栗本丹洲 魚譜 ヨコサ (ツバクロエイ)
[やぶちゃん注:一個体の背部と腹部。図版は国立国会図書館デジタルコレクションの「魚譜」からトリミングした。]
□翻刻1(原図の一行字数と合わせたもの)
海鷂魚異形者漁人呼ヨコサ
此種類頗多味属下品
壬午盛夏初三新見君
手自所寫贈者
此物横ニ濶ク長シ尾短小
ニ乄刺ナシ仙臺ニテカラヱイト呼
モノアリ背黒クハラ白シ黄色
ノ処ナシ尾ニ刺ナシ冬春ノ際
ニアリ其地ニテ風乾スルモノ炙リ
揉テ食フ大口魚(タラ)ヨリ色白シト
無毒ノモノナリ亦一種加州ニ
コツポウト呼フモノ背緑色ニ
腹下白シ味下品只賤民コレヲ
食フノミ是皆同種ニ乄形ハ
各小異アリ皆コレ狗䱋ノ類
ナルベシ寧波府志ニ所謂腹
下色白者曰地白ゟ䱋相
類トアルモ是等ノモノヲ
指テ云歟
□翻刻2(総て同ポイントにし、漢文読みの箇所は訓読し、概ね、カタカナをひらがなに、約物を正字に代え、句読点・濁点及び熟語を示すための連結記号や諸記号を打ち、一部に推定で読みと送り仮名を添えた。内容から、今回は完全な連続はさせず、あった方が読み易いと判断した箇所で改行した)
海-鷂-魚(えい)の異形の者。漁人、「ヨコサ」と呼ぶ。此の種類、頗(すこぶ)る多し。味、下品に属す。壬午(みづのえうま)盛夏初三(しよさん)、新見君、手-自(てづ)ら寫す所を贈れる者なり。
此の物、横に濶く、長し。尾、短く、小にして、刺(とげ)なし。
仙臺にて「からゑい」と呼ぶものあり。背、黒く、はら、白し。黄色の処、なし。尾に刺(とげ)なし。冬と春の際にあり。其の地にて風乾(かざぼし)するもの、炙(あぶ)り揉みて、食ふ。大-口-魚(タラ)より、色、白し、と。無毒のものなり。
亦、一種、加州に「コツポウ」と呼ぶもの、背、緑色に、腹下、白し。味、下品、只(ただ)、賤民、これを食ふのみ。
是、皆、同種にして、形は各々(おのおの)小異あり。皆、これ、狗-䱋(えい)の類(たぐひ)なるべし。「寧波府志」に謂ふ所の、『腹下色白の者、「地白」と曰ふより、䱋(えい)の相(あ)ひ類(たぐひ)なり』とあるも、是等のものを指して云ふか。
[やぶちゃん注:図の形状及び「ヨコサ」という名から、以前に注した、軟骨魚綱板鰓亜綱トビエイ目ツバクロエイ科ツバクロエイ属ツバクロエイGymnura japonica と同定してよい。「ぼうずコンニャクの市場魚介図鑑」の「ツバクロエイ」によれば、和名は『ツバクロ(ツバメ)が羽をひろげたような形、色合いだから』とあり、また「地方名・市場名」に『ヨコサエイ』とある。本記載では「味、下品に属す」とか、「味、下品、只(ただ)、賤民、これを食ふのみ」とあるのであるが、同記載を読むと、『尾に棘があり、危険なので嫌われている』。『味は悪くはないが』、『一般的に食用とはしない』としつつも、料理してみると、実際には味はかなりいいとあり、味噌汁が絶品らしい。『エイ類のみそ汁は実に味がいい。なかでも本種のものは屈指の味だと思われる。昆布も鰹節も不要。ニラが合う』とあるから、相当に美味いようだ。なお、丹洲の記載には重大な誤りがあるので注意しないといけない。本種には刺がある。「ぼうずコンニャクの市場魚介図鑑」の記載にも本種は『尾に棘があり、危険なので嫌われている』とあり、「デジタルお魚図鑑」も『尾部の中央より前に小さな毒針がある』と記してあって、極めつけは「ブリタニカ国際大百科事典」で、尾部は非常に短く、鞭(むち)状を呈し、毒棘(どくきょく)を備えると明記されている。さらに気になるのは、丹洲の記載で漁獲される地域として、仙台や加賀が挙げられている点である。本種は暖海性のエイで、南日本からシナ海にかけて分布するからである。或いは、この仙台産・金沢産とするものは、ツバクロエイではない可能性がかなり出てくる気がする(後注でも考証する)。
