ブログ1070000アクセス突破記念 梅崎春生 益友
[やぶちゃん注:昭和三五(一九六〇)年十月号『小説新潮』に発表された。
底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集」第四巻を用いた。
本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日、1070000アクセスを突破するであろう記念として公開した。【2018年3月16日 藪野直史】]
益友
「やはり犬を飼うんですな、犬を」
私の邸内、というと大げさになるが、つまり家のまわりを一巡して、縁側にゆっくり腰をおろし、山名君は仔細らしい顔つきでそう言った。
「家なんてものは、どんなに厳重に鍵をかけても、ダメですな。その道の専門家にかかれば、ころりとあけられてしまう」
「へえ。その道の専門家というと、泥棒や強盗のことかね?」
「まあその見当でしょう。もっとも僕は泥棒に知合いがあるわけじゃないけれど」
そして山名君は猟犬みたいな眼付きになって、庭先のサンショウの木の下をじっと見つめた。
「足跡があったというのは、あの木の下ですね」
私の返事を待たず、山名君は立ち上って、つかつかとサンショウの木に歩み寄った。彼は背は高くないが、肩幅がやけに広くて、うしろから見ると渋団扇(うちわ)が歩いているように見える。そこにしゃがむと、ポケットから天眼鏡を取り出して、足跡をしらべ始めた。熱が入って、顔を近づけ過ぎて、額をサンショウのトゲに突き刺され、きゃつという悲鳴を上げて尻餅をついた。重心が肩の辺にあるので、彼は何かというと、すぐ転んだり尻餅をついたりして、威厳を損じる偵向がある。
「ちぇっ。いてえなあ」
舌打ちをしながら、体を立て直し、ごそごそと巻尺を取り出した。いっぱしの探偵気取りで、巻尺なんかを持って来るんだから、いやになっちまう。今度はおずおずと、足跡の長さや幅をはかって、ついでに臭いもかいでみたい風情だったが、また威厳を損じるのをおそれたのだろう、そのまま道具をポケットにしまって、肩を振りながら縁側に戻って来た。
「なるほど。あれはたしかに、人間の足跡ですな」
天眼鏡で見なくたって、人間の足跡であることは判っている。犬や猫が靴を穿いて歩き回るわけがない。
「あたりまえだよ」
「巻尺ではかったところによると、十文半の靴です。つまり十文半の靴を穿いた男が、昨晩お宅の庭に忍び入った、というわけですね」
「十文半ね。ふうん」
家人の話によると、昨夜庭のあたりをごそごそと歩き回る足音がしたと言う。私は寝つきはいい方だし、音には鈍感なたちだから、深夜の足音などに眼をさましたりはしない。しかし、夜中に他人の庭に入り込んで歩き回るなんて、ただごとではないから、それは犬じゃないのか、と確かめたら、いえ、たしかに人間の足音です、犬は足が四本あるから、歩き方が違う、との答えであった。でも、足音だけで、二本足と四本足を、聞き分けられるものかどうか。
「十文半というと、大して大男でもないな。やはり泥棒に入るつもりだったんだろうか」
「そう考えていいでしょうねえ。他人の庭を散歩するなんてことは、常識では考えられないから」
「でもね、靴を穿いている泥棒って、あるかしら。ふつう泥棒というのは、地下足袋とかワラジとか、または裸足で」
「何を言ってんですか。ミサイル時代の世の中だと言うのに」
山名君は煙草の煙をはき出して失笑した。
「そんな泥棒々々とした恰好(かっこう)じゃ、すぐ交番で不審訊問に引っかかりますよ。今の泥棒はね、大体においてサラリーマン風。これなら怪しまれないですからねえ。重役タイプなどというのもあるそうです」
「ほんとかね、それは。どこで聞いて来た?」
「ど、どこで聞いたというわけじゃないけれど、近頃大体そうなってるんですよ」
山名君はどもった。彼はいつも何でも知っているような顔をしているが、その根拠を問いただすと、すぐにどもったりもつれたりして、ごまかしてしまう習癖がある。
「これは十文半だから、おそらくスマートな紳士風ですね。こういうのがかえっておそろしい。やはり、犬を飼うんですな。いい犬の出物がありますよ。血統書つきの」
「どうしても、犬か」
私は嘆息した。犬はあまり好きではないが、夜中に怪漢がうろうろしているとあれば、仕方がない。それに私は犬運が悪いのだ。
「その血統書つきってのは、高いんじゃないだろうね。高いのはイヤだよ。ラックみたいなのは、御免だよ」
「ええ。ええ。手頃ですよ。決して高くはありませんよ」
