原民喜 曲者 ―― 六十八回忌の祥月命日に
[やぶちゃん注:初出は底本(以下)の「編註」には『世界評論』に初出とあるが、掲載原資料は『未確認』としており、発行年月日も未詳である。底本は芳賀書店版「原民喜全集」第二巻(昭和四一(一九六六)年刊)を元にしている。この初出誌とされる『世界評論』はよく判らないのだが、国立国会図書館の書誌データによれば、東京の世界評論社発行で、昭和二一(一九四六)年二月に創刊しており、昭和二五(一九五〇)年五月に第五巻第四号で休刊していることが判った。因みに、原民喜は昭和二六(一九五一)年三月十三日の午後十一時三十一分、吉祥寺・荻窪間の鉄路に身を横たえて自死した。
底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「夏の花」の後の「拾遺作品集Ⅱ」のパートに配してある)、以上の書誌データ及び底本の配置から、本作の発表は明らかに敗戦後であることが判るが、歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実、及び、原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今まで通り、かく処理した。本文中の段落の頭にある『☆』印は底本のママである。
なお、本篇はその内容から見て、戦前の原民喜の作品のシュールレアリスティクな幻想的雰囲気が、ある意味、濃厚に感じられ、また、作中に「燈火管制」「戰鬪帽」「疎開荷造」と出るから、或いはもしかすると、戦中又は戦後すぐに書かれたもの(特に最終条はその臭いを漂わせてはいる)の可能性がかなりある、と私は秘かに感じてはいる。
本篇を、私は、原民喜の六十八回忌の祥月命日に公開することとする。【二〇一八年三月十三日 藪野直史】]
曲者
☆その男が私の前に坐つて何か話してゐるのだが、私は妙に脇腹のあたりが生溫かくなつて、だんだん視野が呆けてゆくのを覺える。例によつて例の如く、これは相手の術策が働いてゐるのだなと思ふ。私は内心非常に恥しく、まる裸にされて竦んでゐる哀れな女を頭に描いてゐた。そのまる裸の女を前にして、彼は小氣味よさうに笑つてゐるのである。急に私は憎惡がたぎり、石のやうに頑なものが身裡に隱されてゐるのを知る。しかし、眼の前にゐる相手は、相變らず何か喋りつづけてゐる。見ると彼の眼もかすかに淚がうるんでゐる。ところで、漸くこの時になつて私は相手が何を話してゐたかを了解した。ながながと彼が喋りつづけてゐるのは自慢話であつた。
☆わはつと笑つて、その男が面白げに振舞へば振舞ふほど、後に滑り殘される空虛の淵が私を困らせた。その淵にはどうやら彼の祕密が隱されてゐることに私は氣づいてゐたが、そこは彼も見せたくない筈だし、私も見たくない筈であつた。それにしても彼は絶えず私の注意を動搖させておかないといけないのだらうか、まるで狐の振る尻尾のやうに、その攪亂の技巧で以て私を疲勞させた。生暖かいものが疼くに隨つて、その淵に滑り墜ちさうになると、私ははつとして頓馬なことを口にしてゐた。すると、餌ものを覘ふ川獺の眼差がちらりと水槽の硝子の向に閃いてゐるのだつた。
☆私はその男と談話してゐる時、相手があんまり無感覺なので、どうやら心のうちで揉み手をしながら、相手の團子鼻など眺めてゐる。私を喜ばす機智の閃きもなく、私を寛がす感情のほつれも示さず、ただ單にいつもやつて來てはここに坐る退屈な相手だ。どうしたらこの空氣を轉換さすことが出來るかと、私は頻りに氣を揉んでゐるのだが、そんな時きまつて私は私の母親を思ひ出し、すると、私のなかに直かに母親の氣質が目覺め、ついつまらないことを喋つたりするのだ。待つてゐた、とこの時相手はぶつきら棒に私の腦天に痛擊を加へる。すると、私はひどく狼狽しながら、むつとして、何か奇妙に情なくなるのだつた。
