栗本丹洲自筆「蛸水月烏賊類図巻」 シヤグマクラゲ
シヤグマクラゲ 大毒アリ
[やぶちゃん注:「蛸水月烏賊類図巻」(表記は本巻子本の題簽に従った。正字では「蛸水月烏賊類圖卷」で「たこ・くらげ・いかるい、ずかん」と読む。底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像を用いた。掲げた図も同じで、上下左右をトリミングしてある。図中の各所にある黒い曲線は虫食いの穴で絵とは無関係である。本図のキャプションは上記の一行のみ。「シヤグマクラゲ」の「シヤグマ」は「赤熊」(しゃぐま)である。或いは「赭熊」とも書き、赤く染めたヤク(哺乳綱ウシ目ウシ亜目ウシ科ウシ亜科ウシ属ヤク Bos grunniens)の尾の毛。また、それに似た赤い髪の毛。仏具の払子(ほっす)・鬘(かつら)、兜(かぶと)・舞台衣装・獅子舞の面の飾りなどに用いる、例の奴である。
さて、私としては、当初、
刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科ヤナギクラゲ属アカクラゲ Chrysaora
pacifica
に同定したいと思った。しかし、中央の口器が八重桜のように描かれていて口腕が全く見えない(但し、アカクラゲに限らず、クラゲの口腕は容易に脱落する)こと、傘辺縁に切れ込みが入っていること、同所の触手の生えている箇所が倍近くあること(通常のアカクラゲは八分画で各一ヶ所)、触手数が異様に多い(各八分画で一ヶ所につき五~七本、計四十~五十六本)こと、逆に触手の長さがちょっと短いこと(通常ならアカクラゲでは長さは二メートルにも及ぶ)等、不審は多い。が、水母の図としては珍しい煽りの絵であること(丹洲は実際に水中に浮遊する本個体を見て描いたとは考えられないから、これは目の前の陸に上がってベロンと横たわったそれを想像で泳がせて、イメージとして描いたに相違ないから、推測部分が勢い多くなる)、推定される傘の区分帯数は十五が数えられてアカクラゲの十六に近いこと、本図の触手は多いものの、概ね一ヶ所から既定数の五~六本のそれが描かれていること(陸に揚げられて、触手が絡みついており、死後、乾燥しても刺胞毒が有効で危険であることを知っているから、殊更に触手を捌いて一区画からの生えている本数などを確認はするはずもない)、キャプションで刺胞毒が強烈であるとすること等から、アカクラゲと見たくはなるのである。
また、丹洲好きの私としてはあまり言いたくないのであるが、海産動物に限って見ると、丹洲の絵は、実は必ずしも形態及び生態に忠実ではなく、細部や色彩に於いて正確ではない場合が、結構あるからでもある。
しかし、実は私は本軸装「蛸水月烏賊類図巻」の後の方に出る、アカクラゲらしく見える別な図を、既に二〇一三年七月二日の本ブログ記事、『海産生物古記録集■8 「蛸水月烏賊類図巻」に表われたるアカクラゲの記載』で電子化しており、その際、丹洲の「千蟲譜」に載るクラゲの図の真っ赤な個体を参考図として掲げた。それは、寧ろ、この上に上げた個体と、色だけでなく、傘辺縁の形状などが酷似しているとは言える。しかし、多量の触手はなく、四本の口腕と十二の触手を持ち、傘に放射肋が全くないことから、その図のクラゲは、見るからにアカクラゲではなく、旗口クラゲ目オキクラゲ科オキクラゲ Pelagia panopyra に近い。但し、オキクラゲならば触手は八本(口腕の四本はよい)である。されば私は「千蟲譜」のそれを「オキクラゲ」に同定比定してしまっているのである。ところが、悩ましいことに、その「千蟲譜」版の赤いクラゲのキャプションには、『赤クラゲ 又「シヤグマクラゲ」ト云』と書いてあるのである。
ところが、次の図「ウドン海月」とキャプションする図は、見るからに本図の個体から赤色を抜いた同一個体のように見られる。しかもそれは実物画ではなく、讃岐高松藩第五代藩主で博物学でもあった松平頼恭(よりたか 正徳元(一七一一)年~明和八(一七七一)年)が画家三木文柳に描かせた魚譜「衆鱗図」を丹洲が転写したものであり、やはり、原画も珍しい煽りの図なのである。その原画の種は、荒俣宏氏が「彩色 江戸博物学集成」(一九九四年平凡社刊)で、
刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目ユウレイクラゲ科ユウレイクラゲ Cyanea nozakii
に同定されておられた。そこで今回、ネット上で Cyanea
nozakii の画像を精査したところ、本図のそれは、確かに形状的はユウレイクラゲに頗る合致することが判った。一般にユウレイクラゲは褐色の斑点が散在するものの、このように全体が鮮やかに赤い個体は珍しいが、それでも傘の下部が有意に赤い個体画像が見られたことから、最終的に、本種はユウレイクラゲである可能性が極めて高いと判断した。]
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