さっきトゲから刺された額を、ハンカチでごしごしこすりながら、山名君は早口で答えた。ラックの名を出されるのが、彼にはつらいのである。
「ラックと違って、先代のエスみたいな実用的な犬です。悪い奴にはよくほえるし、よく嚙みつくし、多少恰好(かっこう)はよくないですけれどね。首輪も鎖もサービスしますよ」
山名君は犬屋ではない。他に職業はあるのだけれども、時々私の家にあらわれて、私が欲しがっているもの、私の家に欠けているもの、必要なものを、どこからか都合して用立てて呉れる。呉れるといっても、もちろんタダではない。しかるべき金額を、しかるべきといっても彼にとってしかるべき金額で、私の側からすると、どうも市価の二倍にあたるような金額を捲き上げて行く何でも屋さんだが、向うでは好意と善意をもってやっているらしいので、むげに断るわけにも行かない。便利なこともあるから、ついつい頼むことになるのだ。
今年のタケノコの季節に、山名君と食卓を囲みながら、うまいタケノコが食いたいなあと嘆息したら(丁度(ちょうど)その時食べていたのがタケノコ飯だった)その翌日彼は見事なタケノコを七八本、リュックサックに詰め、えっさえっさと持って来た。山名君は戦争中現役兵で、重砲部隊に属していたと言うから、矮軀(わいく)ながら腕力はなかなか強い。猿蟹(さるかに)合戦の蟹がにぎり飯を背負っている、そんな感じでかつぎ込んで来た。
「これはいいタケノコです。東京随一です」
山名君は汗をぬぐいながら、もったいをつけた。タケノコの本場は関西だそうだけれども、東京に持って来ると日数が経つから、うまくない。タケノコは鮮度を生命とする。だから地元の掘り立てが最高だというのが彼の自慢で、見ると皆掘り立てらしく、切り口があざやかで、黒い土があちこちにくっついていた。
「地元って、どこだね?」
「東京では、世田谷ですね。世田谷の奥」
世田谷が関東のタケノコの本場とは知らなかった。なんでも山名君の奥さんの実家が世田谷の蘆花公園の近くにあって、またその近くに絶好の竹やぶがあって、そこから買い込んで来たんだという。竹やぶをほったらかしにしていては、いくら絶好でもいいタケノコは出て来ないそうで、やはり肥料をやったり水をやったり、丹精をこめねばならない。その肥料の配分は云々と、山名君は情熱をこめて、長々と私にタケノコ談義をした。十何歳年下の男から、嚙んで含めるように講義されて、その度に面白くないような気分にこちらはなるのだけれども、それが彼の癖なのだから仕方がない。彼は絵描きで、夜学の図画の先生をしているから、すぐにそんな講義癖が出て来るのである。習慣とはおそるべきものだ。
七八本の中、我が家に少しわけて、あとはどこに持って行くのかと思ったら、皆私のために持って来たのだそうである。
「では、とにかく、賞味してみるか」
すぐに煮つけたり、味噌汁に仕立てたり、タケノコ飯をつくったりして、タケノコずくめの食事をつくって、一同で食べた。なるほど自慢するだけあって、香りもよくやわらかく、八百屋なんかではお目にかかれない絶品だった。うちの子供たちは、剝(む)いたタケノコの皮を指にはめて、
「悪魔だ。悪魔大王だ」
などと喜んで、家中を走り回っていた。
食事のあと一服しながら、
「まだたくさん残っているんだから、木の芽あえにして食いてえな」
てなことを、私がうっかり口を辷(すべ)らせたらしい。それから四、五日経って、しとしとと雨の降る夕方、彼はずぶ濡れになって高さ六尺ばかりのサンショウの木を、えっさえっさとかつぎ込んで来た。
「へえ。ごめんください。お待遠さまでした。あちこち探し回ってねえ、やっと気に入ったのを持って来ましたよ」
「へえ。サンショウが欲しいなんて、そんなこと、おれ、言ったかな」
「言ったじゃないですか。タケノコの木の芽あえが食べたいと、あんなに繰り返し言って、僕に眠くばせしたくせに」
眠くばせなんかした覚えは毛頭ないけれども、向うがそう言い張るんだから、仕方がないのである。とりあえず庭の隅に植えて貰ったが、ずぶ濡れになってがたがた慄えているのを見ると、そのまま放って置くわけには行かない。着換えを提供して、それでもまだがたがたしているから、そんなに寒いのか、と訊(たず)ねたら、
「皮膚は若干あたたかくなったけど、身体の芯(しん)がまだつめたい」
