進化論講話 丘淺次郎 第十四章 生態學上の事實(7) 六 氣候の變化に對する準備 / 第十四章 生態學上の事實~了
六 氣候の變化に對する準備
[熊蟲(廓大)
イ 生きたもの ロ 乾燥したもの]
[やぶちゃん注:図内キャプションがあるため、以下の一枚とともに底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング補正して用いた。脱皮動物上門 Ecdysozoa緩歩動物門Tardigrada に属する異クマムシ綱 Heterotardigrada・中クマムシ綱 Mesotardigrada・真クマムシ綱 Eutardigrada。真空の宇宙空間でも乾眠して生きていけるのではないかされる、驚異の生物である。ウィキの「緩歩動物」より引く。極小の動物で、四対八脚の『ずんぐりとした脚でゆっくり歩く姿から緩歩動物、また形がクマに似ていることからクマムシ(熊虫)と呼ばれている。また、以下に述べるように』、『非常に強い耐久性を持つことからチョウメイムシ(長命虫)と言われたこともある』。体長は五十マイクロメートル(一マイクロメートルは〇・〇〇一ミリメートル)から一・七ミリメートルしかなく、『熱帯から極地方、超深海底から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上のほとんどありとあらゆる環境に生息する。堆積物中の有機物に富む液体や、動物や植物の体液(細胞液)を吸入して食物としている』。『およそ』一千『種以上(うち海産のものは』百七十『種あまり)が知られている』。『体節制は不明確』で、『基本的には頭部』一『環節と胴体』四『環節からなり、キチン質の厚いクチクラで覆われている。真クマムシ目のものは外面がほぼなめらかだが、異クマムシ目のものは装甲板や棘、毛などを持ち、変化に富んだ外見をしている』。『胴体部の各節から出る』四『対の脚を持つ。歩脚は丸く突き出て関節がなく、先端には基本的に』四~十『本の爪、または粘着性の円盤状組織が備わっている』。『頭部に眼点を持つものがあるが、持たないものもある。口の近くに口縁乳頭などの小突起を持つ例もあるが、外部に出た触角や口器などはない』。『体腔は生殖腺のまわりに限られる。口から胃、直腸からなる消化器系を持つ。排出物は顆粒状に蓄積され、脱皮の際にクチクラと一緒に捨てられる』。『呼吸器系、循環器系はない。酸素、二酸化炭素の交換は、透過性のクチクラを通じて体表から直接行う。神経系は』梯『状。通常』、一『対の眼点と、脳』二『本の縦走神経によって結合された』五基の『腹側神経節を持つ』。『多くの種では雌雄異体だが、圧倒的に雌が多い。雌雄同体や単為発生も知られる。腸の背側に不対の卵巣又は精巣がある。産卵は単に産み落とす例もあるが、脱皮の際に脱皮殻の中に産み落とす例が知られ、脱皮殻内受精と呼ばれる』。『幼生期はなく、直接発生して脱皮を繰り返して成長する。その際、体細胞の数が増加せず、個々の細胞の大きさが増すことで成長することが知られる』。『陸上性の種の多くは蘚苔類などの隙間におり、半ば水中的な環境で生活している。樹上や枝先のコケなどにも棲んでいる。これらの乾燥しやすい環境のものは、乾燥時には後述のクリプトビオシス』(cryptobiosis:「隠された生命活動」の意)『の状態で耐え、水分が得られたときのみ生活していると考えられる』。『水中では水草や藻類の表面を這い回って生活するものがおり、海産の種では間隙性の種も知られる。遊泳力はない』。『一部の緩歩動物は、乾眠(かんみん)によって環境に対する絶大な抵抗力を持つ。乾眠(anhydrobiosis)はクリプトビオシスの一例で、無代謝の休眠状態である。この現象が「一旦死んだものが蘇生している」のか、それとも「死んでいるように見える」だけなのかについて、長い論争があった。