小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(32) 禮拜と淨めの式(Ⅹ) 神々に見棄てられた場所 / 禮拜と淨めの式~了
吾々は日本に於ける祖先崇拜の發達が、古いヨオロツパに於ける祖先崇拜の發達と著しい類似を示して居る事――特に公式の祭祀に、義務的な淨めの儀式を伴なふ事に關して、著しい類似をもつて居る事を見た。
併しながら神道は、吾々が常にギリシヤ、ロオマの古の生活と聯關さして見る所のものよりも、まだ發達の後れて居る祖先崇拜の狀態を表はして居るやうに思はれる。そしてその要求する強制は、比較的に遙かに嚴格てあつたやうに考へられる。個人な禮拜者の生存は、家族や社會に對する關係ばかりでなく、無生物に對する關係に依つてすら定められ居た。人の仕事がなんてあつたにせよ、何れかの神がその仕事を監視して居た。どんな道具を人が用ふるとしても、その道具は、その仕事の神を祭る仲間のもののために定められて居るやうな傳統的の用ひ方をしなければならなかつた。又大工はその大工の神を崇めるやうにその仕事をなし、――鍛冶工は鞴[やぶちゃん注:「ふいご」。]の神をあがめるやうにその日々の仕事を果たし、――農夫はまたその居住に關し、地の神、食物の神、案山子の神竝びに木の靈に敬意を表する事を忘れないやうにする事が必要であつた。一家の器具すら神聖であつた。僕婢は料理の道具の神、爐邊、鍋、火鉢の神の現存――若しくは火を淸くして置く極度の必要を、決して忘れてはならないのであつた。職業も仕事と同樣、神の守護の下にあつた、則ち、醫者、教師、藝術家――それ等は各〻その守るべき宗教上の義務を有し、從ふべき特別な傳統をもつて居た。たとへば學者はその書きものの道具を等閑に扱ふ事は出來ず、またその書きものをした紙を濫りに用ひてはならなかつた。かくの如き所業は文字の神の意に悖る事であつた。婦人も亦そのいろいろな仕事に於て、男子と同樣宗教的に支配を受けて居た。たとへな紡績の女や、織女[やぶちゃん注:「おりめ」。]は、織りものの女神、蠶の女神を崇敬しなければならなかつた。縫ひもののをする娘は、針を大事にするやうに教へられ、何處の家でも、針の靈に供物をする一定の祭日を守るのであつた。武士の家にあつても、武士はその甲冑と武器とを神聖なものと考へるやうに命ぜられて居た。甲冑や武器を整然と美しくして置くといふのは、一つの義務であつて、それを等閑に附すると、戰の時に不幸を招く事があるかも知れないのである。それで一定の日に客間の床の間で弓、槍。矢、劍等の前に供物が呈されるのであつた。庭園も亦神聖であつて、それを處理するには、一定の規則が守られなければならなかつた。さうしないと或は樹木や、花卉の神々の怒りにふれることがあろかも知れないからである。注意深き事、淸くする事、塵埃のなき事、それ等は宗教上の義務として到る處で勵行されたのである。
……近頃になつて日本人は、その公共の役所、鐡道のステイシヨン、新たに出來た工場等を注意して淸潔にしないといふ事が往々言はれる。併し外國の材料をもつて、外國の監視の下に、外國風に建てられ、國のあらゆる傳統とは反對した建築は、舊式の考へからすれば、神々に見棄てられた場所と考へられるに相違ない。そしてかくの如き汚れたるる周圍の間に働く僕婢は、自分の周圍に目に見えざる神を感ぜず、敬神の慣習の意味を感ぜず、人間が尊敬するやうにとの、美しきもの單純なるものの默々の間にする要求を感じないのである。
[やぶちゃん注:前章まで行っていた原文表示は労多きばかりなれば、向後は省略することとする。悪しからず。
最後に。
私は心底、思う……魂なき科学技術が生み出してしまった福島第一原発は、というよりもその残骸は、自然の中にありとある霊を感じた我が『國のあらゆる傳統とは』致命的に『反對した』ものであり、さればこそ永久に『神々に見棄てられた場所』なのだと……。]