進化論講話 丘淺次郎 第十四章 生態學上の事實(2) 二 攻擊の器官
二 攻擊の器官
斯くの如く、地球上に生存する動物は、各々自分だけの利益を計つて、常に相互に劇しく競爭をなし居るもの故、この生存競爭場裡に立つて敵にも殺されず、同僚にも負けぬだけの構造・性質の具はつたものでなければ、この世の中には生活は出來ぬ。この構造・性質に聊でも不足した處があれば、忽ち敵に殺され、同僚に負かされるから、素より生活の出來る理窟がない。それ故、如何なる動物を取つても、敵を防禦し、餌を攻擊する仕掛は十分に發達して居るが、動物各種の生活の狀態の異なるに隨ひ、防禦・攻擊の裝置も著しく相違して、實に千態萬狀といふべき有樣である。
[蛇の頭骨]
[やぶちゃん注:以下六図、総て、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングして補正を加えて(絵図によってはひどく暗いため)使用した。因みに、講談社学術文庫版の上図は、上下逆様に示されていて、蛇の頭骨に見えないのはどうしたことだろう?]
蛇類は自身の直徑の數倍もある大きな餌を攻めて、之を丸呑みにするものであるが、その口の構造を調べて見ると、全くこの攻擊法に適して、各部の巧妙に出來て居る具合は、實に感服せざるを得ぬ。先づ他の動物の口と比較して述ベて見るに、我々の口では上顎は左右二つの骨から成り立つて居るが、その間は縫合によつて結び付いて居るから、運動するに當つては、一個の骨も同樣である。また下顎の骨は元來たゞ一個よりない。この上下の顎骨が、耳の孔の前の處で互に關節して居るだけ故、我々は如何に大きく口を開いても、一定の狹い制限を超えることは出來ぬ。然るに蛇の方では、大いに之と違ひ、上顎も少しづゝ左右へ動くが、下顎の方は左右兩半が全く相離れ、その間はたゞゴムの如き彈力性を有する靭帶で繫がれて居るから、隨分廣く左右へ開くことが出來る。また上顎と下顎とは直接に關節せず、その間には左右ともに一本づゝの棒の如き骨があり、その骨の後端と下顎骨の後端とが關節して、どの骨も皆互に極めて寛く結び付いて居るから、蛇の口は殆ど幾らでも廣く開くことが出來る。我々は口の大きさに應じて食物を切つて食ふが、蛇は食物の大きさに應じて口を開くというても宜しい。また大きなものを食ふには、單に口が大きく開くだけでは十分でない。絲で大きな餅を天井から吊して、手なしに之を食はうとすると、口で押すだけ餅が逃げる故、なかなか容易には食へぬ。また池の鯉や龜に麩を與へても、こちらで押すだけ尨は先へ流れて行くから、終に石垣のある處まで押して行き、そ處で初めて之を食ふことが出來るが、これらを見ても解る通り、手なしに大きなものを食ふことは、困難なものである。所が、蛇は手のないに拘らず、自身の直徑の數倍もあるものを食ふのであるから、普通の食ひやうでは到底出來ぬ。そのためには必ず特別の裝置がなければならぬ。卽ち蛇の口には上顎にも下顎にも、尖端の後へ向いた細かい齒が澤山に生えてあつて、顎の間に挾まれたものは口の奧へ向つては滑に進めるが、その反對の方向に口の外へ出ようとすれば、齒に止められて動くことが出來ぬ。その上に下顎の左右兩半は交(かは)る交る前後に動き、前へ出るときは食物の表面をたゞ滑に進むが、後へ退くときは細い齒が食物に引つ掛るから、食物を口の奧へ引き込むやうになる。我々の齒は咀嚼の器官であるが、蛇の齒は全くたゞ食物を引つ掛けて引き入れるための器官に過ぎぬ。それ故、左の下顎で先づ食物か一分引き入れ、次に右の下顎でまた一分引き入れるといふやうな具合にして、如何に大きな食物でも漸々嚥み込んでしまふが、その有樣は恰も我々が左右の兩手を用ゐて、綱などを手繰(たぐ)るのと同樣である。かやうな裝置は、動物界に他に類を見ぬ位の特殊のものであるが、この裝置のあるために蛇は何でも容易に嚥むことが出來る。蛇に取つては極めて都合の宜しいものであるが、蛇の餌となる蛙等から考へれば、實に何ともいはれぬ程、不仕合せな次第である。
[「まむし」の頭
(い)毒牙 (ろ)舌]
靑大將・「山かゞし」などの如き普通の蛇では、右に述べただけであるが、蝮(まむし)・「はぶ」等の如き毒蛇には、尚その上に頭の兩側に毒液を分泌する腺があり、上顎の前端には一對の牙があつて、餌とする動物を見つけると、先づ口を開き、牙を立て、之を以て餌を打つて殺し、然る後に之を嚥み込んでしまふ。蛇の毒は極めて劇烈なもので、鼠位の小い獸であると、一囘打たれると、直に體の一部が麻痺し、續いて全身が動かなくなる。牙は管狀をなし尖端に細い孔があつて、打つと同時に傷口に毒液を注ぎ入れるのであるから、醫者の用ゐる皮下注射の器械と理窟は少しも違はぬが、牙を差し込んで、毒液を注射し、牙を拔くまでの働きが極めて速で、手をうつだけ程の時も掛らぬ位である。この位に完備した攻擊の器械は、他に類がないというて宜しからうが、決して之は必要以上に精巧なといふ譯ではない。毒蛇は之だけの裝置が具はつてあるので、僅に種屬を維持して行くことが出來るのである。
