冬の明け方 中原中也
冬 の 明 け 方
殘んの雪が瓦に少なく固く
枯木の小枝が鹿のやうに睡い、
冬の朝の六時
私の頭も睡い。
烏が啼いて通る――
庭の地面も鹿のやうに睡い。
――林が逃げた農家が逃げた、
空は悲しい衰弱。
私の心は悲しい……
やがて薄日が射し
靑空が開(あ)く。
上の上の空でジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る。
――四方(よも)の山が沈み、
農家の庭が欠伸(あくび)をし、
道は空へと挨拶する。
私の心は悲しい……
[やぶちゃん注:「殘んの雪」「のこんのゆき」。「殘んの」は古語の連体詞で「残りの」の転訛したもの。「残っている」の意。
「林が逃げた農家が逃げた」はサイト「中原中也・全詩アーカイブ」の本詩篇の解説がよい。『これは、中也がよく使うレトリックの一つ』で、『林が逃げた、というのは、林がどこかに行ってしまった、というのではなく』、『林もまだ目覚めておらず』、『そこにあるのだけれど、ないのも同然という、不在感を表現したもの』であり、最終連の『農家も、同様に解すことができ』、『林も農家も』、『まだ、冬の朝に、目覚めていないので』あるとされておられる。
「ジュピター神の砲(ひづつ)が鳴る」遠い寒雷の雷鳴と採ってもよい。それを天空神ジュピター(Jupiter:ローマ神話の最高神ユピテル(ラテン語:Jūpiter)の英語名。気象現象(特に雷)を司る神)が「太陽」を打ち出した火砲の砲弾にをかく言ったもの(雷鳴とは敢えて採らない)だとどこかで思っていた。いや、今もそう思っている、と言い添えておく。]