栗本丹洲 魚譜 正体不明の人食い魚 (オニイトマキエイか?)
[やぶちゃん注:可愛らしさとは真逆に、児童を無数に喰らったとする不詳の怪魚一個体の複写図。図版は国立国会図書館デジタルコレクションの「魚譜」からトリミングした。一見、漫画的に可愛くさえ見えるのは、丹洲がキャプション後半部(ポイント落ち)で述べている通り、丹洲が模写した原画自体が稚拙なため。]
□翻刻1(一行字数を一致させたそのままのもの)
文政五壬午歳八月豫州宇和郡吉田伊達紀伊矦
邸外海濵ニテ獲之小兒取食フヿ數ヲ知ラズ浦人
其名ヲ不知 口ヨリ尾ノ傍ノ小鰭マテ二間余横幅
三間半両ノ小ヒレ 二尺余尾ノ長サ一間五六寸
口大ニ濶ク俵三四個モ
入ベシ口ノ徑リ七尺
丹洲按ニ腹ヨリ見タル圖乎
イカニモ廉拙ナル写ナリ然レ共
後攷ノ便ニモナラント姑ク
コヽニ収入ス
□翻刻2(総て同ポイントにし、漢文読みの箇所は訓読し、カタカナをひらがなに、約物を正字に代え、句読点・濁点を打ち、一部に推定で読みと送り仮名を添えた。前後二文章として、それぞれ連続させた)
文政五壬午(みづのえうま)の歳(とし)八月、豫州宇和郡(うわのこほり)、吉田伊達紀伊(だて)矦(こう)邸外海濵にて、之れを獲(と)る。小兒を取り食らふこと、數を知らず。浦人、其の名を知らず。口より尾の傍(かたはら)の小鰭(こびれ)まで二間余り。横幅、三間半。両の小びれ、二尺余り。尾の長さ、一間五、六寸。口、大きに濶(ひろ)く、俵、三、四個も入るべし。口の徑(わた)り、七尺。
丹洲、按ずるに、腹より見たる圖か。いかにも廉拙(れんせつ)なる写(うつし)なり。然(しか)れ共(ども)、後攷(こうかう)の便(たより)にもならんと、姑(しばら)く、ここに収入(しうにふ)す。
[やぶちゃん注:出現した場所、図頭部先端の両側にある箆(へら)状になった一対の「頭鰭」(胸鰭由来)から総合するなら、既出既注の軟骨魚綱板鰓亜綱トビエイ目トビエイ科イトマキエイ属イトマキエイ Mobula japonica が真っ先に想起される。しかし、キャプションに記された各部のサイズがあまりに大き過ぎる嫌いがある。このサイズは最早、オニイトマキエイのそれではなく、近縁種のトビエイ科オニイトマキエイ属オニイトマキエイ Manta birostris(平均個体で三~五メートル、最大で八メートルにも達するともされ、体重は三トンにも及ぶ)である。或いは、南西諸島から黒潮に載って北上し、迷走してきた個体であった可能性をこそ考えるべきか。
「文政五壬午(みづのえうま)の歳(とし)八月」一八二二年。この年の旧暦八月は一日が九月十五日(この年は一月が閏で二回ある)。
「豫州宇和郡(うわのこほり)」伊予国の現在の愛媛県西南部の旧宇和郡(うわぐん)。伊予灘、速吸(はやすい)瀬戸を介して宇和海及び豊後水道に面した地域。
「吉田伊達(だて)紀伊矦(こう)」伊予国宇和島(現在の愛媛県宇和島市)周辺を治めた宇和島藩。藩庁は現在の愛媛県宇和島市丸之内の宇和島城にあった。当時の藩主は第六代藩主伊達村寿(むらなが 宝暦一三(一七六三)年?~天保七(一八三六)年:仙台藩主伊達重村が義父。正室順子が彼の娘であった)であった。但し、文化一四(一八一七)年からは病気を理由に、長男宗紀に藩の実権を預けている(文政七(一八二四)年九月に正式に彼に家督を譲って隠居している)。しかし、この「紀伊」守というのは不審で、村寿も宗紀も遠江守であって、紀伊守ではない。先々代の第四代藩主で紀伊守であった伊達村信(むらのぶ)辺りと誤認しているものと思われる。
「邸外海濵」現在の宇和島城はやや内陸にある(ここ(グーグル・マップ・データ))が、西方の港は新たに干拓された感じがするので、もっと城に近い位置まで海は入り込んでいたものと考えられはする。或いは藩主の私邸は城とは少し離れた海浜にあったものかも知れない。
「小兒を取り食らふこと、數を知らず」所謂、それこそ奇体な頭部と大きさから「尾鰭」のついた噂話である。イトマキエイ類はプランクトン食であり、人を襲って食うことは、絶対に、あり得ない。
「浦人、其の名を知らず」古老の漁師やらが、イトマキエイを見知らないというのは、おかしい気がする。余りの巨大さに、見知っているイトマキエイのギガなもの(則ち、オニイトマキエイとなるのだが)という認識さえも、恐ろしさのあまり生じなかったのかも知れぬ。
「口より尾の傍(かたはら)の小鰭(こびれ)まで、二間」三メートル六十四センチメートル弱。イトマキエイの全長は成体で約三メートルほどであるから、台盤だけとすると、これは異様に大きい。否、大き過ぎる。しかし噂話としてなら、異形の怪魚として、それがかく誇大に表現されたものという推理も除外は出来ない。ただ、後で尾の長さをはっきりと別に示しているから、やっぱり実際に大きかったことになる。だとすると、やはりオニイトマキエイの迷走個体か、或いは弱ったそれが漂着したものだったのかも知れない。
「横幅、三間半」六メートル三十六センチメートル。体盤長に比して、これは異様な幅に見えるが、イトマキエイの体盤は寸詰りの幅広であって、左右の三角形に張り出したそれは実際、体幹(前頭部頭鰭の内側の口の上辺から尾の付け根まで)の長さの二倍は優にあるから、比率はイトマキエイ類として自然で、ごく腑に落ちる数値である。
「両の小びれ、二尺余り」「二尺」は六十一センチメートルほどで、これは頭部左右に突き出た頭鰭の長さを言っている。
「尾の長さ、一間五、六寸」一メートル九十七センチメートルから二メートルほど。
「口の徑(わた)り、七尺」楕円形の口の長径(左右幅)は二メートル十二センチメートル。こうなると、ますますオニイトマキエイっぽい。
「廉拙(れんせつ)」安っぽくて下手であること。
「後攷(こうかう)」「後考」に同じい。]


