進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(1) 序/一 事實の益々と確となつたこと
第十五章 ダーウィン以後の進化論
以上第三章より第十四章までに於て、生物進化の事實及び之を説明するための自然淘汰の説を述べるに當り、事實に關する例は現今知れて居るものの中から、著者が隨意に選び出したのであるが、理窟の方は殆ど全くダーウィン自身の考へた通りに説いた。ダーウィン以後に、生物進化の尚一層巧な説明を案出しようと骨を折つた學者は、隨分多數あり、その人等の發表した假説も相應に澤山あつて、互に相駁擊して何時果てるか分からぬやうであるが、著者の見る所によれば、今日に於ても最も無理の少いのは、やはりダーウィン自身の説いた通りのことだけで、その後に出た種々の説は孰れも之に比べると、或は事實上の論據が遙に弱いか、または論法に謬[やぶちゃん注:「あやまり」。]があるもののやうに思はれる。而して本書に於ては、著者の最も適切であると信ずる所に隨つて記述したから、自然ダーウィンの論じた通りを紹介することになつたのであるが、ダーウィンが「種の起源」を公にしてから、今年は最早六十七年目であつて[やぶちゃん注:Charles Robert Darwin が通称「種の起原(起源)」、正確には“On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the
Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life”(「自然選択の方途、或いは生存競争に於いて有利な種族の存続することに基づく種の起原」)は一八五九年に刊行されたもので、本書「進化論講話」初版は明治三七(一九〇四)年一月(東京開成館)刊行であるが、本テクストは同じ東京開成館から大正一四(一九二五)年九月に刊行された、その『新補改版』(正確には第十三版)である。数えであるから正しい。]、その間に於ける生物學の進步は實に驚くべき程であるから、本章よりは更にダーウィン以後の進化論の有樣を簡單に述べて、この論の現在の狀況を明にして置かうと思ふ。
生物進化の事實と之を説明するための理論とは、全く別に分けて論ぜねばならぬことは前にも述べたが、本章以後に於ても素よりこの區別が必要で、事實の方面と理論の方面とでは大に模樣が違ふ。一言でダーウィン以後の進化論の經過をいへば、生物進化の事實は年々多數の新規な證據が發見せられ、益々確乎となつて、今日の所では全く動かすべからざるものとなつたが、之に對する理論の方は比較的進步が遲く、澤山に考へ出された新説も、之を大別すると、相反する二組に分けることが出來て、この二組が今日まで互に鎬[やぶちゃん注:「しのぎ」。]を削つて議論を鬪はして居たに過ぎぬ。その有樣を讐へていふと、恰も體操の時間に一隊の學生が「左り右、左り右」と唱へながら足蹈をして居るやうな姿で、響を蔭で、聞くと、丸で進行して居るようであるが、實は同じ所に止まつて、少しも進まずに居たのである。
一 事實の益々と確となつたこと
「種の起源」出版以後に於ける生物學の進步は實に非常なもので、解剖學・發生學・古生物學・生態學等の各方面に於て、新に發見になつた事實は頗る夥しい。本書に例として擧げたものの中にも、ダーウィン以後の發見にかゝるものが過半を占めて居る。特に發生學・生態學・下等の海産動物の研究の如きは、殆ど進化論によつて新しく始まつた學科というて宜しい位であるが、その研究によつて、發見せられた事實は、如何なるものかといへば、大部分は皆進化論の證據とも見倣すべきものばかりである。また古生物學の如きも、以前よりあつたには違ひないが、五六十年以來の進步は特に著しいもので、本書に掲げた古生物學上の例の如きは、殆ど悉く近來の發見にかゝるものである。ダーウィンが「種の起源」を著した頃には、生物進化の證據となるべき事實が、尚比較的少數であつたから、生物學者中にも之を疑ふ人が隨分あつて、中には進化論は夢の如き空想であると嘲つた人まであつたが、その後年々新しい事實の發見になる每に、進化論の證據が增して行くので、忽ち誰もその眞なることを信ぜざるを得ぬやうになり、現今では生物學を修めながら、尚進化論を疑ふ人は一人もない有樣となつた。されば今日の如く生物進化の事實が確になつたのは、全く十九世紀の半以後、生物學上の知識が著しく進步した結果に外ならぬが、斯く生物學の研究が盛になつて、比較的短い年月の間に夥しい新事實を發見するに至つたのも、「種の起源」の出版が大に與つて[やぶちゃん注:「あづかつて」。]力あることを思へば、生物學の發達に對するダーウィンの功績は、實に空前のものといはねばならぬ。