現在ではこのような状態を、クリプトビオシス』『と呼ぶようになり、「死んでいるように見える」だけであることが分かっている。他にも線虫、ワムシ、アルテミア(シーモンキー)、ネムリユスリカなどがクリプトビオシスを示すことが知られている』。『緩歩動物は周囲が乾燥してくると体を縮める。これを「樽(tun)」と呼び、代謝をほぼ止めて乾眠の状態に入る。乾眠個体は、後述する過酷な条件にさらされた後も、水を与えれば再び動き回ることができる。ただし』、『これは乾眠できる種が乾眠している時に限ることであって、全てのクマムシ類が常にこうした能力を持つわけではない。さらに動き回ることができるというだけであって、その後』、『通常の生活に戻れるかどうかは考慮されていないことに注意が必要である』。『乾眠状態には瞬間的になれるわけではなく、ゆっくりと乾燥させなければあっけなく死んでしまう。乾眠状態になるために必要な時間はクマムシの種類によって異なる。乾燥状態になると、体内のグルコースをトレハロースに作り変えて極限状態に備える。水分がトレハロースに置き換わっていくと、体液のマクロな粘度は大きくなるがミクロな流動性は失われず、生物の体組織を構成する炭水化合物が構造を破壊されること無く組織の縮退を行い、細胞内の結合水だけを残して水和水や遊離水が全て取り除かれると酸素の代謝も止まり、完全な休眠状態になる。ただし、クマムシではトレハロースの蓄積があまり見られないため、この物質の乾眠への寄与はあまり大きくないと考えられている』。『クマムシは非常に大きな耐性強度を持つことで知られている。ただし』、『それは他の多細胞生物と比較した場合の話であり、単細胞生物では芽胞を作ることにより、さらに過酷な環境に耐えることができるものもいる』。乾燥に対する耐性は、『通常は体重の』八十五%『をしめる水分を』三%『以下まで減らし、極度の乾燥状態にも耐え』、温度耐性も『百五十一℃の高温から、ほぼ絶対零度』(〇・〇〇七五ケルビン)『の極低温まで耐える』。圧力に対しては実に、『真空から』七万五千『気圧の高圧まで耐え』られ、『高線量の紫外線、X線、ガンマ線等の放射線に』対しても耐性を持ち、『X線の半致死線量は』三千~五千Gy(グレイ:ヒトの半致死線量は四Gy)である。二〇〇七年、『クマムシの耐性を実証するため、ロシアの科学衛星フォトンM3でクマムシを宇宙空間に』十『日間直接さらすという実験が行われた。回収されたクマムシを調べたところ、太陽光を遮り宇宙線と真空にさらした場合、クマムシは蘇生し、生殖能力も失われないことが確認された。太陽光を直接受けたクマムシも一部は蘇生したが、遮った場合と比べ生存率は低かった』。『耐性は乾眠によって強化されている可能性がある』ともされる。]
以上述べた所の攻擊の器官、防禦の裝置、保護色、警戒色等の如きは、孰れも皆生きた敵に對して有功なものであるが、動物には尚その外に寒暑・乾濕等の如き氣候上の變化と戰つて、之に堪へるだけの性質が具はつてある。而して如何なる動物に如何なる性質が具はつてあるかと詳しく調べて見ると、孰れもその住處・習性に應じて、種屬の維持に必要な性質のみが發達して居る。例へば水の決して涸れることのない河や池に住む魚類には、水が涸れても死なぬといふ性質は具はつてないが、いつ水が無くなるか解らぬやうな小さな水溜(みづたまり)の中に住んで居る水蟲の類には、身體が全く乾燥してしまつても尚死なぬものが澤山にある。こゝに掲げたのは熊蟲と稱して、常に水溜の中に住み、八本の短い足を以て水藻の間を這うて居る顯微鏡的の小蟲であるが、乾かせば縮小して、(ロ)の如くになり、動物であるか砂粒であるか解らぬやうなものとなる。之をこのまゝに捨てて置けば、いつまでも全くこの通りで、少しも生活の徴候を現さぬが、水で濡らせば、いつでも舊(もと)の姿に復(かへ)つて、直に平氣で這ひ始める。この他にも輪蟲というて、之と同樣な性質を有する小蟲の類が數百種もある。