栗本丹洲自筆「蛸水月烏賊類図巻」 ウドンクラゲ
ウドン海月
[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像を用いた。掲げた図も同じで、上下左右をトリミングしてある。図中の各所にある黒い曲線は虫食いの穴で絵とは無関係である。本図のキャプションは上記の一行のみ。「ウドンクラゲ」に相当する異名を持つクラゲは現行では見当たらない。本図は、前の「シヤグマクラゲ」が完璧に白く脱色した個体だろうとしか言いようがないほど、色を除いて、傘の辺縁・触手・口器附近の形状が酷似する。しかも、本図は実物画ではなく、讃岐高松藩第五代藩主で博物学でもあった松平頼恭(よりたか 正徳元(一七一一)年~明和八(一七七一)年)が画家三木文柳に描かせた魚譜「衆鱗図」(明和四年から、それ以後(頼恭の没後)の完成と推定される)を丹洲が転写したものであり、その原画の種は、荒俣宏氏が「彩色 江戸博物学集成」(一九九四年平凡社刊)で、
刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ユウレイクラゲ科ユウレイクラゲ Cyanea nozakii
に同定されておられた(同書の七十四~七十五頁には見開きで当該原画が載る)。ネット上で Cyanea
nozakii の画像を精査したところ、本図のそれは、確かにユウレイクラゲに頗る一致する。ユウレイクラゲは、傘は殆んど扁平を成し、直径は十五~三十センチメートルだが、時に 五十センチメートルもの大型個体も見られる。全体は無色或いは白色であるが、褐色の斑点が散在し、個体によっては傘の下部と口器周辺が有意に紅色を呈する個体もあるようだ。傘縁には十六個の弁と八個の感覚器があり、全縁に亙って多くの触手が出ている。四個の口腕は複雑な襞状を呈し、幅が広く、中央に口が開く。放射管は網目状になる。本州中部以南に分布し、夏に瀬戸内海に多産する。瀬戸内海各地では「ハゲトベ」とか「マエデ」などと呼称し、カワハギの釣餌に用いる、と「ブリタニカ国際大百科事典」にあった。これらのユウレイクラゲの形態は「衆鱗図」の原画のそれとやはりかなりの合致を見出せることから、やはりこれは、
刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科ヤナギクラゲ属アカクラゲ Chrysaora
pacifica
と同定すべきものである。なお、「彩色 江戸博物学集成」の原画を見ると、そちらは驚くべきことに、擬似立体で、傘本体は勿論、本体外にある触手の一本一本が丁寧に切り抜かれてあって、その全体が台紙に張り付けられてあるのである。荒俣氏はキャプションで、『台紙から浮いた部分が影を落と』すという、『他に類例を見ない大胆な手法を駆使した名作である』と激賞されておられる。また、本文(同書「松平頼恭」の本文)によれば、松平家の他の図譜に描かれた魚類は、総てがレリーフ(浮き彫り)『になっており、手で触れれば鱗や地肌の感触が』現物どおりに味わえるようになっており、このような『図譜など、西洋には実例がない』と述べておられるのである。これは海産生物を描き続けてきた丹洲も流石に吃驚したであろうし、彼の自負心から考えても、甚だ悔しくも思ったに違いない。さればこそ、彼はそのフィギアのような描法に対抗して、あろうことか、同図を真っ赤色に塗り替えた、真っ赤な嘘の前図をデッチアゲたのだ、とも言えるかも知れぬ。]
« 栗本丹洲自筆「蛸水月烏賊類図巻」 シヤグマクラゲ | トップページ | 栗本丹洲自筆「蛸水月烏賊類図巻」 ヒクラゲ »