今、生物進化の事實は最早確乎として動かすべからざるものというたが、それに就いて斷はつて置くべきことは、確といふ字の意味である。元來進化論とは、生物各種屬は如何なる往路を過ぎて今日の有樣に達したかを論ずるもの故、素より一種の歷史であつて、その研究の方法も、歷史學の研究法と大差はない。卽ち兩方とも、第一には古代の遺物を研究して、その時代の有樣を探り、次には現今の事情を調査し、之を基として往古のことを察するのである。古物・古蹟・古文書が人間の歷史の材料となる如くに、地層の中に保存せられて今日まで殘つた古生物の化石は、進化論の最も重要な材料となる。また現今の口碑・儀式等が歷史研究の參考となる如くに、現今の生物の身體内にある各器官の構造・發生等は、大に進化論の參考となるものである。されば進化論の説く所が確であるか否かは、全く歷史上の事項の眞否を判斷するのと同一な標準に隨つて判斷せねばならぬ。物は疑ひ始めると限りのないことで、考へやうによつては隨分自分の目の前にあり、自身の手で觸れることの出來る机や書物などが、眞に存在して居るか否かを疑へぬこともないが、腦髓の餘り狂つて居ない人ならば、楠正成が湊川で自殺したとか、光秀が信長を討つたとか、德川家康が關が原の戰で勝つたとかいふ如き、歷史上のことを總べて事實として信じて居る。進化論の説く所も之と同樣の性質のもの故、同樣の證明のある以上は、一は之を信じ、一は之を信ぜぬといふ理窟は決してない。たゞ普通の歷史が僅々二三千年間の事蹟を論ずるのと違つて、進化論の方は何萬年とも何億年とも解らぬ遙昔のことを調べるのであるか
ら、材料の不十分なのは無論のこと、必要な證據も大部分は湮滅した有樣で、到底詳細な點まで悉く調べ上げることは出來ぬ。ダーウィン以後生物進化の事實が益々確になつたといふのは、卽ち古文書に比すべき化石が續々發見せられ、傳來の口碑や古代の遺風とも見倣すべき解剖學上・發生學上の事實が、夥しく見出されたためであるが、凡そ次に述べるだけのことは、最早決して動かされることはないであらう。
先づ第一には動植物の各種は永久不變のものでなく、皆漸々變化することである。之は人の飼養する動植物の種類に就いては目前に證據のあることで、毫も疑ふことは出來ぬが、尚各種の動植物の身體の構造・發生を調べて見ると、漸々進化し來つたものと見倣さなければ到底説明の出來ぬ點が頗る多い。彼の牛や羊の胎兒の上顎に、一度前齒が生じ後に消え失せるのを見ては、牛・羊の先祖には斯かる齒が發達して居たものと信ぜざるを得ぬ如き、また大蛇の腰に脚の痕跡のあるを見ては、蛇も四足を具へた蜥蜴の如きものより進化したと信ぜざるを得ぬ如き、各種屬の進化の間接の證據とも見倣すべき事實は、最近半世紀間の研究によつて、殆ど際限なく殖えた。古生物學の方面でも、前に掲げた馬の系圖の外に、近來の化石發掘の探檢によつて、進化の徑路の餘程完全に知られるに至つたものが、獸類・貝類などに幾種類もある。
次に、初め一種の先祖から次第に數種の子孫の分かれ生ずることも、動かすべからざる事實である。同じ組に屬する數種の生物の發生を調べると、初は殆ど互に區別することの出來ぬ程に相似て居るのはその證據であるが、この方面の研究はダーウィンの時代には極めて少かつた。倂しその後は非常に盛になつて、今では殆ど幾らでも選み出すことが出來る、前に本書に掲げた例の如きも多くはダーウィン以後の研究に屬する。化石の動植物に二組以上の性質を倂せ具へて、その共同の先祖である如くに見ゆるものの多くあるのも、またこの事實の證據であるが、その大多數はやはりダーウィン以後の發見にかゝるものである。
一種の先祖から數種の子孫が生ずるものとすれば、その先祖もまた他の種類と共同の先祖より起つたものなるべく、更に溯つて考へれば、現今の生物種屬は總べて一種の共同の先祖から分かれ降つたもので、その系圖を表に造れば、恰も一本の樹の幹から澤山の枝が分れ、枝は更に細かく數多くなつて、終に無數の梢に終る如き形を示すに違ない。この事も今日では最早疑ふべからざることであるが、ダーウィンの頃には事實上の證據がまだ不十分であつたから、一の假説に過ぎなかつた。今日斯く斷百の出來るやうになつたのは、皆ダーウィン以後に非常に多くの新事實が發見せられた結果である。特に動物に關する方面では、人間・鳥・獸を始め、蚯蚓・「ごかい」・水母・珊瑚の蟲に至るまで、總べてその發生の[やぶちゃん注:以下、底本はページが一枚分、欠損している。そこで、一番近い次に新しい版である、同じ開成館の大正三(一九一四)年発行の初版修正版十一版と、講談社学術文庫版を校合し、今までの丘先生の癖などを参考に電子化こととする。]初には、同じ體形を有する時期があつて、如何にも皆共同の先祖から降つたものと考へねばならぬことが明になつた。また生物各種が悉く一大樹の末梢に當るものとすれば、如何なる生物も皆たゞ一つの系統に屬して、互の間には必ず親類の關係があり、緣の遠いと近いとの相違はあるが、一種として別に離れて、他と無關係のものは決して無い筈である、これもダーウィン以後の研究の結果として、確に知り得た事實の一つである。
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