青木鷺水 御伽百物語 始動 / 序・目録
本カテゴリ「怪奇談集」で青木白梅園主鷺水「御伽百物語」の電子化注に入る。
青木鷺水(あおきろすい 万治元(一六五八)年~享保一八(一七三三)年)は江戸前・中期の俳人で浮世草子作家。名は五省、通称は次右衛門、白梅園(はくばいえん)は号。京都に住んだ。俳諧は野々口立圃或いは伊藤信徳門下であったと思われるが、松尾芭蕉を尊崇し、元禄一〇(一六九七)年跋の「誹林良材集」の中では、彼は芭蕉を「日東の杜子美なり、今の世の西行なり」(日本の杜甫であり、今の世の西行である)と述べている(「早稲田大学古典総合データベース」の同書原典の当該頁画像を見よ。但し、彼が芭蕉の俳諧に倣おうとした形跡は殆ど認められない)。「俳諧新式」「誹諧指南大全」などの多くの俳書を刊行したが、元禄後期からは、浮世草子作者として活躍、本書や「諸国因果物語」(六巻)・「古今堪忍記」(七巻)・「新玉櫛笥」(六巻)などを書いた。
私は同作を以下の三種で所持している。
①昭和五(一九三〇)年博文刊・藤村作校訂「帝国文庫 珍本全集後編」
②昭和六〇(一九八五)年ゆまに書房刊・小川武彦編「国文学資料文庫三十四 青木鷺水集 第四巻」
③昭和六二(一九八七)年国書刊行会刊・太刀川清校訂「叢書江戸文庫二 百物語怪談集成」
本電子化注では、漢字を正字表記している①を基礎底本としつつ、校訂の行き届いている②及び③と校合し(①で読み難い箇所で送り仮名を送っているものは②或いは③を採ったりし、明らかに濁音とすべき箇所などは①~③になくても私の判断で打つなどして、読み易さを配慮した。但し、読み仮名は読みが振れると私が判断したもののみとした)、不審箇所は、
で確認するという、これ以上はない贅沢な万全の体勢を採った。また、①~③の本文に振られないが、読みを過つ虞れのある箇所には〔 〕を以つて私が歴史的仮名遣で読みを振った。但し、①~③の句読点や記号については従えない箇所もあり、それらを参考にしつつ、オリジナルに増補・変更している。踊り字「〱」「〲」は正字化した。字配はブログ公開の関係上、ブラウザでの不具合を考え、底本のそれは再現していない。また、やはり読み易さを考慮して、自在に改行を施し、直接話法或いはそれに準ずる箇所は記号を附し、時に改行した。
挿絵は①が抜粋で全部は載らず、②が孰れも汚損が激しく、③が最も綺麗に印刷されている。概ね、③から採る予定であるが、その都度、挿絵は①~③のどれを出典としたかを明らかにする。
注は私が踏み澱んだ箇所に限り、ストイックに当該部の段落末に附すことにした。
旧来、目録は全篇を完結した後に附したが、本書は第一巻の冒頭に、百物語形式の本書の登場人物一覧が出るため、最初に総て示すこととした。これは百物語形式を意識した額縁的構造である。但し、実質全二十七話(最終話は本文では連続)である。既にカテゴリ「諸國百物語 附やぶちゃん注」の冒頭注で述べた通り、正味百話構成の真正の「百物語」怪談集はその作者未詳の延宝五(一六七七)年四月刊の「諸國百物語」以外にはなく、この後のこうした「百物語」を名打った現存する古典の怪談集には、実は正味百話から成るものは一つもない。
近代 御伽百物語 日本𢌞國行脚如寶
