和漢三才圖會第四十一 水禽類 鷺(総称としての「白鷺」)
さぎ 鷺鷥 絲禽
雪客 白鳥
舂鋤
鷺【音路】
【和名佐木】
ロウ
本綱鷺林棲水食羣飛成序潔白如雪頸細而長脚青善
翹高尺餘解指短尾喙長三寸項有長毛十數莖毿毿然
如絲欲取魚則弭之以目盻而受胎禽經云鸘飛則霜鷺
飛則露步于淺水好自低昻如舂如鋤之狀
△按白鷺全軆純白惟脚與啄黑指色黄其聲人呼喚
者也三才圖會云鷺性惡露其翔集必舞而下
月淸 飛きゆる雲井の鷺の羽風ゟ我が色こほす雪の曙後京極
一種小鷺【一名盃鷺】是白鷺之小者共肉淡甘夏月最賞之
*
さぎ 鷺鷥〔(ろし)〕
絲禽
雪客〔(せつかく)〕
白鳥
舂鋤〔(しようじよ)〕
鷺【音、「路」。】
【和名、「佐木」。】
ロウ
「本綱」、鷺は林に棲みて、水食〔(すいしよく)〕す。羣飛して序を成す。潔白なること、雪のごとし。頸、細くして長し。脚、青く善く翹〔(かけ)〕る。高さ、尺餘り。解〔(ひら)ける〕指、短き尾、喙〔(くちばし)〕の長さ、三寸。項〔(うなじ)〕に長き毛有り、十數莖〔(くき)〕、毿毿然〔(さんさんぜん)〕として絲のごとし。魚を取らんと欲するときは、則ち、之れを弭〔(と)〕む。目を以つて盻〔(げい)〕して胎〔(たい)〕を受く。「禽經〔(きんけい)〕」に云はく、『鸘(しもふるとり)、飛ぶときは、則ち、霜ふる。鷺、飛ぶときは、則ち、露〔(つゆ)〕、をつ。淺き水に步〔(ほ)〕して、好んで、自〔(みづか)〕ら低昻〔(ていかう)〕す。〔それ、〕舂〔(うすつ)〕くがごとく、鋤の狀〔(かたち)〕のごとし。
△按ずるに、白鷺、全軆、純白、惟だ、脚と啄と黑く、指の色、黄。其の聲、人の呼び喚ぶ者なり。「三才圖會」に云はく、『鷺の性〔(しやう)〕、露を惡〔(にく)〕む。其れ、翔び集〔まれば〕必ず舞ひて下〔(くだ)〕る。』〔と〕。
「月淸」
飛びきゆる雲井の鷺の羽風より我が色こぼす雪の曙
後京極
一種、「小鷺」【一名、「盃鷺」。】 是れ、白鷺の小なる者なり。共に、肉、淡甘。夏月、最も之れを賞す。
[やぶちゃん注:これは「白鷺」であるが、白鷺とは鳥綱 Aves 新顎上目
Neognathae ペリカン目
Pelecaniformes サギ科
Ardeidae の中で、ほぼ全身が白いサギ類の総称通称であり、「シラサギ」という和名の種がいるわけではないので注意が必要(但し、中国語で「白鹭」は種としてのコサギ(サギ科コサギ属コサギ Egretta garzetta を指す)。ウィキの「白鷺」によれば、本邦では、一般に全身が白色を呈する、サギ科の、
アオサギ属ダイサギ(大鷺)Ardea
alba alba
(同亜種で小型のチュウダイサギ Ardea alba modesta も含む)
アオサギ属チュウサギ(中鷺)Ardea
intermedia
コサギ属コサギEgretta
garzetta
コサギ属カラシラサギ(唐白鷺)Egretta
eulophotes(数少ない旅鳥(渡りの途中で春・秋に定期的に姿を見せる鳥を指す)として知られる)
を指し、
サギ亜科 Ardeinae アマサギ属アマサギ(飴鷺)Bubulcus
ibis(夏季は頭部から頸部及び胴体上面がオレンジがかった黄色(飴色)の羽毛で被われ(夏羽)るが、冬羽は全体に白くなるため)
も入れられることがある。また、
クロサギ(コサギ属クロサギ Egretta sacra)の白色型(必ずしも稀ではなく、九州以北では黒色型が分布するが、南西諸島では白色型の割合が増える。黒色型は黒い岩場に適応し、南西諸島に多い白色型は白い砂浜やンゴ礁に適応したものと考えられている)
もこれに加えられる、とある。
「水食〔(すいしよく)〕す」水中の生物を捕食する。
「羣飛して序を成す」整然と並んで群れ飛ぶ。
「翹〔(かけ)〕る」「翔る」に同じい。
