小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(35) 死者の支配(Ⅲ)
人間の生活が法律に依つてその極微の點まで定められて居た場合――履物、帽子の性質、妻の髮の留針の價、子供の人形の代價に至るまでも――言論の自由がゆるされて居たとは到底考へられ得まい。それは素より存在しなかつた、そしてどれほど迄言語が規定されて居たかは、口語を研究した人々に依つてのみ想像され得るのである。社會の族長的組織は、言語の慣習的組織の内に――代名詞、名詞、動詞の規定の内に――前接辭、後接辭[やぶちゃん注:接頭語と接尾語。]に依つて形容詞に加へられる差等の内に、よく反映されて居た。衣裳、食事、生活の風を定めたと同じく、用捨なく正確に、すべての言葉の言ひあらはし方は消極的にも積極的にも規定されて居た――併し消極的よりも多く積極的にさうであつた。言つてはならない事についての例は少く、言ふべき事を定めた規則は無數にあつた――選擇すべき言葉、用ふべき語法の如きは澤山にあつた。若い時からの訓練はこの點に就いての注意を強くした。各人は、上長に對してものを言ふ時には、或る種の動詞、名詞、代名詞のみを用ふべき事、また同等のもの或は目下のものに向つて語る時にのみ、或る言葉が許されると云つたやうな事を學ばなければならなかつた。無教育のものと雖も、この事に就いては多少學ぶべき義務があつた。然るに教育はこの言語上の複雜した作法の仕組みをよく教へたもので、數年間練習すれば、何人たりともそれを自由に用ひ得たのであつた。上流の階級にあつては、この作法が殆ど考へ及ばない位に複雜になつて居た。言語に文法上から一寸變化を加へると、それに依つて言ひかけられた人を非常にあがめ、言ひかけた人の謙退の意を表する事になるのであるが、さういふ事は極古くから一般に行はれて居たに相違ない、併しその後支那勢力の下にあつて、恁ういふ互に都介よく釣ち合ひをとる語法は極度に增加した。御門その人から――御門も他の人には用ふる事を許されて居ない人代名詞を用ふる。若しくは少くとも代名詞的表白を用ふる――下つて社會のあらゆる階級を通じ、その各階級は、みなその階級獨得の『吾』といふ言葉を別々にもつて居る。『汝』若しくは『あなた』といふ言葉に相當する用語で、今日ちなほ用ひられていゐるのが十六種ある、併し以前はもつと澤山にあつた、單數【註】の二人稱で子供や、學生や、使用人に言ひかけるのみに用ひられて居るのが八種もある。親族關係を示す名詞の敬稱竝びに卑下した形も、同樣に數多く且ついろいろの階級がある、『父』といふ事を示すに用ひられで居る文字が九種、母といふことを示すのも九種、『妻』には十一種、『子息』にも十一種、『娘』に九種、『夫』に九種ある。就中動詞の規則は、作法の必要から、始ど簡單な記述では、その考へを云ひがたい程に複雜になつて居た……。十九歳或は二十歳にもなれば、子供の時から注意されて訓練されて居たものは、上流社會に必要な動詞の用法をすべて知り得たであらう。併しそれよりも進んだ上洸の對話の作法に精通するには、研究と經驗とのさらに幾年かが要せられたのである。位階と階級とのたえず增加するに伴なつて、それに應ずるいろいろな言語の形式が生じで來た。男なり、女なり、孰れにしてもその話しを聞けば、そのものの如何なる階級に屬して居るかを斷定する事が出來た。口語と同樣に、文語も嚴密な慣例に依つて定められて居た。女の用ひた言語の樣式は、男の用ひたのとは異つて居た。男女兩性の異つたる修養から生ずる言語上の作法に於ける相違は、その結果として、書翰の特別な文體を作り出した――則ちそれは『婦人の用語』で今日なほ用ひられて居るのである。この用語の男女に依つての相違は、書翰の上にのみ限られて居るのではない。階級に依つて相違するのであるが、對話の上にも婦人の用語といふものがある。今日でも普通の對話に於て、教育ある婦人は、男の用ひない言語や語句を使ふ。侍の女子は封建時代にあつては、特別な表白の樣式をもつて居た。今日でも古い家庭の修養に從つて育てられた婦人の言葉を聞いて、その婦人が侍の家庭のものであるか、どぅかを判斷する事が出來る位である。
註 社會學者は、勿論かくの如き事實が、パアシヴアル・ロヱルの『東洋の精神』“The Soul of the Far East”の内に面白く論じてある代名詞の用法の節約といふ事と決して矛盾するものでない事を了解するであらう。極度の服從のある社會に於ては『人代名詞の用を避けるといふ事がある。』もつともハアバアト・スペンサアがこの法を説明する爲めに指摘して居るやうに、かくの如き社會(極度の服從のある社會)に於てこそ、ものを言ひかけるに用ふる代名詞の樣式に、尤も精細な區別が見られるのでありはするが、如上の事もあるのである。
[やぶちゃん注:「パアシヴアル・ロヱル」既出既注。
「『東洋の精神』“The Soul of the Far East”」日本や朝鮮を旅したローウェルが一八八八 年に刊行した日本の紀行・紹介書。現行では一般に「極東の魂」と訳される。本書はラフカディオ・ハーンを感激させ、彼が日本を訪れる契機を作ったともされている。
「ハアバアト・スペンサア」既出既注。]
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