夏の夜 中原中也
夏 の 夜
あゝ 疲れた胸の裡を
櫻色の 女が通る
女が通る。
夏の夜の水田(すゐでん)の滓、
怨恨は氣が遐くなる
――盆地を繞る山は巡るか?
裸足(らそく)はやさしく 砂は底だ、
開いた瞳は をいてきぼりだ、
霧の夜空は 高くて黑い。
霧の夜空は高くて黑い、
親の慈愛はどうしようもない、
――疲れた胸の裡(うち)を 花瓣が通る。
疲れた胸の裡を 花瓣が通る
ときどき銅鑼(ごんぐ)が著物に觸れて。
靄はきれいだけれども、暑い!
[やぶちゃん注:初行の「裡」にはルビがない。「水田(すゐでん)」の「ゐ」、「をいてきぼり」の「を」、はママ。
「滓」「おり」と読む。
「遐くなる」「とほくなる(とおくなる)」。「遠くなる」に同じい。
「繞る」「めぐる」。
「銅鑼(ごんぐ)」銅鑼(どら)。「ゴング(gong:マレー語語源の英語)」の当て読み。]