またかやうな水溜には、水の涸れるときには乾燥に堪へる卵だけを殘して自身は死んでしまふ蟲類が甚だ多い。これらは皆種屬維持の上に最も必要な性質で、之が無ければ、その種屬は忽ち斷絶すべきものであるが、斯かる性質は、常に之を利用する機會を持たぬ動物には、決して發達して居ない。沙漠に住む駱駝が胃の外面に水を貯へるための小囊を數多持つて居るのも、この類の一例で、水に不白由をせぬ場所に住んで居る獸類には、かやうな裝置の具はつてあるものは一種もない。つまる所、そこに生存し續けられるだけの性質の具はつた動物でなければ、今日まで生存して居るわけはないから、今日生きて居る動物を取つて檢すれば、孰れも實に感服すべき程にその住處の有樣に適した構造・性質等を有して居る。たゞ之だけを見ると、如何にも全智・全能の神とでもいふものがあつて、態々そこに適するやうに造つたかとの考が起り易いが、かやうな自然以外のことを假想せずとも、自然淘汰といふことを認めさへすれば、總べてこれらの事實の起源を明に理解することが出來る。
[やぶちゃん注:「輪蟲」扁形動物上門輪形動物門 Rotifera に属するワムシ類と総称される凡そ三〇〇〇種を数える動物群。参照したウィキの「輪形動物」によれば、『水中の微小動物からなる動物群で』、『主として淡水に生息し、若干の海産種や陸生種がある。多くは』一ミリメートル『に満たず、たいていは』百~五百マイクロメートル『程度の大きさである。浮遊生活か、藻類や沈殿物の表面を匍匐して暮らしている。一部に固着性の種がある。世界で約』三千『種が知られる』。『単為生殖をする種が多く、雄が常時出現する例は少ない。雄が全く見られない群もある。なお、雄は雌よりはるかに小さく、形態も単純で消化管等も持たない。以下の構造等の記述は主として雌に関するものである』。『壷型の胴体と、後方に伸びる尾部を持ち、頭にある繊毛を使って運動する。全体としては左右相称で、腹背の区別はあるが、さほどはっきりしない例もある』。『体の先端部は幅広く、ここには繊毛が円をなして配置し、繊毛冠(Corona)を形成する。この繊毛は摂食にも運動にも使われる。この部分は形態的にははっきりしない場合もあるが、頭部と言われる。眼点や特殊な感覚器を備える例もある』。『頭部に続く部分は胴部で、円筒形から壷型、内臓の大部分がここに収まる。体表はキチン質の表皮に覆われる。がっしりとした被甲に覆われる例も多い』。『それに続く尾部は、いくつかの節に分かれて、よく伸縮する。先端に二本の指と爪があり、また』、『粘液腺などを持って体を支えるのに使われる。匍匐性の種では胴と同じくらいの幅と長さを持ち、節があるものもあるが、体節とは認められていない。また、この付近に卵をぶら下げて活動するものがよくある』。『多くのものは付属肢を持たないが、ミジンコワムシ』(遊泳(ワムシ)目ミジンコワムシ科 Hexarthridae 或いは、ヘクサアルトラ属Hexarthraの総称)『は二対の付属肢があり、それを使って泳ぐ。また、可動の棘を持つものもある。ミツウデワムシ』(遊泳(ワムシ)目ミツウデワムシ科 Filiniidae或いは、ミツウデワムシ属 Fillinia の総称)『は胴部前方に一対、後方に一本の棘があり、この前方の一対を大きく動かして撥ねるように泳ぐ』。『消化系は直線的。繊毛冠の中央に口が開き、胴部の前端付近に咽頭部がある。この部分は厚い筋肉に覆われ、石灰質の咀嚼板が組合わさって咀嚼器を構成している。 それに続いて胃と腸があり、肛門は胴部の後端にある。フクロワムシ』(フクロワムシ科 Asplanchnidae 或いは、フクロワムシ属 Asplanchna の総称)『は腸と肛門を欠く』。『胴部の内部を広く占める体腔内は、消化系の表面に上皮層を欠くので偽体腔である。また、縦に走る筋肉がよく発達し、これによって体を伸び縮みさせ、よく運動する』。