大和本草卷之八 草之四 海藻類 石帆 (×海藻ではない刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱ツノサンゴ(黒珊瑚)目Antipathariaの仲間)
石帆 本草綱目載之又事言要玄曰此海樹也紫
黑色其根株著實其枝柯如鐡綆相勾聯高一二
尺許以其扁薄如帆故呼爲石帆今人取置花盆
中以爲玩漳州府志ニモノセタリ○本邦處々海中ニ
アリ事言要玄ニイヘルカ如シ其色丹ヲヌリタル如クナルモア
リ或黑白褐色アリ其根石ニツキテ生ス異物ナリ人工
ニテワサト作リナセル物ノ如シ丹色モ亦人乄ヌリタルカ如シ
○やぶちゃんの書き下し文
「石帆(ウミマツ)」 「本草綱目」、之れを載す。又、「事言要玄」に曰はく、『此れ、海樹なり。紫黑色。其の根株、實を著け、其の枝柯〔(しか)〕、鐡綆〔(てつこう)〕のごとし。相ひ勾聯〔(こうれん)〕す。高さ、一、二尺許り。其れ、扁〔たく〕薄〔くして〕、帆のごときを以つて、故に呼んで、「石帆」と爲す。今、人、取りて、花の盆の中に置き、以つて玩と爲す。「漳州府志」にも、のせたり。
○本邦、處々の海中にあり。「事言要玄」にいへるがごとし。其の色、丹〔(に)〕をぬりたるごとくなるも、あり。或いは黑・白・褐色あり。其の根、石につきて生ず。異物なり。人工にて、わざと作りなせる物のごとし。丹〔(に)〕の色も亦、人〔を〕して、ぬりたるがごとし。
[やぶちゃん注:「海藻類」に入って早々、現代生物学では「海藻」でない動物が出てきてしまった。私は既に十年前、寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」の「うみまつ 水松 石帆〔(せきはん)〕」でこれを考証した。その冒頭での私の注を元に、以下、同定過程を示す。まず、振仮名の「ウミマツ」という呼称からは、即座に「海松」の表記が浮かび、これは本邦では古代から食用海藻として知られて租税としても納められ(「大宝律令」には既に「調」(正確には正規の税としての「正調」が納められない場合の雑物)として食用の「海松」が記載されており、その献納の事実を証明する木簡も出土している)、「みる」の呼び名が当てられており、「万葉集」にも出る。仮にそれだとするならば、
植物界緑色植物亜界緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミルCodium fragile
ということになる。が、この益軒の叙述は、あの独特の黒みがかった黄緑色(日本固有の色名として、まさに「海松(みる)色」と呼ぶ)の、ふにゃとした感じの(実際には枝は結構丸く太く、ビロード状を呈し、触れてみるとザラついている)、二叉分岐を繰り返して松の木のようになった、あの海藻の「ミル」の叙述では、全く、ない。実は、寺島良安「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」の「水松」を読んでいただければ、よく判るのであるが、実は「本草綱目」では時珍自身が(彼は「石帆」と「水松」を似ているとしつつ、別項として立てている)、全く異なる生物種を一緒くたにして解説している(ように見える)のである。益軒がここで「本草綱目」は書名だけを示し、全く引いていないのは、そうした疑義を感じていたからかも知れない。益軒は「本邦」でもこの種は「處々の海中にあり」、そ「の色」は「丹」(に)を塗ったように真っ赤な個体もあり「或いは」黒色のもの、白色のもの、褐色のものもあって、バラエティーに富んでおり(こんな色彩変異はミルCodium fragile では絶対にあり得ない)、「其の根」は海中の岩礁や岩に付着して生じた、稀に見る「異物」であると言っている(海松(みる)は本邦の人間にとっては馴染みの食用海藻であり、「異物」などとは決して表現しない)。しかも「人工」で、「わざと作り」成した「物の」ようにさえ見えるもので「丹」(に)「の色も」これまた「人」が恣意的に塗りたくったように見えるほどだ、と言っているのである。さらに前の箇所では「鐡綆〔(てつこう)〕(スチール製の細い鉄条を束ねた井戸の釣瓶(つるべ)の綱(つな))のようであるともあり、「今、人、取りて、花の盆の中に置き、以つて」賞翫する飾り物「と爲す」というのだ。ミルを乾燥させても、潮臭さはなかなか抜けず、だいだいからして、黒ずんで汚なく、盆の上に飾るような代物にはならない。さてもさて、これらの属性を全てカバー出来る「石帆」とは何であろう? 既に多くの方はお気づきであろうが、これは海藻ではなく、珊瑚の一種である可能性が非常に高いのである。特にその中でも、通称をずばり「ウミマツ」と呼ぶ、
刺胞動物門花虫綱六放サンゴ亜綱ツノサンゴ(黒珊瑚)目Antipathariaの仲間
ではないかと私は思うのである。勿論、同目に属する、
ウミカラマツ科ウミカラマツ属ウミカラマツ Antipathes japonica
ウミカラマツ科 Cirripathes 属ムチカラマツ Cirripathes anguina
等を候補として挙げても構わない。ツノサンゴ類の「ブラック・コラール」と呼称されるものは、現在も装飾品とされる。
また、現代中国語で「石帆」は“sea fan”に英訳されるのであるが、これは別名が「海団扇」であり、これも海藻ではなく、
刺胞動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ヤギ目角軸(全軸/フトヤギ)亜目トゲヤギ科ウミウチワ属ウミウチワAnthogorgia bocki
若しくは、その仲間を指すと思われるのである。その場合、同形態を示す同じヤギ目の、
イソバナ科イソバナ属イソバナMelithaea flabellifera
等の仲間も同定候補となろう。
ともかくも、同じような形状を有する(但し、遙かに小さい)海藻類はあるが、私は、少なくとも、益軒のこの叙述は、海藻類のそれらではなく、悉くが、枝状を成す珊瑚類であると断言するものである。
「事言要玄」明の陳懋学(ちんぼうがく)の撰になる類書(事典)。全三十二巻。泉州の地誌「泉南雜志」を書いた陳懋仁(ちんぼうじん)のごく近しい後裔の縁者であろう。
「枝柯〔(しか)〕」枝。「柯」は「木の枝」「草の茎」の意。
「勾聯〔(こうれん)〕す」曲がりながら、相互に絡まっている。
「漳州府志」清の乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌。]
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