[やぶちゃん注:「靑大將」爬虫綱有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属アオダイショウ Elaphe climacophora。
「山かゞし」ナミヘビ科ヤマカガシ属ヤマカガシ Rhabdophis tigrinus。有毒種。
「蝮(まむし)」ヘビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii。有毒種。
「はぶ」マムシ亜科ハブ属ハブ Protobothrops flavoviridis。他にサキシマハブProtobothrops
elegans(本来は与那国島と波照間島を除く八重山列島の固有種であったが、沖縄本島の南部に薬用などの目的で持ち込まれた生体個体が逃げ出して分布しており、二〇一三年には宮古島でも見つかっている)・トカラハブProtobothrops
tokarensis(吐噶喇(とから)列島の小宝島と宝島の固有種)などの外、マムシ亜科ヤマハブ属ヒメハブ Ovophis okinavensis などもおり、真正のハブ属も系統学的研究によって、近い将来、もっと細分化される可能性が高い。基本的に総て有毒種。]
[鯨(附圖は頭骨と鬚)]
蛇類は極めて大きな動物を一個づゝ丸呑みにするが、鯨の如きは之に反して、極めて小な餌を同時に無數に丸呑みにする。それ故、口の構造も蛇類とは正反對で、單に大きな篩(ふるひ)或は味噌漉[やぶちゃん注:「みそこし」。]の如き仕掛を有し、餌を海水に混じたまゝで、多量に口に入れ、水は外へ溢(こぼ)し、餌だけを咽喉の方へ呑み込むが、之には素より適當な裝置を要する。總べて鯨類は頭の大きなもので、種類によつては頭が全身の三分の一以上もあるが、斯く頭の大きいのは、全く口が大きいからである。先年東京で鯨の觀せ物の有つたとき、その口を開いて中に一艘の小舟が入れてあつたが、之によつても口の大きさが想像出來る。この大きな口に海水と餌と混じたものを入れるのであるが、鯨の餌となる動物は、僅に長さが一寸か二寸に過ぎぬ位のもので、その居る處には常に無數に群をなして生活するもの故、そこへ行つて鯨が口を開けば、一囘每に何萬入るか、何十萬入るか解らぬ。さて鯨の口の構造を調べて見るに、上下ともに顎には齒はないが、上顎の左右兩側には數百枚づゝも所謂鯨の鬚がある。鬚は長い三角形で、尖端を下にし、前後に相重なつて、恰も櫛の齒の如くに竝んで居るから、鯨が口を開いて、餌と海水とをその中に入れ、次に口を閉ぢて、舌を上へ押せば、海水は鬚の間を洩れて口の外へ流れ出し、固形體である餌ばかりが口の中に殘り、斯くして皆一度に丸呑みにせられてしまふ。鯨は現今生活する動物中の最も大きなもので、その最も大きな種類は身體の長さが十五間[やぶちゃん注:二十七・二七メートル。]以上もある。九州邊で每年取れるものは餘り大きな種類ではないが、それでも平均一疋に付き肉が四萬斤[やぶちゃん注:四万キログラム。四十トン。]位はある。四萬斤の肉は若し一日に一斤づゝ食ふとすれば、百二三十年もかからねば食ひ盡せぬ勘定であるが、鯨は斯く身體の大きなもの故、隨つて多量の食物を食はなければ生きては居られぬ。所が、鯨の餌となる動物は、僅に一寸か二寸に足らぬ位な小さなものであるから、之を一疋づゝ捕へて食ふやうなことでは、到底間に合はぬ。普通の動物の餌の食ひ方は、之を商賣に譬へると、恰も小賣の如きものであるが、鯨のは全く卸賣に比すべき食ひ方である。鯨はこのやうな食ひ方をなすべき特別の裝置が具はつてあるから、生活が出來るので、鯨に取つてはこの裝置は一日も缺くべからざるものであるが、そのため鯨の腹に葬られて日々命を落す動物の數は何萬あるか、何億あるか解らぬ。
[啄木鳥の頭骨(長き舌骨を示す)]