『神経系としては咀嚼嚢の背面に脳神経節があり、ここから全身に末梢神経が走る』。『排出系は原腎管を左右一対持ち、その末端は肛門につながる膀胱に開く。生殖巣は消化器の腹側にあり、やはり肛門に口を開く。なお、雄ではこの位置に陰茎がある』。『基本的には水中動物であり、陸で見られるものも、特に湿った状態の時に出現する。繊毛を動かしてデトリタスなどを集めて食べているものが多いが、植物の汁を吸うもの、捕食性で原生動物や他のワムシ類などを捕らえるものも知られる。寄生性のものも知られている』。『多くは自由生活で、浮遊性のものもあれば、基質上をはい回ることの多いものもある。繊毛を動かして泳ぐか、尾部で基質表面に付着し、尾を動かして運動する。ヒルガタワムシ』(ヒルガタワムシ綱 Bdelloidea(二生殖巣綱 Digonontaとも。体は細長く、節があり、ヒルのように運動する。♂は知られていない)ヒルガタワムシ目 Bdelloidea ヒルガタワムシ科 Philodidae 或いは、ヒルガタワムシ属 Rotaria)『は頭部と尾部を使い、ヒルやシャクトリムシのように這う。ヒルガタワムシは乾燥にさらされると脱水して乾眠とよばれる無代謝状態になる』(下線太字やぶちゃん。以下、同じ)。『固着性の種もあり、それらは基質表面に棲管を作り、そこに体をいれ、伸び出して管の口から繊毛冠を広げる。その仲間で変わっているのはテマリワムシ』(単生殖巣綱 Monogononta(卵巣は一つで、♂は退化的)マルサヤワムシ科テマリワムシ属 Conochilus)『で、多数個体が互いに尾の先端でくっつき合い、それが寒天質に包まれてくす玉のような群体となり、水中を回転しながらただよう』。『多くの種が単為生殖をする。それらは』、『条件のいい間は夏卵と言われる殻の薄い卵を産み、この卵はすぐに孵化して雌となり、これを繰り返す。条件が悪化するなどの場合には減数分裂が行われて雄が生まれ、受精によって生じた卵は休眠卵となる。休眠卵は乾燥にも耐え、条件がよくなれば孵化する。なお、ヒルガタワムシ類では雄は全く知られていない。他方、ウミヒルガタワムシ』(ウミヒルガタワムシ綱 Seisonidea(首を有し、寄生性)ウミヒルガタワムシ目 Seisonalesウミヒルガタワムシ科 Seisonidae 或いは、Seison 属)『では雄が常時存在することが知られる』。『なお、単為生殖を繰り返す期間に、殻の角が伸びるなど形態が世代を繰り返す間に変化する例があり、周期的体型輪廻(Cyclomorphosis)と言われる』とある。なお、綱名の「Rotator」はラテン語で「回転させる者」という意味で、その「rota」とは「車輪」の意である。]
[駱駝の胃]
[やぶちゃん注:図内キャプションは「小囊」。]
本章に述べたことを約言すれば、略々次の如くである。凡そ動物の構造・習性・彩色等は孰れも皆生存競爭に當つてその動物自身の利益となるやうな方向だけに發達し、その動物の種屬維持に必要な度までに進んで居て、その他には何の目的もないらしい。生存上必要のない所には、攻擊・防禦の器官は決してない。また必要のある場合でも、種屬維持の上に必要な程度までより決して發達して居ないが、これらの現象は全く自然淘汰説の豫期する所と一致するもので、自然淘汰によらなければ、到底説明は出來ぬ。一動物の有する攻擊・防禦の器官は、その敵である動物より見れば、甚だ迷惑なものであるが、他に對して如何に不利益なるかは少しも頓著なく、たゞ生存競爭上、各々自己の利益になるやうな點のみが發達し、各動物の攻擊・防禦の裝置の相匹敵することにより、自然界の平均が暫時保たれてある有樣は、自然淘汰の説から見れば素より必然のことであるが、自然の淘汰をないものと考へては、如何にしても説明のしやうはない。
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