☆私はそこの教室へ這入つて行くと、默りこくつて着席するのだが、這入つてゆく時の表情が、もうどうにもならぬ型に固定してしまつたらしい。はじめて、その教室に飛込んだ時、私は私といふ人間がもしかするとほかの人間達との接觸によつて何か新しい變化を生むかと期待してゐたのだが、どうも私といふ人間は何か冷やかな人を寄せつけない空氣を身につけてゐるのか、どんな宿命によつてかうまでギコチない非社交性を背負はされたのか、兎に角ひどく陰氣くさい顏をしてゐる證據に、誰も今では私を相手にしようとしないのである。皆はそつと私を私の席にとり殘しておいてくれるだけである。そこで私は机に俯向いた儘、自分の周圍に流れる空氣に背を向けてゐる。私は目には見えない貝殼で包まれた一つの頑な牡蠣であらうか。すぐそのまはりを流れてゐる靜かな會話や娯しげな笑聲や、つまり友情といふものの溫氣さへ――まるで、ここへはてんで寄りつくことを拒まれてゐるやうに、凝と無性に何か我慢してゐるらしいのである。
☆その男は私の部屋にやつて來て、長い脚を伸して橫になつてゐる。時々、鼻でボコボコといふ大きな息をしたり、あーいと、湯上りのやうな曖昧な欠伸をしてゐる。さうかと思ふと、間の拔けた聲で流行歌を歌ひ出す。私は大きな棒が一本ここに轉がり込んだやうに面喰らひながら、だんだん不機嫌にされる。何時になつたら腰をあげるつもりなのだらうと焦々する。この男と暮してゐたのでは、こちらまで氣持が墮れてしまふし、私は私の時間が浪費されるのをじつと恨みながら、我慢しなきやならないのか。こんな相手は御免だと思ひながら、いつもいつもこんな目に遇はされてゐるので、さうすると、私はもう一生を空費してしまつたもののやうに、茫として、とりかへしのつかぬ思ひに身は痛くなるのだ。そして、今、彼の方を見れば、相手は牛のやうに部屋の隅で假睡してゐるのだつた。
☆その人に久振りに過つた私は、すぐ暇を乞ふつもりでゐたところ、その人はじつに私をうまうまと把へてしまつたのである。日は暮れ燈火管制の街は暗く、歸りを急ぐ心は頻りなのに、「まあもう一寸」とその人はゆるやかなオーバーを着込んだまま娯しさうな顏をしてゐるのである。電車やバスに搖られて、混み合ふ中だから、話もとぎれとぎれしか出來ないのに、さうして、廣い會場に連れて行かれると、ここではなほさら人が騷いでゐて話も碌に出來ないのに、その人はどの人とも巧みに二こと三こと冗談を云ひ合つたり、私が置てけぼりになりさうなのをちやんと心得てゐて一寸側に戾つて來たりする。そして、だらだらと粘強いこの人の親和的な辯舌を聞いてゐると、私は例の曲者を私のうちに意識する。一體この人のどこからああ果てしない糸のあやは流れ出、その綾に私はつつまれてゐるのだらうか。隨分昔からの交際ではあるが、今更ふしぎになつてもくるのだ。「もう遲いから失禮しますよ」と電車の中で私が時計を取出すと、「なあにまだ早いさ」と云つて、その人も懷中時計を出したが、その時計は停つてゐた。「この時計も、古いのだなあ、君も知つてゐるだらう」とその人は時計を見つめながら何か昔のことを喋り出したが、あたりの雜音にかき消されてしまつた。――翌日、私は勤め先でどうも私のものごしに、人に對して親和的な調子が溢れさうになるのを、どうすることもできなかつた。あの人の調子がずるずるとまだ私に働いてゐるのであつた。
