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2018/03/16

譚海 卷之二 吧𠺕哆國駒の事

 

吧𠺕哆國駒の事

○同七年夏紅毛人吧𠺕哆國(ハルタこく)の駒(こま)二疋を獻上せり。前年(さきのとし)享保中獻ぜし事有(あり)、その時はケイツルと云ふおらんだ人に乘(のせ)こゝろみさせ、時々御濱御殿などにても調馬あり。此たびも御尋(おたづね)ありし故、二三年の島にて當年牽來(ひききた)ると云(いふ)、駒は二歳なりとかや。長(たけ)甚だ高く道中問屋場の軒につかゆる程也。足の大(おほい)さをたとふるに沓(くつ)の大さ丸盆(まるぼん)程(ほど)ありとぞ。水を怯(おそ)れず息を切る事なし、異形(いぎやう)のものゆゑ、晝は驛に泊り夜陰(やいん)計(ばかり)り牽來るとぞ。ハルタ國我邦より壹萬五千里程ありといへり。

[やぶちゃん注:本文の「二三年の島にて當年牽來(ひききた)ると云(いふ)」はママ。頭の部分をそのまま強引に解釈しようとすると、「二、三年出島に於いて飼育した馬で」辺りとなるが、無理がある。思うに、これは「馬」の誤記ではなかろうか? 但し、そうなると後の「駒は二歳なりとかや」ダブりはちょっと気にはなる(但し、こうした書き方は江戸期の随筆ではしばしば見受けられる)。

「同年」前の「豪猪の事」を受けるから、安永四(一七七五)年となる。異形の獣類の連発記載である。当時の将軍は第十代徳川家治である。

「紅毛人」ここはオランダ人に限定された用法。ポルトガル人・スペイン人は南蛮人と呼ばれたのに対する。

「吧𠺕哆國」底本の竹内利美氏の補註に、『ハルシヤ国。ペルシヤ国の訛で、アラビア馬をオランダ人が献上したのである』とある。現在のイランを表わす古名であるが、漢名は「波斯(はし)」「波斯国(はしこく)」と書くことが多い。本文の後半の読みに従ってルビした。なお、現行では「波斯」に「ペルシヤ(ペルシャ)」とルビするケースもある。

「駒」アラブ種(ArabArabian)である。ウィキの「アラブ種」によれば、現存する馬の改良種の中で最初に確立した品種とされ、標準体高は約百五十センチメートル、体重約四百キログラム。『サラブレッドよりは小柄で華奢な体躯で、速力もサラブレッドには劣る』ものの、『耐候性、耐久性に優れる』。『その成立ははっきりしないが、アラビア半島の遊牧民、ベドウィンにより、厳格な血統管理の元に改良が進められ、品種として確立した。伝承によるとケヒレット・エル・アジュズ(「老婦人の牝馬」の意)という牝馬がアラブ種の根幹牝馬である』とある。

「前年享保中獻ぜし事有」「享保」は一七一六年から一七三六年までで、言わずもがな、家治の祖父第八代将軍徳川吉宗の治世で、年号で七つ、三十年以上前であるから、「さきのとし」と訓じておいた。次の注の引用も参照されたい。吉宗は動物好きで、彼の要望で安南(現在のベトナム)から象も献上されている。私の電子化訳注「耳囊 卷之十 文化十酉年六月廿八日阿蘭陀一番舟渡來象正寫の事」のことを参照されたい。

「ケイツル」個人ブログ「紀行歴史遊学」の「馬を輸入した暴れん坊将軍」に、『吉宗の騎馬像は実に絵になる。なぜ馬に乗っているのか。ちなみに、白馬で浜辺を疾駆する暴れん坊将軍をイメージしているのではない。享保年間に吉宗が西洋より馬を輸入したとの史実に基づいている。徳富蘇峰の大著『近世日本国民史』には、次のような記述がある』として(漢字を概ね恣意的に正字化させて貰った。一部に歴史的仮名遣で私の推定読みを挿入した)、