とのことで、結局身体の芯をあたためてやるために、お酒とさかなを出す羽目になってしまった。軍隊できたえたと称するだけあって、彼は酒にも非常に強いのである。一合や二合では顔色も変らない。よりによってこんな雨の日に、運んで来なくてもよさそうなものだと思うが、とうとうその日は相当量を飲まれてしまった。身体の芯があたたまって来ると、山名君はれいの講義癖を出して、サンショウにもいろいろの種類があって、一番下等品をイヌザンショウ、トゲのないのをアサクラザンショウ、その他ミヤマサンショウ、何とかサンショウと、いろいろ種類があり、今日持って来たのは黄金(こがね)サンショウという最高級のサンショウで、やはり世田谷の奥に生えていたのを引っこ抜いて来たんだと言う。世田谷の奥はいろんなものを産すると見える。
「持主に黙って引っこ抜いて来たんじゃあるまいね」
「冗談じゃないですよ。ちゃんと持主に交渉して、しかるべき代金を払って――」
それに運び賃を加えて、二千三百円ぐらいをふんだくられた。雨の日にわざわざ運んで来たのだから、要らないよ、とは言い切れなかった。
タケノコだって、八本を全部引受けたおかげで、家のものたちはすっかり食い倦(あ)きて、残りは捨てるわけにも行かず、私が全部を食べなければならぬことになってしまった。朝、昼、晩とタケノコを食う。タケノコなんて時々食うからうまいので、のべつまくなしに食わされては、いくら木の芽などで変化をつけても、うんざりしてしまうものだ。それに八本のタケノコ代だって、安くはなかった。山名君は相当儲(もう)けたらしい。
でも山名君は、私に食傷させようとの目的で、八本もタケノコを持ち込んだのではなかろう。十四年前、彼は復員して上京、ある画塾に通いながら、片や生活のためにヤミ屋をやっていたそうだ。ヤミ屋であるからには、何か欲しいとか足りないとか聞くと、すぐ衝動的にあちこちかけ回って、物資を探し出して来る。そんな商売を三四年も続けたものだから、すっかりその習性が身について、ヤミ商売をやめた今でも、私が何か欲しいと言うと、いても立ってもいられなくなる。そこら中をかけ回り、ムリをしてでも品物を持って来て呉れるのだ。そのムリに対して、表面的にでも、私は感謝せざるを得ない。それで彼がいくらか儲けても、それはヤミ屋の本能みたいなものだから、とがめる筋合いのものでなかろう。
「あの人はいい人だけれど、若いくせにもったいぶっていて、説教癖があるし、品物を持って来ても、儲け方がひど過ぎるようよ。夜学の先生だというけど、あれで生徒に人気があるのかしら」
と、うちの者は嘆くけれども、その度に私は弁解してやる。庭にへんな足跡があると電話すれば、すぐに巻尺と天眼鏡を持ってかけつけて呉れるような奇特な仁は、そうそう世間にいるものではない。
「素直だから、そうなるんだよ。ヤミ屋をやれば、やめたあとでもヤミ屋の習癖が抜けないし、教師になれば、とたんに教師根性が身についてしまう。ふつうの人なら、さっさと切り換えるところを、いつまでもそれから抜け切れない。よほど人物が素直な証拠だよ。紙にたとえれば、吸取紙みたいな人間だ。清濁あわせ飲むといったタイプで、きっと将来大をなすね。それにすべて、うちのことを思ってやって呉れるんだから、あんまり文句は言えないよ」
「でも、あのラックのことじゃ、大迷惑だったわ」
「うん。ラックについては、少々手違いがあったようだな。しかし、蜂事件じゃ、彼はすっかり手弁当で働いて呉れたよ。あれは気の毒だった」
昨年の夏、私が旅行から戻って来ると、私の部屋の戸袋に、蜂が巣をつくり始めていた。蜂だの蝶だの蟻だの、私は虫の生態を観察するのは大好きなので、取りはらいもせずそのままに放置した。毎日々々幾匹かのハタラキ蜂が、巣をつくる材料をたずさえて、どこからか飛来してくる。最初見つけた時は、垂れ下った房の孔が、四つしかなかったのに、それが六つとなり、七つとなり、八つとなり、次第にふえて行く。孔の数が十を越す頃から、番兵というか衛兵というか、そんなのが巣の入口に立ち始めた。いつでも飛び立てるように羽根をひろげて、ぎろぎろと周囲を見回している。その番兵が、初めは一匹だったが、孔の数の増加につれて、二匹、三匹とふえて行く。少々物騒なことになって来た。
私の部屋の戸袋というのは、つくりがお粗末で、すき間なんかがあって、外にも自由に出られるが、部屋の中にも自由に出入り出来るようになっている。だから哨戒(しょうかい)か偵察のつもりだろう、時折番兵蜂が部屋に入って来て、ブンブンとそこらを飛び回り、私の頭にとまったりする。私がじっとしているから、刺しはしないけれども。
