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2018/04/14

栗本丹洲自筆(軸装)「鳥獣魚写生図」から「豪猪」(ジャワヤマアラシ)

 

□題簽

豪猪 眞圖

    ヤマアラシ

Jyawayamaarasi

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像の上下左右をトリミングした。ジャワヤマアラシの同定は同ページの磯野直秀氏の解題に拠る。

 ジャワヤマアラシは、ユーラシアとアフリカに分布する地上性の「旧世界ヤマアラシ」の一種である、

脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱齧歯(ネズミ)目ヤマアラシ上科ヤマアラシ科ヤマアラシ属ジャワヤマアラシ Hystrix javanica

である(ヤマアラシ上科 Hystricomorpha には他に「新世界ヤマアラシ」と呼ぶ、南北アメリカに分布する、形態上では「旧世界ヤマアラシ」に酷似した樹上性のアメリカヤマアラシ科 Erethizontidae の諸種群がいるが、これらは齧歯類の中で別々に進化した全く独立の系統の生物群であって、収斂進化の好例とされる、互いに近縁な関係にはない種群である)。本種は絶滅に瀕している種であることが、共有ブログ「ハウズバリ バリ島生活情報誌」の「バリ動物園、ジャワ・ヤマアラシを自然に還す」で判る(可愛い写真有り)。ヤマアラシ類は、背中に長く鋭い針状が密生しているが、これは体毛が変化したものである。ウィキの「ヤマアラシ」によれば、『通常、針をもつ哺乳類は外敵から身を守るために針を用いるが、ヤマアラシは、むしろ』、『積極的に外敵に攻撃をしかける攻撃的な性質をもつ。肉食獣などに出会うと、尾を振り、後ろ足を踏み鳴らすことで相手を威嚇するだけでなく、頻繁に背中の針を逆立てて、相手に対し後ろ向きに突進する。本種の針毛は硬く、その強度はゴム製長靴を貫く程であり、また捕食された場合でも針が相手の柔らかい口内や内臓を突き破り感染症や疾患を引き起こさせ、場合によっては死亡させることが知られている』。このため、『クマやトラといった大型の捕食動物でも本種を襲うケースは少ない』とある。

 蹉跎庵主人氏の強力にして必見の「見世物興行年表」の江戸時代 安永」のページに、安永二(一七七三)年一月に、『田村藍水が「豪猪図説」(一枚摺)を著す』(昭和六一(一九八六)年八坂書房刊の高島春雄著「動物物語」に拠るとある)とあって、以下、

   《引用開始》

〈編者註〉昨年八月、薩摩の島津重豪が田沼意次に山嵐を献じ、上覧ののち田村藍水へ下付された。田村は、見物に来る人たちの便にと正月に「豪猪図説」(一枚摺)を著した。

『動物物語』の著者高島春雄氏は、「私は原品は覧(み)るを得ないが上野益三博士御所蔵の写本を拝見することができた」(『動物物語』20頁)として、そのあらましを載せている。それによると山嵐が田村邸に来たのは安永元年十二月二十八日だという。「豪猪図説」にはもちろん山嵐の絵が描かれていたと思わるが、残念ながら同書に図は掲載されていない。

 ところで、国立国会図書館に栗本丹洲筆「鳥獣魚写生図」(写本・年代不詳)があり、そこに山嵐が描かれている(下図参照[やぶちゃん注:本図の上図の画像が示されている。])。丹洲は藍水の実子で、宝暦六年[やぶちゃん注:一七五六年。安永元年十二月ならば、丹洲は満十七歳。丹洲が奥医師栗本昌友(三代目栗本瑞見)の婿養子となったのは安永七(一七七八)年)七月である。]の生まれ。実際に見て描いたか、あるいは「豪猪図説」に描かれていた山嵐を写したものか、それは定かでないが、いずれにしろ、丹洲が描いたこの山嵐はこの時の個体であると思われる。

   《引用終了》

とある。また、同ページの後の方には、「摂陽奇観」(濱松歌国著になる、江戸初期から天保四(一八三三)年に至る大阪の年代記)から、安永二年に大阪道頓堀で興行された「山嵐」(ヤマアラシ)の見世物の記事が載り、ポケモンみたような奇体なヤマアラシの図も載る(引用元は大正一五(一九二六)年から刊行された『浪速叢書』とある)。それに続けて、「蒹葭堂雜錄」(けんかどうざとろく:大坂の文人・画家・本草学者にしてコレクターであった木村蒹葭堂(元文元(一七三六)年~享和二(一八〇二)年の著になる、安政六(一八五九)年刊の五巻から成る考証随筆。各地の社寺に蔵する書画器物や、見聞した珍しい動植物についての考証及び珍談奇説などを書き留めた原稿を、著者没後、子孫の依頼を受けた大坂の著述家暁鐘成(あかつきかねなり)が整理抜粋したもの。挿画は大阪の画家翠栄堂松川半山の筆になる)の「豪豬」(ヤマアラシのこと)の記事と図が載る。これは私も持っている吉川弘文館随筆大成版からのものであるので、以下に何時ものように恣意的に漢字を正字化して、図も添えて示す。【 】は割注。踊り字「〲」は正字化した。キャプションは『豪豬(やまあらし)之圖』。

