月の光 その一・その二 中原中也
月 の 光 その一
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた
お庭の隅の草叢(くさむら)に
隱れてゐるのは死んだ兒だ
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた
おや、チルシスとアマントが
芝生の上に出て來てる
ギタアを持つては來てゐるが
おつぽり出してあるばかり
月の光が照つてゐた
月の光が照つてゐた
月 の 光 その二
おゝチルシスとアマントが
庭に出て來て遊んでる
ほんに今夜は春の宵
なまあつたかい靄もある
月の光に照らされて
庭のベンチの上にゐる
ギタアがそばにはあるけれど
いつこう彈き出しさうもない
芝生のむかふは森でして
とても黑々してゐます
おゝチルシスとアマントが
こそこそ話してゐる間
森の中では死んだ子が
螢のやうに蹲んでる
[やぶちゃん注:二篇を纏めて示す。中也の文也追悼詩の白眉――戦慄の幻覚――である。「また來ん春……」の注で示した通り、「詩三篇」として昭和十二年二月号『文學界』に発表された。
「チルシスとアマント」「Tircis」と「Aminte」。恐らく中原中也は、ヴェルレーヌ二十五歳の一八六九年に刊行した詩集“Fêtes
galantes”(「優雅な宴(雅宴画)」)の中の“Mandoline”(「マンドリン」)を元にしている(原詩はこれ。英訳附きのページを選んだ二人とも第二連に出る)。ネットのQ&Aサイトで、まさに本篇のこの二つの名を訊ねたのに対する、その回答が素晴らしく、『チルシスは、ヴェルギリウスの「田園詩」に出てくる、下働きの女性の名前。アマントは、やはり「田園詩」中の美少年「アミンタス」を、フランス語読みした名前で』、『いずれも、欧州各国で、類型化されて「牧歌劇」に用いられている名前で』あり、『ヴェルレーヌの詩においては、夜、ひとびとが集まり、セレナーデ(小夜曲)が奏でられるひと時、音楽のもたらす幻想に重なって彼らの姿が現れ』る設定となっている。『つまり、彼の詩においては、牧歌的な雰囲気の中、賑やかで楽しげな場面に出てくる妖精のように考えてよいと思』われるとし、『同じフランスの作曲家、ガブリエル・フォーレによってメロディを付けられている詩でもあり』、『中原の詩でもまた、チルシスやアマントはまるで「音楽の精」のように、夜、月の光の下に表れる』も、『楽器は放り出して』しまう。『賑やかで楽しげであるはずの夜のひと時は、中原の詩においては沈黙が支配し、チルシスやアマントも、まるで「音楽の幽霊」のような存在になっている』。『中原は、悲しいという言葉をただの一度も使わずに、逝った息子、文也の姿を月の光の下に追い求め続け』るのであり、『個人的には、彼の詩における「チルシスとアマント」とは、かつて文也と共にあり、幸福であった中原の夢の残骸の姿と感じ』る、と記しておられる(この記載が正しいことは、こちら(個人ブログ「コイケランド」)の「月とその光に関するメモ その3」のブログ記載で、同様の内容が岩波文庫版「中原中也詩集」の注釈にあると記しておられる(引用有り)ことで保証される)。プーブリウス・ウェルギリウス・マーロー(Publius Vergilius Maro 紀元前七〇年~紀元前一九年)はウィキの「ウェルギリウス」によれば、『ラテン文学の黄金期を現出させたラテン語詩人の一人である。共和政ローマ末の内乱の時代からオクタウィアヌスの台頭に伴う帝政の確立期にその生涯を過ごし』、『ヨーロッパ文学史上、ラテン文学において最も重視される人物である』とある。「アミンタス」は“Amyntas”だろう。チルシスの元とするのは“Tityrus”で「ティテュルス」か?]