いくら蜂の生態を観察すると言って、観察にも限度がある。どうにか処置しなければ、と考えている中に、蜂の世界にも突貫工事というのがあるらしく、ある日、妙に蜂の出入りがはげしいと思ったら、その日の夕方までに、巣はいっぺんに三倍ぐらいふくれ上って、衛兵も十匹ぐらいに増員されたのにはびっくりした。蜂の世界のことはよく知らないが、女王蜂か王様蜂かの命令で、何々の花の咲く頃までに巣を完成せよということで、かくてこのような突貫工事になったのではないかと思う。衛兵も十匹ぐらいになると、衛兵にも衛兵長というのが出来て、比較的大柄の体格のいい蜂が一匹、悠々とそこらを飛んだりとまったりして、時には部下の蜂たちに何か訓示を与えたり、偵察を命じたりしている風である。もう放っては置けないと、私は山名君に電話した。山名君は早速やって来た。
「一体どうしたんです?」
「蜂がね、戸袋に巣をつくって、困っているんだよ。雨戸の出し入れも、蜂に遠慮をして、そっとやってるくらいなんだ。君の力で取り払って呉れないか」
「そうですか。では早速、現場を見せていただきましょう」
戸袋のところに案内したら、あまり巣が大きいので、ぎょっとした様子である。
「取り払うって、これをですか?」
「そうだよ」
「そうだよ、じゃありませんよ。こんなに大きくなる前に、どうして電話して呉れなかったのですか」
山名君は恨めしげな声を出した。
「あれ、番兵蜂が僕をにらんでるよ。気持が悪いなあ」
「これねえ、ひょっとすると、蜜蜂じゃないかと思って――」
と、僕は弁解した。
「だから蜜がとれるのがたのしみに、今まで放って置いたんだよ」
「蜜蜂? 冗談じゃありませんよ」
山名君は小脇にかかえた本を、ぱらばらとめくった。見ると昆虫図鑑で、なるほど絵描きだけあって、用意周到なものだ。
「そら。蜜蜂というのは、これですよ。恰好が全然違うでしょ。これはね、コアシナガバチといってね、垣根や窓、下見板などに巣をつくる駄蜂です。蜜蜂がそんなところに巣をつくるもんですか。タダで蜜を採取しようなんて、図図しいにも程がある」
「図々しいのは、お互いさまだよ」
「え? 図々しいって、僕のことですか?」
「いや。このコアシナガバチのことだ」
私はうまくごまかした。
「どうやったら、この蜂どもは、退散して呉れるかなあ」
「そうですな。信州なんかでは――」
信州の蜂の子取りの要領を、彼は一席述べたてた後、
「しかし、今回のは蜂の子取りが目的じゃないんですからな、さて――」
腕組みをして、しばらく蜂の巣をにらみつけていたが、
「蚊帳(かや)がありませんか。ええ。古蚊帳でけっこうです」
「蚊帳をどうするんだい?」
「刺されないように、かぶるんですよ。それに、巣をたたき落すのに、何か棒切れをひとつ。かんたんなもんですよ」
「へえ。ずいぶん原始的な方法でやるんだなあ。棒切れって、スリコギでいいかい」
「ええ。けっこうです」
というわけで、古蚊帳とスリコギを出してやったら、山名君は蚊帳をすっぽりかぶり、スリコギを宙に振って具合をためしたりした。まるで西洋の幽霊みたいな恰好(かっこう)である。
「いいですか。ではあなた方は、他の部屋に行って、じっとしてて下さい。障子もきちんとしめるんですよ。血迷った蜂が、そちらに飛んで行かないとも限らないから」
蚊帳の中だから、声がくぐもって聞える。
「僕が、よし、というまで、絶対にこの部屋に来ちゃダメですよ。判りましたね」
そこで私たちは他の部屋にうつり、障子や窓を固くしめて、聞き耳を立てていたら、やがて蜂の部屋から、ばたんばたんと何ものかが格闘しているような音がおこり、絹を裂くような悲鳴が聞えた。それっ、とばかり私が腰を浮かせかけると、山名君は悲鳴のかたまりになって蜂の部屋を飛出し、廊下をどたどたと走って、私たちのいる部屋にどすんところがり込んで来た。私はあわてて障子をぴしゃりとしめた。
「どうしたんだ。しつかりせえ」
私は山名君を抱き起した。
「蜂は退散したか?」
「退散もくそもありませんよ。アンモニヤ。早く、アンモニヤを!」
うなりながら、身体から蚊帳をむしり取った。
「ああ、痛い。何というむちゃくちゃな悪性蜂だろう。蚊帳の中に飛び込んで、僕を刺すなんて!」
見ると顔や頭や手などに、数箇所刺されたもようである。だから蜂なんかと、バカにしなければよかったのだ。
「アンモニヤ。アンモニヤはないねえ。オシッコではだめか?」
「オシッコで間に合いますか。それ。薬を、薬を!」
と騒ぎ立てるので、そこらにあった富山の薬袋から、塗り薬を出してつけてやったら、やっと悲鳴がおさまった。それから山名君の語るところによれば、スリコギで力まかせに巣をはたき落したら、衛兵蜂がワッとむらがって襲撃して来たので、あわてて逃げ出そうとしたとたん、蚊帳の裾が足にからんですとんと転倒した。転倒したはずみに、なにしろ古蚊帳だから、縫い目が勢いよくほころびたらしい。蜂たちはたちまちそこからなだれ入って、山名君の身体の露出部をチクチク刺して回ったのである。これでは彼が悲鳴を上げるのもムリはない。