[やぶちゃん注:「𢌞」は底本では「廻」であるが、この字が出現する原典本文を見たところ、明らかに「𢌞」の字を使用しているのでこれに換えた(以後、本文もそうする)。総標題の「近代」及び「日本𢌞國行脚如寶」は底本では二行割注表記(これは「早稲田大学古典総合データベース」の同書の原典画像では認められない)。「如寶」は「によほう(にょほう)」で、以下の目録に出る通り、語り手である不詳の僧(架空人物と思われる)の名である。奈良・平安前期に実在した律宗の渡来僧に同名の如宝(にょほう ?~弘仁六(八一五)年:中央アジアのサマルカンド地方の安国の出身か。優婆塞(俗人)として鑑真に師事し、師に従って天平勝宝六(七五四)年正月に来日、東大寺戒壇で受戒する。一時、下野薬師寺に住したが、鑑真が没するに際し、その委嘱を受け、唐招提寺に帰住、伽藍造営に尽力した。延暦一六(七九七)年に律師、大同元(八〇六)年には少僧都に任命されている。「日本後紀」の卒伝によれば、戒律を厳守し、大国の風格を有していたという。ここは「朝日日本歴史人物事典」に拠った)を或いは遠く幻想的に意識しているのかも知れない。また、本篇の最後の「百ものがたり果てて寶(たから)を得し事」(目次標題のみで、本文では前話の「黃金(わうごん)の精」に続いている)という一座のトンデモ・エンディングを考えると、そこに洒落た「宝のごとし」なのかも知れぬ。]
御伽百物語序
春くらし、九かさねの内も外も、分きてあらしのけふは長閑(のどけ)きと、打ちずンして外面(そとも)のかたを詠めやれば、來ぬ人も誘ふ斗(ばかり)、漸(やゝ)綻(ほころび)びそむる梅が香、いとなつかしう、夕日の影ながら、袖に移り、心にしむる夕風はとぞ、先づ思ひ出づる比(ころ)、我が梅園の戸ぼそに、例の二人(ふたり)三人(みたり)ぞ見え來つる。それが中に珍しかりしは、此四(よとせ)五年(いつとせ)が程、あづまの方(かた)に浮かれありきて、名ある山、勝(すぐれ)たる地、跡たれます神の社(やしろ)、行ひすませしといふ佛のみ寺、尊き隈々(くまぎま)、殘りなく修行(すぎやう)し、行ひ步行(ありき)たりとかいふなる聖(ひじり)の、いと老(おい)ぼれて、頭(かしら)白く、眉髭なども黑き筋なしと見ゆるをぞ、友(とも)なひ出できたる。『こは如何なる人にか、思ひの外に』とや、もてなさまし。「そも何人(なにひと)ぞ。」と問はせたるに、此〔この〕將(い)て來(こ)し人のいふやう、「是れは六十六部の御經を治めて、諸國をめぐり、有るとある、うきめ、恐しき事、見もし、聞き盡して、此春はこゝに物し給ふ世捨人にあンなり。昨夜より我が方に宿を借し參らせ、夜ひとよ、語りあかし、法文(ほうもん)なンど承りつるに、また二〔ふたつ〕なき希有の物語も侍(はべら)ふに付きて、よし、我ひとり聞かんも無下(むげ)也と思へば、今宵はこゝに伴ひ侍りつる」といふに、我もやゝ心動きて、「さらばよ、かはるがはる、あど打ち給へ。まろは物忘れの爲方(せんかた)なければ、書き留めても、由あるは殘すべかりけり。」とて、硯ひきよせつゝ一つ一つ書きて見るに、いさや、浮きたる事ともしらねど、咄しも咄しけり。聞きも聞きたる哉(かな)。すゞろに言(こと)の葉(は)の茂りゆく數(かず)の、やがて十(とを)づゝ十(とを)にもやと、おもふばかり、息もつぎあへず、何くれと積りて、果(は)ては手(て)もたゆく、ねぶたき迄なりにたるに、猶やまずぞいふ。聞きまがひたるもあらん、書きもらしたるも有るべし。やがて明(あけ)の日は、彼(か)の友の方へ遣(つかは)すべかりける程に、又あらたむるにも及ばす。是れが名を「御伽(おとぎ)百ものかたり」と書きて、なげやりぬ。
白梅園主鷲水
【印】
[やぶちゃん注:【印】は鷺水の号「白梅園」で「早稲田大学古典総合データベース」の同書原典の当該頁画像を見て戴くと判るように、「梅」が花弁の絵となっている洒落たものである。
「打ちずンして」漢詩や和歌俳諧などを口ずさもうとして。
「友(とも)なひ」「伴ひ」。
