曇天 中原中也
曇 天
ある朝 僕は 空の 中に、
黑い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。
手繰り 下ろさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶はず、
旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奧(をく)處に 舞ひ入る 如く。
かゝる 朝(あした)を 少年の 日も、
屢〻 見たりと 僕は 憶ふ。
かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都會の 甍の 上に。
かの時 この時 時は 隔つれ、
此處と 彼處と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝らぬ かの 黑旗よ。
[やぶちゃん注:サイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説によれば、この一篇は中也二十九歳の『中央公論』と並ぶ総合雑誌『改造』の昭和一一(一九三六)年七月号に発表されたもので、同誌に『詩人が載せた初めての作品で』、『記念すべき作品で』あるとある。
「手繰り」「たぐり」。
「奧(をく)處」「おく」はママ。新潮社「日本詩人全集」第二十二巻「中原中也」では『おくか』とルビする。上記の「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇電子化と「青空文庫」の「在りし日の歌」は孰れも『おくが』とする。これは「奥深い所・果て」の意で、「おくか」「おくが」孰れにも読む。私は上代語でもあり、清音を採りたい。
「屢〻」「しばしば」。
「憶ふ」「おもふ(おもう)」。
「甍」「いらか」。
「此處」「ここ」。
「彼處」「かしこ」。
「異れ」「ことなれ」。違っているが。
「渝らぬ」「かはらぬ(かわらぬ)」。「渝」(音「ユ」)は「変わる・代わる・改める」の意。]