追っかけて来た蜂は、まだ山名君を刺そうと、障子の向うをブンブンと遊弋(ゆうよく)していたが、やがてあきらめたと見え、羽音も聞えなくなってしまった。だから我々は抜き足さし足、廊下を通って蜂の部屋をのぞいて見たら、唐紙に穴はあき、机上の灰皿が飛び散り、さんたんたる光景である。仰天してスリコギを振り回したから、こんなことになってしまったのだ。[やぶちゃん注:「遊弋」「弋」は「獲物を獲る」の意で、本来は艦船が敵艦船に備えて索敵するために海上を頻りに航行することを指し、後にあちこち動き回ることの意となった。]
「すみませんでしたねえ。こんなへマをやらかして」
さすがに山名君は恐縮して、首に手を当ててあやまった。
「この次退治する時は、もっとうまくやります」
「もう蜂退治は君に頼まないよ」
戸袋をおそるおそるのぞき込んだら、巣はごろんと敷居にころがっている。部屋の隅にはね飛んだスリコギを拾って、および腰でつついて見たが、もう孔の中に蜂はいないようであった。あきらめて他の場所に巣をつくりに出かけたのだろう。蜂がいないことを確かめると、山名君は急に元気になって、巣をわしつかみにしてにらみつけた。
「畜生め! 蜂の分際で、こんなところに巣をつくったりしやがって!」
巣を自分のポケットにつっ込んだ。
「この巣、要らないんでしょ。記念に僕が貰って置きますよ」
「うん、いいだろう」
それから山名君は、蜂の退治代と刺され代を請求したいらしく、口をもごもごさせていたが、私が不機嫌にせきばらいをして、さんたんたる室内を見回したりしたものだから、とうとう何も切り出せなくなって、その日はしょんぼり帰って行った。
あとでの述懐によると、その晩彼は蜂毒のため発熱、七転八倒したという。コアシナガバチにそんな猛毒があるかどうか、私は知らないけれども、常識として七転八倒はちょいと大げさ過ぎるように思う。記念に持って帰った蜂の巣は、見れば見るほどいまいましいので、漢方薬屋に持って行って売り払ったとのことで、蜂の巣は漢方薬の原料になるものらしい。
「いくらで売れた?」
と訊ねたら、えへへ、と笑って答えなかった。
山名君が名探偵気取りで、庭の足跡を調査してから一週間になるが、まだ何にも彼から連絡がない。血統書つきの犬は、もうこの前で一度こりているから、電話で催促する気持にもなれない。
あれはいつだったか、蜂事件に前後して、私の家にいたエスという犬が死んだ。八年前私の家に迷い込んで来て、何となく飼う気になったのだが、犬の八年とは人間の数十年に当るのだそうで、やはり寄る年波で寿命がつきたのだろう。ある朝、私が歯をみがきに井戸端に出たら、犬小屋の前のコンクリートの上に、エスが寝そべっていた。その寝そべり方がちょっと不自然で、四肢をぐつと突き出すようにして、近づいて見たが微動だもしない。
「エス!」
と呼んでも、動かない。すなわち死んでいたのである。エスの形はしていても、それはもうエスでなくなっていた。
飼っている動物に死なれるのは、哀しいと同時に、何かやり切れない感じがするものである。手厚く埋葬したいと思うが、うちの庭は狭くて、その余地がない。また自分で鍬(くわ)をふるうのも、気が進まない。こういう時ふっと頭に浮んで来るのが山名君で、その点彼は実に重宝な友達である。
早速、電話をかけた。
「え? エスが死にましたか。それは御愁傷さまのことで。すぐにうかがいます」
二時間ぐらいして、彼は自転車でやって来た。ひとりではなく、白い上っ張りを着た中年の男をうしろに乗せてだ。山名君はその男を紹介した。
「こちらはね、山田さんと言って、犬のお医者さんです」
「初めまして。山田です」
獣医はきんきん声で頭を下げた。
「御遺体はどちらですか?」
仕方がないから子供を呼んで、山田獣医を犬小屋に案内させた。獣医の姿が見えなくなると、私は山名君をなじった。
「いいかい。エスはもう死んだんだよ。死んだのに、獣医を連れて来るなんて、一体どういうつもりだい?」
「いえね、その――」
山名君は眼をぱちくりさせた。
「あんなに可愛がっていらっしやつたんだから、どんな原因でエスが死んだのか、お知りになりたいと思いましてね。それに、死亡診断書のこともあるし――」
「バカな。犬に死亡診断書もくそもあるか」
怒ったって、もう遅い。やがて山田獣医はのそのそと戻って来た。話を聞くと、寄生虫が心臓まで這(は)い上って来たのが死因だとのこと。あとで子供の話を開くと、獣医はエスの死体に全然手を触れず、じろじろと眺めていただけだと言う。眺めただけで死因が判るなんて、よほどの天才医者か、あるいはインチキに違いない。
