量も下され候へ。今雁間の御大名は、皆其始めは小身の御人達なり。然を今は城主、又は何萬石など御昇進にて、歷々の御勤なり。僕が家は、神祖の御始より奉仕候へども、今に坊主にて居候。古き次第知れ候ば、外聞宜しからずと云たり。予も一笑して止ぬ。後又人より聞に、參遠の頃より、子孫引續たる六尺多くありとなり。是亦憐れむべし。
■やぶちゃんの呟き
「星野久務」不詳。茶坊主なので「ほしのきゅうむ」(現代仮名遣)と読んでおく。
「坊主衆」茶坊主衆。将軍や大名の周囲で茶の湯の手配や給仕及び来訪者の案内接待等、城中のあらゆる雑用に従事した。しばしば、時代劇で城内を走るシーンが出るが、殿中にあって日常に走ることが許されていたのは、彼らと奥医師のみであった。なお、刀を帯びず、剃髪していたために「坊主」と呼ばれたが、僧ではなく、武士階級に属する。因みに、芥川龍之介の養家芥川家は、この末裔であった。
「御入國前よりの者」神祖家康公が江戸の入府なされる以前からお仕えしていた者。
「聞ゆゑ」「きく故」。
「迚」「とて」。
「是は御沙汰なし」この場合の「沙汰」は「話題として取り上げること・噂にすること」の意で、「いえいえ! このことは少しもどなたもお取り上げになって語られることは、ないので御座います」の意。
「何かに」「いかに」。「どうしてじゃ?」。
「雁間」「かりのま」。江戸城に登城した大名や旗本が将軍に拝謁する順番を待つ伺候席(しこうせき:控の間。)の一つで、『幕府成立後に新規に取立てられた大名のうち、城主の格式をもった者が詰める席。老中や所司代の世子も』、『この席に詰めた。ここに詰める大名は「詰衆」と呼ばれ、他の席の大名とは異なり』、『毎日』、『登城するため、幕閣の目に留まり』易く、『役職に就く機会が多かった』とある(ウィキの「伺候席」に拠る)。
「小身」「せうしん(しょうしん)」。身分が低いこと。俸禄の少ない下級武士。
「僕」古式に「やつがれ」と訓じたい。相手に対して遜った気持ちで用いられた謙遜の一人称。
「知れ候ば」「しれさふらへば」。知ってしまっておりますので。
「外聞宜しからず」ここはやや特殊な用法である。星野家が歴々の大名衆の祖のかつての有様を知っている故に、久務のことを悪しく言う者は恐らくあまりいない代わりに、何か家祖の情けない話を存じているかも知れぬと疑心暗鬼になり、煙たがる御仁が多く、結果的に彼の評判は悪くはないが、宜しくもないと言うのであろう。
「止ぬ」「やみぬ」。ここより後は一般の伝聞話で星野個人の話ではない。
「參遠の頃より」遠江より江戸へ家康公とともに江戸へ従って参った頃から。
「六尺」「ろくしやく」は「陸尺」とも書き、武家に於いて、駕籠舁(か)き・掃除夫・賄(まかな)い方などの雑役に従った人夫の総称。江戸城内に於いても「六尺」の名で呼ばれ、奥六尺・表六尺・御膳所六尺・御風呂屋六尺など、実にその総勢は数百人に及び、彼らに支給するために天領から徴集した米を特に「六尺給米」と呼んだ(以上は平凡社「マイペディア」に拠った)。