   *

 

Yamaarasinozu

 

豪豬【俗云也未阿良之(やまあらし)】。

山豬(さんちよ)、嵩豬(かうちよ)、鸞豬(らんちよ)等の名あり。安永元年阿蘭陀(おらんだ)より薩摩國(さつまのくに)へ傳來(でんらい)し、翌二年巳の春、浪華に來りて觀物(くわんぶつ)とす。其形豬(いのこ)の如く、頭(かしら)兎(うさぎ)に似て色白し。身毛(みのけ)長く平(ひらた)くして髮搔(かうがい)[やぶちゃん注:笄(こうがい)。]のごとく、恰(あだか)も管(くだ)を以(もつ)て作(つくり)し蓑(みの)を着(き)たるが如し。身を奮(ふる)ひ動(うご)かす時(とき)は、鳴音(なるおと)金具(かなぐ)を打合(うちあは)すがごとし。毛の色白き中に所々(ところどころ)茶色の斑(ふ)あり。實に奇異(きい)の獸(けもの)なり。一説に、唐土(もろこし)南陽(なんやう)[やぶちゃん注:現在の河南省南陽市。ここ(グーグル・マップ・データ)。]の深山に生ずる「サルマントウ」[やぶちゃん注:不詳。]是なり。又靈獸目鑑(れいじゆもくかん[やぶちゃん注:「じゆ」はママ。])に見へたるは、身毛其年の氣(き)によりて變ず。唐人(たうじん)其色を見て、歳(とし)の運氣(うんき)を考(かんがふ)るといふ。當時(たうじ)の豪豬(がうちよ)は、咬𠺕吧國(しやがたらこく)[やぶちゃん注:インドネシアの首都ジャカルタの古称であるが、近世にはそのジャワ島から日本に渡来した品物に冠したところからジャワ島をも指す。本種がジャワヤマアラシで正しいことの重要な一節である。]の産(さん)なるを、蘭人(らんじん)捕獲(とりえ)て持渡(もちわた)しといふ。本草綱目にいへる豪豬の説(せつ)とは、大同小異あり。略之。

   *

以下、蹉跎庵主人氏は「浪花見聞雜話」の『山嵐 安永年中に山あらしといふけだもの渡りて諸方にて見世ものに出したり。毛が爪のごとくにして、甚綺麗成けだもの、珍敷見世物成とて、何れへ持ても大にはやり、人々群集したり』と引かれた後。

   《引用開始》

この山嵐は時期的にみても田村邸に下付されたものとは明らかに別の個体である。薩摩より来たとあるから、島津重豪がオランダ人より買ったのは二匹で、一匹は幕府に献上され、もう一匹は何らかのルートを経て大阪へ来て、見世物になったと考えられる。

   《引用終了》

と考察しておられる。なお、同じブログの天保四(一八三三)年から天保五(一八三四)年を扱った「一」のページにも、ヤマアラシの見世物のチラシが二種掲げられ、丁寧に活字に起されており、「唐蘭船持渡鳥獸之圖」所載の「山あらし」の図が「舶来鳥獣図誌」(恐らく一九九二八坂書房刊の磯野直秀・内田康夫共著のそれであろう)から掲げられている。その解説には『「天保三辰〈七月二十日〉弐番阿蘭陀船持渡 山あらし 出所アンボン国」とある』。『また朱書きで「御用伺い相成り候処、御用これ無き旨御達しにて、牧野長門守殿(長崎奉行)御調べにて、弐匹とも薩州へ相遣わす」(読み下し・編者)とある。つまり、幕府へ伺いを立てたところ、無用との返事だったので、二匹とも薩摩へ遣わしたというのである。それがどういう経路を経て大阪へ来たのかは知りえないが、大阪で見世物になった山嵐は、このとき渡来したうちの一匹であることは間違いないだろう。この後、名古屋へ行く』とある。このアンボン国とはインドネシアのジャワ島からは東方にずっと離れたアンボン島(スラウェシ島の東)のことである。因みに栗本丹洲は天保五(一八三四)年没であるから、この時はまだ生きている。しかし、このヤマアラシが江戸に来ない限りは見られない。蹉跎庵主人氏の推察した通り、丹洲の実父田村藍水が安永二(一七七三)年に「豪猪図説」に描いた個体をともに写したものか、或いは、ずっと後に父の図を転写したものと考える方が自然である。]

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