「なるほどねえ」
山名君は嘆声を上げた。
「虫が心臓に食いついちゃ、いくらエスでも死ぬのがあたりまえだ」
「おいおい。感心している場合じゃないよ」
私はたしなめた。
「埋葬の方は一体どうして呉れるんだい?」
「ええ。そのつもりで来たんですよ。お宅に蜜柑箱か何かありませんか」
そこで物置を探して、蜜柑箱を出してやったら、山名君と獣医が二人がかりで、エスをその中にぎゅうぎゅうと詰め込んだ。
「あんまり手荒に詰め込むなよ」
私は注意をした。
「これでも八年間、僕が可愛がっていた犬だよ。僕の寂しい気持も察したらどうだ」
詰め込みが終ったので、私は死体の上に花などを乗せてやり、蓋をして釘を打ち込んだ。釘の音は私の胸に、ぎんぎんと書いた。山名君の話によると、都内の某所に犬猫専門の火葬場があり、そこへ持って行くのだという。
「何なら御位牌もつくって貰って来ましょうか」
「位牌なんか要らない」
犬の位牌なんかかざったって仕方がない。また自転車に乗り込んだ。一つの自転車に、二人の人間と一つの蜜柑箱が乗るのだから、窮屈を極める。獣医が言った。
「では、のちほど請求書を」
自転車はふらふらと揺れながら、やがて道の彼方に見えなくなった。ろくに仕事もしないくせに何が請求書だと、面白くない気持で私は家に引っ込んだ。
山名君が再訪したのは、それから一週間後である。書斎に通すと、彼は二枚の紙片を私に突きつけた。
「こちらが山田さんの請求書で、こちらが火葬場の領収書です」
ひろげて見ると、火葬場の代金は大体妥当なものに思われたが、獣医の請求書は意外に高い。
『初診料。一金五百円也』
むと書いてある。私は眼を剝(む)いた。
「初診料って、死んだものを診察するなんて、初耳だぞ。それに子供の話によると、あの獣医、ろくにエスに手も触れなかったそうじゃないか」
「いえ。あの人は城西随一の名獣医でね、一目でぴたりと死因をあてるんです。あんな名人にかかって、エスもしあわせ者ですよ」
言い争っても果てしがないから、相当する金を渋々彼に渡した。
「それで、君の死体運搬賃はどうなるんだね?」
「いいですよ。そんなもの。僕のささやかな勤労奉仕です」
彼は手をひらひらと振って、しおらしげな返事をした。
「実はね、今日かわりの犬を連れて来たんですよ」
「え? どこに?」
「今玄関につないであるんです。血統書つきの、実にいい犬です」
「僕がいつかわりの犬が欲しいと言った?」
「言ったじゃないですか。エスが死んで、とても淋しい。この淋しい気持を察して呉れとか何とかおっしゃるから――」
山名君は口をとがらした。
「あちこち探して、やっとこちらに合うような犬を見つけて買い取って、連れて来たんですよ」
「なに? もう買い取ったのか?」
「そうですよ。買い取らなきゃ、あんないい犬だから、よそに回っちまいます。だから僕が身銭を切ったんじゃないですか」
山名君は慨嘆にたえぬという顔付きをした。
「七千円です。立て替えるのは、僕もつらかった」
「七千円?」
私はがっくりとなった。犬如きに七千円も出すのは、私の趣味に合わないけれども、事態がかくなったからには致し方ない。玄関に行くべく腰を持ち上げようとすると、山名君は掌をひろげて押しとどめた。
「いや。こちらに連れて来ますよ」
「犬を、この書斎にか?」
「そうですよ。これは戸外で飼う犬でなく、うちで飼う犬です。つまり愛玩用ですな」
彼は玄関に行き、その名犬なるものを連れて来た。犬は私の顔を見て、くしゃつとした顔をゆがめて、キャンキャンと啼(な)き立てた。私は犬についてはあまり知識はないけれども、見れば見るほど妙な形の犬である。胴体がものすごく長くて、四肢が申し訳みたいにちょんちょんとついている。その上尻尾がぼたっと大きく垂れ下っているのだ。
「なんだか相撲の琴ケ浜みたいな犬だなあ。その胴体が長いのが取り柄なのか」[やぶちゃん注:「琴ケ浜」当時、大関であった香川県三豊郡(現在の同県観音寺市)出身(出生地は宮崎県)の琴ヶ濵貞雄(昭和二(一九二七)年~昭和五六(一九八一)年)。本名は宇草貞雄(うくささだお)。二所ノ関部屋に入門し、昭和二〇(一九四五)年十一月場所で本名の「宇草」で初土俵を踏んだ。昭和二四(一九四九)年十月場所で十両に昇進、翌年年五月場所で新入幕した。昭和三三(一九五八)年に、その三年前に元兄弟子佐渡ヶ嶽親方(元小結琴錦)が二所ノ関部屋から独立して創設した佐渡ヶ嶽部屋へ移籍。最高位は東大関。現役時代の体格は百七十七センチメートル、百十七キログラム。昭和三七(一九六二)年十一月場所後に現役を引退、年寄尾車を襲名した(以上はウィキの「琴ヶ濱貞雄」に拠った)。]