以上は動物の餌を食ひ、敵を攻擊する器官の千態萬狀である中から、最も異なつた例を選み出しただけであるが、その他、如何なる動物を調べても、この種の裝置の具はつてないものはない。他の例を尚一二擧げて見るに、啄木鳥(きつゝき)は樹木の幹の中に隱れて居る蟲類を食物とするが、その身體を檢すると、頭から尾の端まで、斯かる蟲を捕へるために最も都合の好い構造が具はつてある。先づ嘴は錐の如く眞直で、甚だ鋭いから、樹の幹に孔を穿つには最も適して居る。舌は非常に長く、先端が尖り、逆に向いた小な鉤[やぶちゃん注:「はり」。]が幾つも附いてあるから、之で孔の奧に居る蟲を刺して、舌を引き込ませば、蟲は必ず口の中に入るやうになつて居る。總べて鳥類の舌には舌骨が軸をなして居るが、啄木鳥では舌を遠くまで出し得るために、舌骨も甚だ長い。それ故、舌を引き込めて居るときには、舌骨の後端は頭の後から上へ曲つて、頭の上面を過ぎ、鼻の邊まで達して、恰も車井戸の釣瓶繩が車を巡る如くに頭の周圍を一周して居る。或る種類では之でも尚足らぬため、舌骨の後端は前を向いて上嘴の中までも入るが、かやうな性質は決して他の鳥では見ることは出來ぬ。また足の趾は四本ある中、二本は前を向き二本は後を向いて居るから、樹の皮の凸凹に爪を掛けて身を支へるに都合が好い。倂し他の鳥と著しく異なつて見える處は尾である。一體鳥類の尾の羽毛は通常甚だ柔いものであるが、啄木鳥では頗る硬くて、且先端が針の如くに尖つて居る。この鳥が蟲を捕へるために樹に孔を穿つには直立した樹の幹に爪ばかりで摑み附いて、長い間働かねばならぬが、そのときに、尾を幹に當て、これを以て身體の重さを支へれば、大に筋肉の疲勞を省くことか出來る。實際、啄木鳥は尾をこの目的に用ゐ、恰も椅子に腰を掛けたやうな姿勢を取つて、孔を穿つて居るが、そのためには尾の羽毛の硬くて端の尖つて居るのは、この上ない適當な裝置である。斯くの如くこの鳥の身體は頭から尾まで、總べてその習性に適した構造を具へて居るが、これはこの鳥に取つては無論極めて都合が好い。倂し孔を穿たれる樹木や、その中に住んで居る蟲の方から考へれば、迷惑至極な次第である。また夜鷹といふ鳥は夜飛び廻つて蚊を食ふて生きて居るが、その嘴は甚だ小いから、口を閉じて居る所を見ると、口が餘程小ささうに思はれる。所が、口を開けばその大きなこと實に驚くばかりで、殆ど頭部全體が口となつてしまふ。この鳥の蚊を捕へるときの樣子を見るに、口を開いたまゝで蚊の澤山群がり集まつて居る中を飛んで通り拔け、恰も網で魚を掬(すく)ふ如くに蚊を掬つて食ふのであるが、斯かる方法で餌を集めるには、無論口の大きい程功能が多い。而して餌を一疋づゝ啄(ついば)む譯でないから、嘴は殆ど有つてもなくても同じ位である。かやうに、この鳥の身體も眞に習性に應じた構造を具へて居るが、そのため一方では、この鳥が生存することが出來ると同時に、他の方では無數の蚊が絶えず命を落して居る。この鳥には蚊母鳥[やぶちゃん注:「ぶんもてう(ぶんもちょう)」。]といふ漢名が附いて居るが、一聲鳴く每に蚊を千疋づゝ吐くとのいひ傳へのあるのは、恐らく大きな口を開いて、蚊の群を貫き飛ぶ所を見て考へ誤つたのであらう。
[やぶちゃん注:「蚊母鳥」私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蚊(か) 附 蚊母鳥(ヨタカ?)」を参照されたい。]
[啄木鳥]
斯くの如く如何なる動物にも攻擊の裝置は具はつて居るが、餌の種類の異なるに隨ひ、著しく目立つものと、目立たぬものとが素よりある。比較的大形の物を捕へて食ふ種類では、餌となるものの抵抗に打ち勝つベき道具が入用故、爪・牙等の如き、一見して明に攻擊の器官と思はれるものが大に發達して居るが、逃げもせず、抵抗もせぬ植物を食ふ種類では、かやうな武器は全く發達せぬ。それ故、これらは極めて平和的の動物の如くに見えるが、牛馬の前齒・奧齒でも、蝸牛の舌でも、蝗の顎でも、浮塵子(うんか)の吻でも、植物を攻擊するに當つては、孰れも頗る有力な武器である。また蜘蛛の網の如きは敵を亡ぼす裝置に違ひないが、進んで攻めるのでなく、止まつて待つ方故、我々は鯨り攻擊の武器らしく感ぜぬ。倂し孰れにしても、これらの裝置は、之を有する動物の生活上最も必要なもので、相互に競爭する場合には、先づこの器官の完備したものが勝を占め易いわけ故、凡そ或る動物が今日生存して居る以上は、相手を攻めて之を食ふだけの裝置が之に具はつてあることは當然であるが、餌となる動物或は競爭の相手となる動物の側から見れば、この裝置の發達程迷惑なことは他にない。斯く自身の生存上にのみ有益で、他の多數の生物に迷惑な器官が孰れの動物にも發達して居ることは、生物各種は生存競爭の結果、自然の淘汰により漸々進化し來つたとすれば、必然の現象と思はれるが、自然淘汰を度外視しては殆ど説明することが出來ぬ。
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