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2018/04/21

譚海 卷之二 信州戸隱明神奧院の事

 

信州戸隱明神奧院の事

○信州戸隱明神の奧の院は、大蛇にてましますよし。齒を煩ふ者三年梨をくふ事を斷(たち)て立願すれば、はのいたみ立處に治する也。三年の後なしの實ををしきにのせ、川中へ流し賽禮(さいれい)をなす事也。又立願の人戸隱へ參詣すれば、梨を獻ずるなり。神主を賴て奉納するに、神主梨を折敷(をしき)にのせ、うしろ手に捧げ跡しざりの樣にして奧の院の岩窟の前にさし置歸(おきかへ)る。うしろをかへりみず、神主岩窟を十間もさらざるに、まさしくなしの實を喫する音きこゆと云(いふ)、恐しき事也。

[やぶちゃん注:現在の戸隠神社は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に宝光社(ほうこうしゃ)・火之御子社(ひのみこしゃ:「日之御子社」とも書く)・中社(ちゅうしゃ)・九頭龍社(くずりゅうしゃ)及びここで問題とされている奥社(おくしゃ)の五つの社からなる総体を総称するものである。参照したウィキの「戸隠神社」によれば、この奥社の『祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。中社から車で』二・五キロメートルほどの『車道を登った後』、さらに真っ直ぐに続く約二キロメートルの『参道(車両進入禁止)を登りきった場所にある。途中に赤い「随神門(山門)」があり、その奥は』十七『世紀に植えられたとされる杉並木になっている。神仏分離以前は随神門より』、『奥の参道左右に子坊が立ち並んでいた。旧奥院。廃仏毀釈までは聖観音菩薩(現在は千曲市の長泉寺本尊、仁王尊像は長野市の寛慶寺)を祀っていた』。「戸隠三十三窟」(実態不明)と呼ばれる一帯があって、「本窟」・「宝窟」と称される中心となる窟が奥社本殿内部にあるとされるが、『非公開』であるため、その『内部に何があるのかは秘密とされている』とある。但し、底本の竹内利美氏の注では奥社の『社殿の上の岩窟に』は『九頭竜権現を祭っている』と記してある(下線太字やぶちゃん)。なお、奥社の背後は戸隠山の絶壁となっているそうである(ここはウィキの奥社の写真のキャプションに拠る)。なお、戸隠神社の濫觴は『一説には』、この『現在の奥社の創建が』孝元天皇五(紀元前二一〇)年とも『言われる』ものの、『縁起によれば』、『飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で最初に修験を始めたのが』嘉祥二(八四九)年『とされている』という。また、「日本書紀」の「天武紀」には天武天皇一三(六八四)年、『三野王(美努王)を信濃に派遣し』、『地図を作らせ、翌』年、朝臣三人を『派遣して仮の宮を造らせ』たとし、また、持統天皇五(六九一)年には、『持統天皇が使者を遣わし、信濃の国の須波、水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社』である『とする説もある』とある。

 また、ここで何故、「歯」であり「梨」であるのか? なのであるが、これに就いては、「信州戸隠の宿坊 宮澤旅館」の「三 九頭竜神と歯の神様と梨」で、驚くほど詳しい考察がなされてある。詳細はリンク先をご覧頂きたいのであるが、要は「九頭竜神」は「白山信仰」との結び付きが多く、本邦の多くの白山神社が「歯の神様」とされており、昔の歯の病気は歯周病(歯槽膿漏)が主であって、それよって生じた口腔内疾患を「歯臭(はくさ)」と称したことから、類似音の「はくさん」と結びついた(類感呪術的連合である)と考えられているらしい。また、梨と九頭竜神との結び付きも全国各地で確認されているとし、九頭竜神は本来は水神であったこと、中国の幻想地誌「山海経」の「西山経」に、天帝の都に通ずるとされる伝説の山崑崙山の周囲には、羽毛をも浮かばせることが出来ない弱水という不思議な川が流れており、その川は誰も渡れぬ「溺れ川」と考えられていたものの、鉄壁の神仙の防衛濠である弱水を例外的に渡渉出来るアイテムが二つ記されていて、その一つは「龍」であり、今一つは「沙棠」と称する木の実であると記す。この「棠」は西晋の郭璞(かくはく)の注では「梨」とされる梨は中国原産で、『古代中国における梨の認識は、水を司る仙薬としての木の実であった』。『 すなわち、龍はすべての水を司る神、つまり、最高の水神であり、また、梨を食べることは、龍と同じく最高の水神に同化するというわけである。このように、龍と梨は神仙思想において一致する。最高の水神である竜神に捧げる品として、梨は最高の神供なのである。してみれば、梨を捧げられる戸隠の九頭龍神は、竜神中の竜神であり、まさに竜王の最高神であるといえるのではなかろうか』とあり(下線太字やぶちゃん)、これは痛快に目から鱗であった。

「をしき」「折敷」。檜の折(へ)ぎ(薄く削った板)で作った縁(ふち)附きの盆。通常は方形で、供物や食器などを載せる。

「賽禮」御礼参り。「賽」自体が「神から受けた福に感謝して祭る」の意。

「十間」十八・一八メートル。]

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