「そうですよ。実に可愛らしいでしょう」
彼はいとおしげに犬の背中を撫でさすった。
「それにこの尻尾の見事なこと。実にうまそうじゃないですか」
「犬の尻尾、食えるのか?」
「食えますよ。チョンチョンと輪切りにしてね、四、五時間ぐっすりと煮込みます。ソースや酒を加えてね。あとタマネギや小蕪(こかぶ)、人参なども入れてよろしい。つまりシチュウですな」
「ふん。ふん」
「香料なんかを加えると、ぐっと味が引き立ちますよ。お皿に尻尾と野菜を盛り合わせて、熱いうちにいただきます」
口調がまるでテレビの料理解説者みたいになって来た。
「ことわって置くけれど、僕は犬の尻尾なんかを食う趣味はないよ。君はしょっちゅう食ってるのか?」
「とんでもない。復員後は一度も食べたことはありませんよ」
あわてて手を振った。察するところ、戦地では盛んに食っていたらしい。
「それで名前は、ラックでどうでしょう?」
「うん。ラックか」
「そうです。幸福、幸運という意味ですな。この犬を飼えば、きっとあなたにも運が向いて来るでしょう」
それで犬の名はラックと言うことにきまってしまった。
その日から我が家では、ラックを大切に飼い始めた。七千円も出したのだから、大切にせざるを得ない。下にも置かぬもてなしである。それでラックも少々増長したらしい。
所かまわずウンチをするのである。ちゃんと犬の便所をつくってあるのに、そこではしないで、部崖や廊下を汚す。便所を覚える能力がないのかも知れない。
うちのものは言う。
「まんまと駄犬をつかまされたんじゃないの?」
「いや。駄犬の筈はない。恰好(かっこう)が面白いし、それに七千円も出したんだから」
ジステンパーというおそろしい犬の病気があるという話を、うちの子供が学校で聞いて来たのは、その二三日後である。この病気は雑種だの野良犬はあまりかからないが、純粋種、大切にされている犬にとかく取りついて、殺してしまう難病だそうである。私は気になったから、また山名君に電話をかけて見た。
「ちょっと訊ねるけど、ラックは純粋種かね?」
「もちろんですよ。純粋中の純粋。血統書を差し上げたじゃないですか」
「うん。血統書はいただいたがね」
なんだかよごれた紙片に横文字がずらずら記入してあって、あまり読む気がしないから、机の引出しに放り込んである。
「実はジステンパーにかかりやしないかと思ってね。予防薬か何かないのかい?」
「そうですな。山田さんに問い合わせて上げましょう」
翌日彼の方から電話がかかって来た。
「もしもし、ジステンパーの予防薬があるそうですよ。これを注射すれば、絶対にかからないという――」
「そうか」
「オランダ製でね、値段もちょっと張って、一本三千円」
「三千円?」
「ええ。その薬を持って、もうそろそろ山田さんがそちらに着く頃ですよ」
電話がそれで切れ、人間の私ですら一本千円以上の注射をしたことがないと言うのに、犬に三千円の注射とは何ごとかと、慨嘆これ久しゅうしている中に、玄関のブザーが鳴って、山田獣医が到着した。この前と同じく、白い上っ張りを着用している。有無を言わさず押し上って、三千円の注射をしてしまった。人間の医者は、ろくにあいさつをせず、他人の家に上り込む習慣があるが、獣医にもその傾向があるようである。
注射の済んだあと、ラックの悪い尻癖について質問したら、れいのきんきん声で、
「その時は叱ればいいんですよ。ただし愛情をもって叱ること」
とのことで、その日から部屋や廊下を汚したら、愛情をもって叱ったり、時には愛情をもって叩いたり蹴ったりしている中に、ラックは妙に元気がなくなり、便がやわらかくなって来た。つまり下痢便になったのである。ふつうの便でも困るのに、下痢便で廊下などを汚されてはたまったものではない。つくづく困じ果て、また愛想も何もつき果てて、また電話で山名君を呼び出した。山名君は早速やって来た。事情を話すと、彼ははたと膝をたたいて、
「そりや精神的圧迫にたえかねて、消化不良をおこしたんですな。いや、それにきまっています。直ぐ山田病院に入院させましょう。いえ、入院代は、僕の責任だから、僕に出させて下さい」
強引にラックを連れ去って行った。下痢便から解放されて、こちらもほっとしている中に、それから十日ほど経って、山名君は小さな壺をたずさえ、悄然と我が家を訪れた。
「まことに申し訳ありません」
書斎に通ると、彼はふかぶかと頭を下げた。
「とうとう、薬石効なく、ラックはこんな姿になりました」
「え? 死んだのか?」
「そうです。今日火葬を済ませて、骨壺を持って参りました」