「此の種類、頗(すこぶ)る多し」本邦のツバクロエイ属は他にオナガツバクロエイGymnura
poecilura ぐらいで、そんなに多くない。ただ、サイト「WEBお魚図鑑」の「ツバクロエイ」の画像を見ると、同一のツバクロエイでも体表の色彩及び斑点の変異が多く、印象もかなり異なり、同記載にも、『体盤背面には小さな黒色斑があるが、これがないものもいる。また』、『噴水孔後側方に』一『対の白色斑がある個体も知られている』とあり、これが混淆して、しかも体盤幅が最大一・八メートルにも及ぶ巨大個体から、ちんまい幼魚をなどをも並べてしまえば、種が「頗る多」いと勘違いはするであろう。
「壬午(みづのえうま)」文政五(一八二二)年。
「盛夏初三(しよさん)」旧暦の狭義の盛夏の候は「初夏」が終わった次の日の旧暦六月六日頃から始まる。しかし通常、「初三」という語は月の初めの第三日目を指すので、ここは盛夏に入った文政五年七月の三日と、とるべきであろう。だとすると、グレゴリオ暦一八二二年八月十九日に相当する。
「新見君」不詳。
「刺(とげ)なし」前に注した通り、重大な誤り。
『仙臺にて「からゑい」と呼ぶもの』不詳。しかし、以前に何度も述べた通り、エイ類の鰭(実は単独の種を素材とせず、広くエイ類のそれを用いる)を干したものを、広く、東北地方で「からかい」と称する。山形県では「からがえ」「からげ」「からかい」と呼ぶ。「からかい」は狭義にはエイの干物を指すから、「から」は「乾(から)」で、「かい」は「かえ」「がえ」「がエイ」、「乾かしたエイ」の短縮形かも知れぬと私は前に推理したのであるが、まさにこの仙台の「からえい」とは「乾(か)ら鱏(えい)」なのではあるまいか?
「尾に刺(とげ)なし」くどいが、重大な誤り。私は多少なりと危険性のある海産生物については絶対明記をすべきと考える人間であるからである。
「冬と春の際」晩冬から初春の意でとっておく。温度がある程度下がって空気が乾燥し、東風も強くなる時期で天日乾燥には相応しい。
「其の地にて風乾(かざぼし)するもの」これは仙台と読める。としか読めない。さすれば、この「からゑい」はやはり、広くエイ類を指し、本暖海性のツバクロエイではないと考えるのが理に適っていると思う。思うに、丹洲先生には非常に失礼なのであるが、ツバクロエイのずんぐりむっくり形が、広義のエイ類の鰭だけを切り取って、干物に加工されて江戸へ回って来た「えいひれ」と、これ、すこぶる同じ形に見えたことによる、初歩的な誤認なのではあるまいか?
「大-口-魚(タラ)」条鰭綱タラ目タラ科タラ亜科 Gadinae のタラ類。日本近海では北日本沿岸にマダラ(マダラ属マダラ Gadus macrocephalus)・スケトウダラ(スケトウダラ属スケトウダラ Theragra chalcogramma)・コマイ(コマイ属コマイ Eleginus gracilis)の三属三種が分布するが、単に「タラ」と呼んだ場合はマダラを指すことが多い。
「無毒のものなり」ここは肉は無毒の意であるから、正しい。
『加州に「コツポウ」と呼ぶもの』不詳。しかし、背部が「緑色」というのは、どうもツバクロエイらしくないぞ! というより、石川県沖の海域に緑色のエイというのは不審だぞ! これは何か、エイではない、全く別の魚類なのではあるまいか?
「狗-䱋(えい)」私が勝手に当て訓したもの。
「寧波府志」明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府(現在の寧波市。ここ(グーグル・マップ・データ))の地誌。しかし、中文サイトの同書の電子化データを検索してみても、この文字列は出て来ない。今暫く、探索を続けるつもりではある。]
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