「六十六部の御經を治めて、諸國をめぐり」「法華経」を六十六部写経したものを、日本全国六十六ヶ国の国々の霊場に一部ずつ奉納して廻った僧を「六十六部(ろくじふろくろくぶ(ろくじゅうろくぶ)」と称した。これは鎌倉時代から流行したが、江戸時代には、諸国の寺社に参詣(さんけい)する巡礼又は遊行(ゆぎょう)聖などを第一に指した。白衣(びゃくえ)に手甲(てっこう)・脚絆(きやはん)・草鞋(わらじ)という姿で、背に阿弥陀像を納めた長方形の笈(おい:「龕(がん)」とも称する)を負い、六部笠を被った姿で諸国を廻ったが、同時にそれと同じ巡礼姿で、米銭を請い歩いた乞食も多くいた。単に「六部」とも呼ぶ。ただ、この如宝は周囲の懇ろなもてなしや語り口から見ても、相応の知見を持った善知識である。
「あど」話し手に調子を合わせる応答。相づち。
「御伽」は原典(上記リンク先)を見ても判る通り、「おとき」と清音ルビとなっている。③に従い、「おとぎ」とした。]
御伽百物語卷之一目錄
卷之一
百物語の咄人(はなして) 六十六部の僧如寶
同(おなじく) 發起人 花垣舌耕子(はながきぜつかうし)
同 應對(あど) 四五人
亭の主人 白梅園
[やぶちゃん注:「花垣舌耕子」不詳。「發起人」なら開板の版元を洒落たものかとも思って調べたが、江戸の和泉椽(本元の書肆は京寺町通松原上ル町の菱屋治兵衛)でそれらしくない。或いは如何にもな雅号「花垣」という姓も怪しい。或いはこれも鷺水の雅号「白梅園」と異様に親和的で、そのパロディではなかろうかとも疑える。または、鷺水の親しい俳人仲間にこう称した人物がいたのかも知れない。]
剪刀師(はさみし)龍宮に入る付タリ北野八百五十年忌
むじなの祟(たゝり)付タリ豐後國日田の智圓が事
石塚のぬす人付タリ銕鼠(てつそ)砂をふらせし事
燈火(ともしび)の女付タリ小春友(とも)三郎妖化(ばけもの)に遣(つかは)るゝ事
宮津(みやつ)の化もの付タリ御符の奇特(きとく)ある事
[やぶちゃん注:「銕」は底本は「鉄」。原典で訂した。]
卷之二
岡崎の相撲(すまひ)付タリ捻鉄(ねぢがね)九太夫(たゆふ)冥使(めいし)にあふ事
宿世の緣付タリ誕生水(たんじやうすい)の辨天奇瑞ありて短册のぬしと契りをこめし事
淀崖の屛風付タリ繪に妙を得たる虛無僧
龜嶋(かめしま)七郎が奇病付タリ堺に隱れもなき白藏主(はくさうず)といふ狐ある事
桶町(おけてう)の讓(ゆづり)の井付タリ鬼女人を惑はす
[やぶちゃん注:「鉄」は底本も原典もママ。]
卷之三
西六条の妖化(ばけもの)幷杣(そま)が家の道具ゆへもなきに動きはたらきし事
猿畠山(さるはたやま)の仙幷本朝隱逸の輩(ともがら)にあふ僧の事
七尾(なゝを)の妖女幷古木の株(かぶ)人の娘にかよふ事
奈良饅頭幷鹽瀨の祖(そ)淨因(じやういん)の事
五道(ごだうの)冥官(めいくわん)幷太秦(うづまさ)の權左衞門科(とが)を得し事
[やぶちゃん注:「条」は原典もママ。「幷」は「ならびに」と訓ずる。]
卷之四
有馬(ありまの)富士付タリ二本松の隱れ里
雲濱(くものはま)の妖怪付タリ鵜取兵衞(うとりへうゑ)あやしき人に逢ふ事
恨(うらみ)はれて緣をむすぶ付タリ守山の喜内(きない)田地を賣りし事
繪の女(をんな)人に契る付タリ江戸菱川(ひしかは)が事
卷之五
花形のかゞみ幷難波(なには)五人男が事
百鬼夜行(やぎやう)幷靜原山(しづはらやま)にて劒術を得たる人の慢心をいましむる事
人食二人肉一(ひと、ひとのにくをくらふ)幷癩病を治(ぢ)せんため譜代の女を殺さんとして報(むくひ)ありし事
卷之六
木偶(もくくう)人と談(かた)る幷稻荷塚の事
桃井の翁(おきな)幷半弓を射る沙門の事
勝尾(かちを)の怪女幷忠五郎娘を鬼女に預けてそだてさせつる事
福びきの糸幷冥合(めいがう)ふしぎの緣ありし事
黃金(わうごん)の精幷百ものがたり果てて寶(たから)を得し事
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