譚海 卷之二 奧州岩城專稱寺大蛇の事
奧州岩城專稱寺大蛇の事
○奧州岩城に專稱寺と云(いふ)有(あり)、淨家西山派の檀林の中(うち)也。その寺は山上に有、その山門の二階に年來(としごろ)住(すめ)る大蛇有、人を害する事なし、長さ五間ばかりの蛇也。近來(ちかごろ)今一つ三間ばかりのものと二帶(おび)相(あひ)すむといふ、寺の人は小僧蛇と稱す。その來歷は昔此寺に惡行の小僧ありて偸盜姦惡にもてあまし、その時の住持領所の百姓憑(たのみ)て竊(ひそか)に殺害に及(および)たり、その厲(れい)此蛇と成(なり)て今にありといひ傳ふ。因て領所の百姓の子孫に時々祟(たたり)をなすといへり。山門の萱(かや)ふきかへ片々(かたがた)づつ屋根をふく也、一時にふきかへをする時は、蛇現じて人おそるゝゆゑ然(しか)す。ふきかへの時に見れば天井に蛇のくそ雀のふんの如くおびたゞしくありといへり。
[やぶちゃん注:「奧州岩城專稱寺」現在の福島県いわき市平山崎(たいらやまざき)にある浄土宗梅福山専称寺。昭和になってからは梅の名所として知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。確かに小高い山の山頂にある。応永二(一三九五)年に良就十聲(りょうしゅうじゅっしょう)によって創建された。
「西山派」法然上人の高弟である西山上人証空が自らが唱えた西山義の教えを広めたことに始まる浄土宗西山禅林寺派。現在の京都市左京区の禅林寺(永観堂)を総本山とする浄土宗の一派であるが、ちょっとおかしい。ウィキの「専称寺」によれば、本寺の開山である『良就は浄土宗名越派の祖・良弁(尊観)の流れを汲む僧であ』り、『江戸時代には名越派』(浄土宗第二祖弁長の弟子で第三祖となる良忠が開いた鎮西派の中の一派であったが、江戸時代には鎮西派から分離していた)『の奥州総本山、檀林寺として多くの僧を養成し、東北地方の浄土宗信仰の中心寺院として栄えた』とあり、同寺の公式サイトでも名越派総本山と明記するからである。
「五間」九メートル九センチ。
「三間」五メートル四十五センチ。
「二帶」二匹。
「厲(れい)」「厲」は本来は「禍い」「祟り」の意であるが、ここは音の「レイ」を「靈」の通音として用い、災いを齎す悪霊の謂いで用いているものと思われる。]
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