譚海 卷之二 遠州大井河の川下溺死死亡靈施餓鬼の事
遠州大井河の川下溺死死亡靈施餓鬼の事
○相知(あひしり)たる上人、遠州大井河の川下に草庵を結びて居(ゐ)たりし此の物語せしは、年々洪水に逢(あひ)て溺死の人五人か十人、川こすものを始め行旅(かうりよ)の人たゆる事なし、其死骸ながれくる度ごとに、この草庵にて引揚(ひきあげ)葬收(そうしう)する事也。何國(いづく)いかなる者といふ事もしらねば、塔婆などまうくる事もなし、只河原に埋(うづ)めてその身にそへる杖(つゑ)笠(かさ)などをしるしになし收め置(おく)事也、哀(あはれ)なる事いふばかりなし。每年秋に至れば、月夜或は雨陰の夜など鬼哭(きこく)を聞(きく)事あり、此溺死のものの幽靈也、甚(はなはだ)凄然として聞(きく)にたへず。川上川下と聞(きき)定めず、但(ただ)よもすがら哀々としてたえずとぞ。かゝる事連夜に及ぶ時は、川の邊(あたり)の民(たみ)いひ合せ集錢(しふせん)して施餓鬼會(せがきゑ)を執行(しゆぎやう)する、さすればその夜より鬼哭きこゆる事なしと。打拾(うちすて)法事等なさゞれば、秋の末必ず大水(おほみづ)有(あり)、田畑を損じ迷惑に及ぶ事とぞ。
[やぶちゃん注:「執行」(しゅぎょう)は、ここでは仏事をとり行うこと。]
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