明恵上人夢記 59
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一、同廿九日の夜、夢に云はく、上師の御頸の邊に不快の氣有り。予をして之を探らしむ。卽ち、云はく、「御房、滅に入りぬれば、此の事を止められず。」と云々。不文菩薩戒羯磨文(こんまもん)三□□□□□各七八人許り、其の機根に應じて之を講授すべし。喜悦して覺め了(をは)んぬ。
[やぶちゃん注:「□」は判読不能或いは虫食い。字数は私のいい加減な推定(底本は一つの長方形)であるので信用されないように。
「同廿九日」「58」に続くと考えるなら、建保七(一二一九)年二月二十九日である。
「上師」私は既にほぼ一貫して、これを母方の叔父で出家最初よりの師である上覚房行慈としてきた。ここでも同じ立場を採る。明恵は建仁二(一二〇二)年二十九歳の時、この上覚から伝法灌頂を受けている。上覚は嘉禄二(一二二六)年十月五日以前に八十歳で入寂していると考えられることから、この頃は未だ生きていたと考えてよい。
「御房、滅に入りぬれば、此の事を止められず」これは明恵の台詞ではなく、上師の台詞と採る。何故なら、そうであってこそ最後の「喜悦して覺め了(をは)んぬ」が生きてくると考えたからである。「滅」は煩悩や苦悩の消滅及びその先にある「滅度」、即ち、悟りの境地としての「涅槃」と採る。
「云々」は明恵が夢の続きを忘れてしまった場合に多く用いる。ここで切れて、後の夢とは無縁なケースもあるが、ここはしかし、最後の「喜悦」が利いているから、私は夢の中間部がごっそり忘れられてしまい、その最後がこうだったという形で採りたい。そのつもりで訳も読まれたい。
「不文菩薩戒羯磨文」不詳。頭の「不文」がなければ、「菩薩戒羯磨文」は「瑜伽師地論」から、彌勒菩薩が説いたとされる受戒法を抄出して三藏法師玄奘が訳したものである。解説としては『印度學佛教學研究』(第五十四巻第二号平成一八(二〇〇六)年三月発行)の吉村誠氏の論文「玄奘の菩薩戒―『菩薩戒羯磨文』を中心に―」(PDF)が詳しい。ウィキの「菩薩戒」によれば、『菩薩戒は菩提心や仏性に基づくものとされ、形式よりも動機や心を重視する傾向がある』とある。明恵好みである。「不文」は取り敢えず、不立文字(文字にすることが出来ない奥義)の意で採った。
「之を探らしむ」というのは、素手で、直接に、患部に触れて探るのでは、あるまい、と私は推理した。則ち、ある種の超常的能力によって観想・透視させようとしたのだと思う。そう採って訳を読まれたい。
「機根」仏の教えを聞いて悟りを開くための基盤となる宗教的性質や能力。
「講授すべし」上師から、その特殊な秘儀としての「菩薩戒羯磨文」の講説を受けるのがよい。]
□やぶちゃん現代語訳(脱落があるので上手く訳せない。悪しからず)
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同年二月二十九日の夜、こんな夢を見た。
上覚上師が、御頸(おくび)の辺りに、何やらん、不快の気配を感じておられる。そこで、私を呼んで、その不快な辺りを探らせなさった。しかし、即座に上師は、
「御房は、今、最早、滅に入っておるので、このような世俗の者の体の痛みなどという瑣末なことに関わることはできぬようになっておる。だから、この私の下らぬ首筋の不快感を止めるなどという馬鹿げたことはやれぬ。」
と仰せられた……。
……不立文字としての「菩薩戒羯磨文(ぼさつかいこんまもん)」を三…………各々、七、八人ばかりで、それぞれの者が、今、達しているところの機根に応じて、その奥義の菩薩戒を講授するのがよい、と私は感じた……そうして……心の底から……喜悦した……
……というところで目覚め、夢は終わった。
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