☆私はその女を雇つてゐたため、食ひ辛棒の切ない氣持にされてしまつた。はじめ、その若い女が私の家へやつて來た時、眼玉がギロリと光つて暗黑な魂を覗かせてゐたが、居つくにつれて、だんだん手に負へない存在となつた。いつでも唾液を口の中に貯へてゐて、眼は貪欲でギラギラ輝く。臺所の隅で何かゴソゴソやつてゐるかとおもふと、ドタバタと疊を蹈んで表に飛出す。だらりと半分開いた唇から洩れて來る溜息は、いつも烈しい食欲のいきれに滿ちてゐた。そして、何かものを云はうとする時、眼玉をギヨロリとさせて、纏らない觀念を追ふやうに唇をゆがめ、舌足らずの發音で半分ほど文句を云つておき、さて突然烈しい罵倒的表現に移るのであつた。いつもその女は私の氣質を嘲弄するのであつたが、私も相手に生理的嫌惡を抱きつづけた。が、悲しいかなしかも、どうしたことであらう、凡そ、今日世間一般が飢餓狀態に陷つてしまつたお蔭で、私も四六時中空腹に惱まされてゐるのだが、どうかすると、私の眼はあの女の眼のやうにキロリとたべものの方へ光り、私の溜息は食慾のために促され勝ちで、私の魂はあの女のやうに昏迷し、食つても食つても食ひ盡せないものを食ひきらうとするやうに、悲憤の焰を腸に感じるのである。
☆私はその男に賴みごとがあつて行くと、相手は大きな木の箱へ釘を打込んでゐた。ワンピース(?)の作業服を着て戰鬪帽を橫ちよに被り、彼ほもつぱら金槌の音に堪能してゐるらしい。私の言はうとすることなんか、まるで金槌の音で抹殺されるのだし、相手は社長さんでありながら、好んで人夫のやうなことをしてゐながら、人足だ人足だ、今や日本は人足の時代だ、と云はんばかりの權幕で疎開荷造に餘念なく、靑く剃りあげた顎をくるりと𢌞して、こちらを睥んだりする。愈々私はとりつきかねるのだが、何だか忌々しく阿呆らしいので相手をじろじろ眺めてやると、向もこちらを忌々しげに睥み返し、用事がなければさつさと歸れ、と金槌の音を自棄につけ加へるのであつた。
☆私はその男の親切な顏をどういふ風に眺めたらいいのだらうかと、いつも微妙な惱みに惱まされるのだ。柔和な表情はしてゐるが、どこか底知れないものを湛へてゐるし、どうかした拍子に顳顬(こめかみ)に浮かぶギラリとしたものが、やはり、複雜な過去を潛めてをり、さう單純に親切ではあり得ないことを暗示してゐるやうでもある。どうにもならない戰災者の棄鉢で、やたらにその男にものごとを賴みに行けば、その男は萬事快く肯いてくれるのではあるが、それでゐてやはり私は薄暗い翳にうなされてゐるやうだつた。
☆私は家を燒かれ書齋を喪ひ、隨つて外部から侵略されて來る場所を殆ど持てなくなつた。むしろ、今では荷厄介なこの己の存在が、他所樣の安寧を妨げるのを、そつと靜かにおそれてゐるのである。どうしても、他所の家の臺所の片隅で乏しい食事を頒けてもらはねばならぬし、縮こまつて箸をとつてゐる己の姿は自分ながら情ないのである。私は知人から知人の間を乞食のやうな氣持で訪ねて行く。昔ながらの雰圍氣のいささかも失はれてゐないもの靜かな田舍の廣い座敷に泊めてもらつて、冬の朝そこの家の玄關をとぼとぼと立去つてゆく私の後姿には、後光が射してゐるのであつた。後光が?……おお、何といふ痛ましい幻想だらう。しかし、私はその幻想をじつと背後に背負ひながら、この新たなる曲者に對つて面喰つてゐるのであつた。
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