飯田幸治郎 看板風景 昭和7(1932)年
写真家飯田幸治郎の「看板風景」(昭和7(1932)年)が、つげ義春の「ねじ式」の一コマのように衝撃的!
【一時間後に追記】
さらにさらにオロロイタことに、つげのあのアリエナイと思っていたかの「ねじ式」のワン・シーンは――なんと! 実際の台湾の街の写真が元である可能性が強い、という
「坂井直樹のデザインの深読み」のこちらの記事
(つげのコマと「げげげっつ!」って感じの当該実景写真掲載! 王双全の作品で、1962年に台南市内の「明元堂」又は「珠明堂」を撮影したもの、とリンク先にはある)を読んで、アラマッチャンデベソが宙返りしてしまった!!!
つーか、さらにツイッターで検索掛けたら、「つげ義春漫画術」で、つげ自身が『これは台湾の町筋を見て描いたのです』と直話で述べているのを発見。とある投稿者は、これは眼科ではなく(つーか、コンな目医者にはワシは絶対入らんぞ!)、古本屋で、その主人が趣味で、古い眼科の看板を集めて吊るしていたのではないか、とあった。いやいや! こりゃ、ムチャ、スゴかとでしょう!
「坂井直樹のデザインの深読み」のこちらの記事
(つげのコマと「げげげっつ!」って感じの当該実景写真掲載! 王双全の作品で、1962年に台南市内の「明元堂」又は「珠明堂」を撮影したもの、とリンク先にはある)を読んで、アラマッチャンデベソが宙返りしてしまった!!!
つーか、さらにツイッターで検索掛けたら、「つげ義春漫画術」で、つげ自身が『これは台湾の町筋を見て描いたのです』と直話で述べているのを発見。とある投稿者は、これは眼科ではなく(つーか、コンな目医者にはワシは絶対入らんぞ!)、古本屋で、その主人が趣味で、古い眼科の看板を集めて吊るしていたのではないか、とあった。いやいや! こりゃ、ムチャ、スゴかとでしょう!