冬の長門峽 中原中也
冬 の 長 門 峽
長門峽に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。
われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。
われのほか別に、
客とてもなかりけり。
水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。
やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。
あゝ! ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。
[やぶちゃん注:回想詩(長門峡を訪れたのが何時かは不詳)で、サイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説によれば、長男文也が死んだ日(昭和一一(一九三六)年十一月十日)から四十四日後の同年十二月二十四日(クリスマス・イブ)に書かれたもので、角川文庫「中原中也詩集」(河上徹太郎編)の年譜によれば、翌昭和十二年四月発行の『文學界』に発表している。新潮社「日本詩人全集」第二十二巻「中原中也」の年譜によれば、昭和十二年九月の条に、中也はこの頃、『再び身心の疲労甚しく、しばらく郷里に帰ろうと考え』たが、『しかしこのころ郷里の家は、長年にわたる中也の東京生活への仕送りのため、経済的に余裕のない状態にあった』とあり、『詩集『在りし日の歌』の編集を終え、原稿を小林秀雄に託』したのもこの月であった。翌十月五日に発病(結核性脳膜炎とされる)、六日に鎌倉養生院(現在の清川病院)に入院するも、十六日後の十月二十二日午前〇時十分に亡くなっている。
「長門峽」「ちやうもんけふ(ちょうもんきょう)」と読む。阿武川上流の、山口県山口市阿東及び萩市川上に位置する峡谷で、全長約十二キロメートル。ウィキの「長門峡」によれば、『奇岩や滝、深淵など、変化を織りなす奇勝として知られ、国の名勝や長門峡県立自然公園にも指定されている』。『中生代白亜紀の流紋岩質凝灰岩やデイサイト溶岩から形成されており、断崖を形成する』。『命名者は郷土の画家、高島北海であり、また詩人中原中也もこの地を絶賛した。景勝地は個性的な名前で、洗心橋や龍宮淵、獺淵、暗がり淵などの名所がある。洗心橋には中原中也の詩碑が立つ』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。]