春 中原中也
春
春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舍から合唱は空にあがる。
あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり來た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶つた希望は今日を、
嚴めしい紺靑(こあを)となつて空から私に降りかゝる。
そして私は呆氣てしまふ、バカになつてしまふ
――藪かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
藪かげの小川か銀か小波か?
大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。
[やぶちゃん注:サイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説によれば、本詩篇の初出は、昭和四(一九二九)年九月号『生活者』とある。さても、新潮社「日本詩人全集」第二十二巻「中原中也」の年譜によれば、まさにこの年の春四月、当時二十二歳になった中原中也を中心とし、河上徹太郎・大岡昇平・阿部六郎ら『九人の文学青年が、十円の同人費を持ち寄って』、同人雑誌『白痴群』を創刊している(誌名は『野心を持ちたくても持てない馬鹿の集りの意』ともある)。
「隲る」「のぼる」と読む。
「瓦屋根今朝不平がない」「かはらやね//けさ/ふへいがない」(斜線は切れを示し、二重斜線はより有意な切れを示す)と読んでおく。
「胸摶つた」「むねうつた(むねうった)」と読む。
「紺靑(こあを)」紫色を帯びた暗い青色(或いは「鮮やかな明るい藍色」とも表現できる)。但し、紺青は「こんじやう(こんじょう)」と読み、「こあを(こあお)」という読み方はしない。「こんあを」をこんな風には略さないから、ここは同じような濃い青色を意味する「濃青(こあを(こあお))」の読みを「紺靑」に韻律上から当て訓したものと私は採る。
「呆氣てしまふ」「ほうけてしまふ(ほうけてしまう)」。]