子規居士(「評伝 正岡子規」原題) 柴田宵曲 明治二十八年 「藤式部」「日蓮」
「藤式部」「日蓮」
九月になってから居士は「養痾雑記」の続稿として「藤式部」「日蓮」「制裁」の諸篇を『日本』に掲げた。須磨滞留中『源氏物語』を読んだことは、八月十日鳴雪翁宛の手紙に「此頃ひまにまかせて『源氏』須磨の卷などくり返し申候。殊にあはれ深く覺えて興に入り申候。ことし程初秋のゆかしき事は無之候。名所にすめる故にやと存候」とある。「藤式部」は『源氏物語』に関する感想を述べたもので、「須磨の浦風足もとに吹き入れて燈火靑く夜更けにし頃、寢ころんで靜かに『源氏物語』須磨明石の卷をひろげ見れば、我も其の人の心地して獨りほゝゑまるゝ事も多かり。物語のつくりざま筆のはこびなどさへ總て其頃の例にはなぞらへ難きを、今のえせ人のものせし小説などの及びかねたるは如何なる鬼神の作にかあらん。藤式部とは我が若き時よりの戀人なり」という冒頭からして、微妙な須磨の空氣を紙表に漂わせている。
日本の小説は『源氏物語』以後、不思議に睡眠状態に陥ったのだというのが、「文学漫言」における居士の観であった。「寫實派など稱へ出だせる此頃の小説も寫實の上にて云はゞ『源語』に劣れるすぢの多きはいぶかしきことなりかし」という批評も、後年の写生文の主張から見て当然の話である。居士は最後に「我友不折曰ふ。覺猷(かくいう)僧正の畫ける動物は形正しくして卑しからず。しかも其代はもとより後にも前にも似よりたるものだになし。今の世の西洋畫學ぶ人だに斯うは得(え)畫(ゑが)かじと。世には其時の勢にもつれず、夙にも染まで獨り秀でたる人のあるものなめり」と論断し、
かう思び續くるにふと窓に映る松の影もをかしくて
讀みさして月が出るなり須磨の卷
という須磨気分を以て筆を擱(お)いた。この文章は須磨滞留中に書いたものか、松山へ行ってから須磨にいた時の事を思出して書いたものか、その辺はわからない。
[やぶちゃん注:「覺猷(かくいう)僧正」(かくゆう 天喜元(一〇五三)年~保延六(一一四〇)年)は平安後期の天台僧で、高山寺の「鳥獣人物戯画」の筆者に擬せられる、所謂、「鳥羽僧正」のこと。源隆国の子。覚円に師事し、四天王寺別当となり、同寺の復興に尽力した。その後、三井法輪院を建立、密教の研究に努めた。その間に収集・書写した図像は法輪院本として重きを成した。後、天台座主にも補され、鳥羽上皇に信任されて鳥羽離宮に住んだことから、「鳥羽僧正」と呼ばれた。風刺画が巧みであったと伝えられる。]
「日蓮」もその文末に「余須磨の海樓に痾(やまひ)を養ふこと一月、体力衰耗して勇氣無し。たまたま日蓮記を讀んで壮快措(お)く能はず。覺えず手舞ひ足躍るに至る。日蓮を作る」とあるから、須磨において草したものの如くであるが、恐らくは松山に来てからの執筆であろう。居士の日蓮観は前年の「間遊半日」の中にちょっと出て来る。その時も豊太閤に比してあったが、今度も同じ筆法で「滿身の野心を有する者、前に日蓮あり、後に豐太閤あり、以て一國の人意を強うするに足る」と論じ、日蓮を以て「最後の大宗教家なり」としている。居士はいう。
[やぶちゃん注:以下は底本では全体が二字下げ。]
彼日蓮が時勢に造られずして時勢を造りしことを知らんと欲せば、その修学の苦辛を見るベし。十六、七にして志を立てしより十五、六年の間は眞面目に各宗派を研究せり。この年月は渠(かれ)が時勢を造り出だすための材料を蒐輯(しうしふ)せしものにして、此の間時勢は一度も僥倖(ぎやうこう)を渠に與へたる事なく、却(かへつ)て渠に逆らつて走りたり。利刀(りたう)は盤根錯節(ばんこんさくせつ)を喜ぶ。日蓮一たび決心せし後は順勢も逆流も與にその事業を助くるの機とせられざるはなかりき。
[やぶちゃん注:「盤根錯節」曲がりくねった根っこと入り組んだ節(ふし)を持った半端ない八重葎の意から転じて、複雑で処理や解決の困難な事柄の譬えとなった。]
この言葉は日蓮の面目を伝えているのみならず、居士の面目をも伝えているように思う。居士の日蓮論は端的である。何ら特別な材料や研究によらず、直にその面目を打出し来るところに、人としての契合(けいごう)の深いものがあるような気がする。
[やぶちゃん注:「契合」合わせた割り符のようにぴったりと一致すること。ここはここぞと思う評価対象者との間に於いて、子規のそれが、直截的であり、互いの精神とのダイレクトな結合の度合いが異様に強いことを指す。]
日蓮は居士が晩年までしばしば口にした人名の一であった。烈々たる日蓮の性格が海楼の涼風と相俟って、居士の脈管に無限の活気を吹込んだことは想像に難くない。殊に面白いのは「藤式部」を談じた筆を以て、また「日蓮」を論じていることである。居士に日蓮的な一面のあったことは何人もこれを認めるであろう。その日蓮の讃美者が同時に『源氏物語』を評して「神わざにかあるらん」という。一見相容れぬようなものを、悠々と左右の手に提げ得るのは、居士の多面的な所以(ゆえん)でなければならぬ。