壺を私の机上に差し出した。
「骨をごらんになりますか?」
「いや。もういいよ」
うんざりした気持で、私は骨壺を押し返した。
「思えば実に運が悪かったなあ。ラックも、この僕も!」
「はあ。ほんとに、あなたの益友である僕としたことが――」
「エキユウ?」
私は反問した。すると山名君の説明では、友達にもたくさんの種類があり、たとえば善友、悪友、益友、損友、その他棋友、釣友などいろいろあって、山名君は私の益友をもって任じているのだそうである。純粋の益友かどうか、ちょっと怪しいところもあるが、いや、ラックの件では完全に損友だったような気もするが、とにかく彼がそういう心がまえで、あちこち飛び回っているらしいことが、ほぼ了解出来た。
もっとも家人の主張によれば、あの骨壺の中の骨も、どこの馬の骨、いや、どこの犬の骨であるか判らない、と言うのだが――
庭の足跡事件以来、まだ山名君は我が家に姿をあらわさない。今度はどんな血統書つきの、どんな立派な番犬を持って来て呉れるのか、なかばワクワク、なかばビクビク、なかばどころか四分の三ぐらいビクビクしながら、私は待っている。
益友を持つ身も、またつらいのである。
[やぶちゃん注:本文中、山名は山椒の薀蓄で「一番下等品をイヌザンショウ、トゲのないのをアサクラザンショウ、その他ミヤマサンショウ、何とかサンショウと、いろいろ種類があり、今日持って来たのは黄金(こがね)サンショウという最高級のサンショウ」と弁じ立てているが、事実、山椒(被子植物門双子葉植物綱ムクロジ目ミカン科サンショウ属 Zanthoxylum のサンショウ類は多数の種がある(世界の熱帯・亜熱帯及び温帯地方に分布し、約二百五十種あまりを数える)。ウィキの「サンショウ」によれば、「イヌザンショウ」(犬山椒)はサンショウ属イヌザンショウ Zanthoxylum schinifolium で、我々が知っている最も知られたサンショウ Zanthoxylum piperitum が芳香を持ち、棘が対生するのに対し、イヌザンショウは芳香がなく、棘が互生する。イヌザンショウの果実は「青椒」と呼ばれて、精油を持ち、煎じて、咳止めの民間薬に用いられる。「アサクラザンショウ」(朝倉山椒)はサンショウ属アサクラザンショウ Zanthoxylum piperitum f. inerme で、上記タイプ種のサンショウの棘のない栽培品種を指す。江戸時代から珍重されていた。実生では雌雄不定で、且つ棘が生じて来てしまうので、主に雌株を接ぎ木で栽培したものを「朝倉山椒」として販売しているという。「ミヤマサンショウ」山朝倉山椒のことか。それならば、同じくタイプ種の自然品種(変種)ヤマアサクラザンショウZanthoxylum piperitum f. brevispinosum で、棘が短く、普通のサンショウと前のアサクラザンショウの中間型。山野に自生するとある。「黄金(こがね)サンショウ」不詳。最後に一番怪しげな形(「黄金(こがね)」「最高級」)で出た。まあ、これぞ、実は、普通の、当り前の、サンショウ Zanthoxylum piperitum なのであろう。私の家の斜面にもしっかり自生している。 他の品種はリンク先を見られたい。
「コアシナガバチ」膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科スズメバチ科アシナガバチ亜科アシナガバチ亜科アシナガバチ族アシナガバチ属コアシナガバチ(小脚長蜂)Polistes snelleni 。体長は十一~十七センチメートルと小ぶりで、本来の体色は濃い茶色に黄紋を持つが、飛んでいる姿は寧ろ、黒っぽく見え、蜂に見えない場合も多い。日本全国に分布するが、元来は林の低木の枝先や大きな葉の裏などにかなり特徴的な反り返った大きな巣を作る(巣の柄の部分を基点として一方の方向に伸長し、大型の巣では大きく上向きに反り返る。スズメバチの巣のように巣の内部を覆う蓋のようなものはなく、中が丸見えになっているのも特徴の一つである。営巣は五月頃には開始される)が、近年は自然開発の進捗から、人家の庭木、民家の板壁や軒或いはコンクリートの建造物の周辺の壁面などにも営巣するようになった。時期によっては巣に近寄ると、容赦なく幾度も刺してくる場合があり、アシナガバチ類(アシナガバチ亜科 Polistinae)の中では本コアシナガバチが最も攻撃性があるとする説もある。私が小学校二年生の時にカブトムシを採りに行って林の中を歩いていて、足の長い蜂に突然、刺されたのも、或いは彼らだったのかも知れない。]