    *

吉宗は亦(また)和蘭舶(オランダせん)よりして、アラビヤ馬種をも輸入せしめた。

一 地より鞍下迄四尺五寸より六寸迄之(の)男馬(おすうま) 三疋

  右同尺之女馬 二疋

右御用に候間(あひだ)、可牽渡(ひきわたすべく)候。左(さ)あるに於ては、爲御褒美(ごほうびのため)御定銀高(ごじやうぎん)之(の)外に、八百貫目分之(の)臨時商賣可差免(さしまかるべく)候間、其積りを以(もつて)荷物可積來(つみきたるべく)候。尤(もつとも)御定船數(ごじやうせんのかず)之(の)外に、馬船一艘可乘渡(のりわたすべく)候。右寸尺より大長成(おほだけなる)馬程は宜(よろしく)候。小長成(こだけなる)馬は御用に無之(これなく)候。且又馬數之儀も、餘計牽渡候分は不苦(くるしからず)候間、才覺相調(あひととのへ)候はゞ、五六疋より十匹迄は可乘渡候。右之趣ぜねらるへ申達(まうしたつし)、來年入津(にふしん)之時分必(かならず)可牽渡候。卯(享保八年癸卯)九月

斯くてケイツルは、享保十乙巳年六月十三日、馬と共に長崎に來つた。

   *

(以下、リンク先のブログ主の書状(下し文)の訳)『一 体高四尺五寸から六寸(』百三十八センチメートル『前後)の牡馬』三『頭と同じ大きさの牝馬』二『頭』『上記の馬が必要ですので注文します。取引後に褒賞として、所定の代金のほか』、八百『貫目分の商売を許可するので、そのつもりで輸入してください。ただし、定められた数の船のほかに、馬を乗せる船を一艘用意してください。注文の体格より大きな馬はよろしいが、小さな馬は無用です。また、馬の数も多いのはかまわないので、工面できるなら』、五、六頭から十頭までは輸入可能です。以上、長官に伝えますので、来年の入港の際には、必ず引き渡してください。享保八年九月』(訳はここで終り、以下はブログ主の解説)。『戦国時代の馬の体高が四尺程度と小さかったので、吉宗には大きな馬に改良しようというねらいがあったようだ。そこで』享保一〇(一七二五)年、『アラブ種を輸入するとともに、オランダの調馬師ハンス・ユンゲル・ケイゼルを招いて、飼育法や馬術の指導に当たらせた』とある。なお、平凡社の「世界大百科事典」の「蹄鉄」の項では(コンマを読点に代えた)、『吉宗は馬政改革にきわめて熱心で』享保一四(一七二九)年、『オランダ商館を通して洋馬を輸入するとともに、西洋の新しい装蹄技術の導入に努めた。このとき』、『技術指導にあたったのがハンス・ユンゲル・ケイゼルというオランダ人で、彼は馬の飼育法のみならず、通常および特殊蹄鉄の装着法まで教授した。しかし、吉宗の努力にもかかわらず、洋式蹄鉄は日本に定着しなかった』とある。徳富蘇峰の謂いに従うなら、本条の時制の五十年前、「世界大百科事典」に従うなら、四十九年前のこととなる。なお、先の個人ブログ「紀行歴史遊学」には「天皇に拝謁した従四位の象」もある。必見。因みに、「日高振興局」公式サイト内の「馬文化ひだか:馬を知る:馬と人間の歴史:室町・戦国時代から江戸末期」によれば、これ以前、『室町時代には明との貿易が盛んになるが、このとき』、『馬の輸出入も若干おこなわれて』おり、吉宗以前では、『たとえば、薩摩の島津貴久は天文年間』(十六世紀中頃)にペルシャ馬を輸入したと伝えられている』し、『享徳年間』(一五三〇年頃)にも『奥州田名部の領主・蠣崎氏がロシア・モンゴルから数百頭の馬を輸入したという伝説もある』とある。

「御濱御殿」現在の浜離宮。

「水を怯(おそ)れず」大井川などを平気で渡ったことを指すのであろう。

「息を切る事なし」いくら走っても息が切れる(呼吸が荒くなる)こともない。

「壹萬五千里」五千八百九十一キロメートル。但し、直線でも日本とイランは七千キロメートル以上は隔たっている。]

 

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