「項〔(うなじ)〕に長き毛有り」上記の種群は概ね、成鳥は雌雄ともに繁殖期の前になると、頭や背に「飾り羽」が生じるので、この言いは正しい。
「毿毿然〔(さんさんぜん)〕として」「毿毿」は、毛などがふさふさとして長いさま、或いは、細いものが長く垂れ下がるさまを言う。
「弭〔(と)〕む」止める。押さえて獲る。
「盻〔(げい)〕して」睨んで。
「胎〔(たい)〕を受く」前にも出てきたが、凝っと見つめ合うだけで受胎するのである。
「禽經」既出既注であるが、たまには再掲しよう。春秋時代の師曠(しこ)の撰になるとされる鳥獣事典であるが、偽書と推定されている。全七巻。
「露〔(つゆ)〕、をつ」露が降りる。
「低昻〔(ていかう)〕す」首(頭部)を上げたり、下げたりする。
「舂〔(うすつ)〕くがごとく」臼で何かを搗(つ)くようであり。
「鋤の狀〔(かたち)〕のごとし」鋤(すき)で地を耕すのにも似ている。
「人の呼び喚ぶ者なり」人が誰かを呼ぶようにも、叫ぶようにも聴こえるものである。
「鷺の性〔(しやう)〕、露を惡〔(にく)〕む」「禽經」の記載との連関性が私には今一つよく判らぬ。
「月淸」「式部史生(ししょう)秋篠月淸集」(あきしのげっせいしゅう)は藤原良経(嘉応元(一一六九)年~建永元(一二〇六)年:平安末から鎌倉初期の廷臣で歌人。九条兼実の子として生まれ、左大臣を経て、従一位摂政太政大臣に昇った。後京極殿と号した。和歌を藤原俊成に学び、建久期前半(一一九〇年~一一九七年)には、歌壇を主宰して、定家ら新風歌人の庇護者となり、「花月百首」「六百番歌合」を開催。建久七(一一九六)年の政変(父兼実が関白を罷免されて失脚した事件)により、一時、籠居したが、後、政界に復帰、後鳥羽院歌壇に於いても中心人物として「新古今和歌集」編纂に貢献した。同歌集の「仮名序」を執筆し、巻頭歌作者ともなっている)の自撰家集。全四巻一千六百十余首を収める。「新古今和歌集」成立の元久二(一二〇五)年前後に成ったと推定される。「南海漁夫」「西洞隠士」などの謙退仮名をも用いており、良経の隠者志向を窺わせる一面もあるが、その人生の無常をも見つめた長高清雅な歌境が、この家集の価値を高めていると言える(歌集の評価は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。但し、以下の一首はネットで幾ら調べても「秋篠月清集」には載らないようだ。確かに良経の一首とならば、識者の御教授を乞う。
「飛びきゆる雲井の鷺の羽風より我が色こぼす雪の曙」前注最後に記した通りであるが、これに非常によく似た一首を、室町時代の臨済宗の僧で歌人の淸巖正徹(しょうがんしょうてつ 永徳元(一三八一)年~長禄三(一四五九)年:備中(岡山県)小田郡で神戸山城主小松康清の次男として生まれた。応永二一(一四一四)年三十四歳にして東福寺で出家した。同寺では書記をしていたことから「徹書記」とも呼ばれ、自ら「招月菴」とも号した。冷泉派の和歌に通じ、二条派の尭孝法印とともに室町期の京都歌壇の代表的人物とされる。現存する和歌は「草根集」十五巻に集録される一万一千首余を始めとして、二万首余に上る。「新古今和歌集」の藤原定家に傾倒し、幽玄で象徴的・幻想的な作風を特徴とする(「朝日日本歴史人物事典」に拠った))の一首に見出した(水垣久氏の「やまとうた」の「正徹」の頁)。集外歌仙の中の一首で、
曙雪
しら鷺の雲ゐはるかに飛びきえておのが羽こぼす雪のあけぼの
前の一首が確かに藤原良経のものであるとすれば、これは本歌取りと名指す以前に、下手な剽窃と言うべきものだと私は思う。
「小鷺」これは文字通り、サギ科コサギ属コサギ Egretta garzetta と採ってよかろう。
「盃鷺」は小さな白磁の盃の意か。]
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